2015年3月11日水曜日

アンコール「道草のススメ」(2011年3月)

 私はいつでも暗中模索だし、おかげで一寸さきは光のような気がしている。(長谷川四郎)

 1年前の3.11は、出産の「予定日」で、しかも光海はその日ぴったりに生まれてこようとしたので(結果的には一日ズレたのだが)、頭のなかは出産のことで一杯だった。でもきっと「予定日」に生まれてくることはないだろうと思っていたので、事前には「アンコール「道草のススメ」」というのを書こうとしていた。書こうとしていた、というよりも、震災のあった「2011年3月」の「道草のススメ」を読み返していた、というだけのこと。あらためて今日また読んでみて、少し編集したけれど、ほとんどそのまま再掲します。なお、写真は大部分を省略しました。

 ──震災の直前の時期、ぼくはかなり暇だった様子。いろんな意味で一番「ひきこもり」っぽかった時期かもしれない。だから、震災のあとも、生活はたいして変わっていない。でも、(ここには書いていないけれど)たまに仕事をもらっていた会社が開店休業状態に陥ったくらいのことはあったのではないか。でも、それはもっと個人的な話。「道草のススメ」では、あきらかに、ある一定の人たちにむけて書いている感触がある。そんなことも、とっくに忘れていた。


春がきて冬がきて(2011.3.1)
 今日はまた冷たい雨が降っている。写真は日曜の昼。府中の「郷土の森」まで、ちょっくら梅みにいってきた。ついでにプラネタリウムなんかみたりして。あたたかいなぁ。春だなぁ。なんて思っていたら、また冬の日だ。



犠牲にしない(2011.3.2)
 映画「英国王のスピーチ」に対する報道から、あいかわらず「成長しつづけること」というか、「明日は今日よりも賢く、豊かになっていなければならない」といった、「明日のために今日は犠牲にすべき」といった考え方がはびこっているんだなぁと感じるが、インターネット上の声を聞いていると、案外そうでもないというのが素直な感想だ(そうでない人が少なからずいるということ)。


定点観測(2011.3.3)
 「選択肢が増える」のは、果たして良いことか、という疑問(自分の抱いた疑問)に対して、長々と書いていた。
 写真は、まさに定点観測。この部屋からの景色。北西方向。



夢で(2011.3.4)
 昨夜は横になってからしばらく眠れなかった。今朝、小川国夫さんが夢のなかに出てきて、ぼくに何かを言っていた。いつもたいしたこと言わないんだけど(笑)。
 起きて、毎日の習慣で「モーニングページ」をやってから、いつも傍らに置いてある例の本を開いたら、「助けられることと、まるで無力のように扱われることとの間には、大きな隔たりがある。」という文章にぶちあたった。昨夜、自分が書いて吐き出したものが、それで救われた気がした。
 さ、また今日一日。


星の「王女」さま、たち(2011.3.5)
 今日は昼から、仲田恭子さん演出の「星の王子さま」を観てきた。場所が遠かったので、半日がかり。仲田さんがこの半年間ほど行ってきた「星の王子さまプロジェクト」というワークショップの、いわば発表の舞台で、プロの役者も数人いるけれど、大半はいわば「素人」。サン=テグジュペリの物語「星の王子さま」に出てくるいろいろな要素を、彼女らの感覚で通して見せてくれる。もし原作を知らない人が観たとしたら、「星の王子さま」のことはよくわからず、日常風景の「あれやこれや」を見ているだけのように感じるかもしれない。ワークショップの性格上、仕方のないことかもしれないが、全体としては「小ネタ集」という趣もあって、ちょっとくたびれる場面もあったが、まぁそれも「お腹いっぱい」という感じで。個別の表現、言葉に、考えさせられるシーンもあった。
 昨日、今日と、ぐっと寒かった。明日はまた春の陽気だとか。


ちょっとした支え(2011.3.6)
 ところで、山本ふみこさんの本、少しずつ読んでいる。この数日は、『ふだんの暮らしがおもてなし』(晶文社)を。エッセイのいわゆる「本文」だけじゃなくて、タイトルや、表紙とページのところどころに現われるイラストの猫、動物たちや「日常のあれこれ」も、さりげなくて好きで。「ちょっとした支え」になってます。
 昨日の夕方、外にいて、何だか面倒だったので牛丼屋にでも入って終わらせようかと考えて、でもこの本を手に思いをめぐらせて、やっぱり帰ってご飯くらい炊こうと思いなおしたのだった。
 そういえばぼくの部屋には生き物がいないな(←自分を忘れている)。猫でも飼おうか。あ、飼えないんだった。花とか草とかでいいんだ(←せめて名前で呼んであげよう。ようは何も決まってないんだけど)。ネギとかでもいい。


雪化粧(2011.3.7)
 朝、雨が降っていて、やがて雪になった。うっすらと雪化粧。
 昨夜はここ最近でもないくらい最悪の気分で、毛布をかぶってじっとしていたら、眠っていた。よくまぁやっている。粘り強い。


断食(2011.3.9)
 今日から「断食」をすることにした。「断食」といっても、食事をしないというのではなくて、「活字&情報の断食」。考えているうちに、これは「断食」に近い、と感じられてきたので、自分で勝手にそう呼んでいる。つまりインプットを最小限に抑える。まずは一週間を目処に、どこまでいけるか。新聞は見ない(一週間後にまとめて読むか)。テレビはつけない。ラジオは、それはまぁほどほどに(「音」はいいんだ。問題は文字情報だ)。本は、活字の本は一切読まない。これがぼくにとっては未知の世界だ。インターネットも、なるだけ見ない。アウトプットはどんどんやれ、とのことなので、ブログは書いてもいいが、このブログも気がのらない日には書くのを止めるかも。twitterは昨夜のうちに止めた。来週までは見ないことにする。万が一メッセージをもらうようなことがあっても返事はしない。ぼくに必要なのは情報じゃない。いろんなものから目かくし、耳かくしをされているように感じる。ここで、抜け出す。捨てるものは捨てる。どんどん捨てる。いま一度、整理する。ぼくは「みんなと同じになりたい」わけじゃない。というわけで、「断食」開始。本も読めないので、「読む」以外のいろんなことを探す。ちなみに、聞く、書く、話すは幾らでもオーケーなので。



祈り(2011.3.12)
 ご心配のメール&電話をいただいた方々、ありがとうございます。東京は、基本的には無事です。交通機関が麻痺して混乱はしましたが、大多数の人にとっては、「ものが落ちたり倒れたりした」のと「帰れなくなった」くらいの被害、と捉えています。さらに大きな地震がこない限り、身の危険は感じません。(余震はつづいています。少しだけゆるやかになっている感じもします。)
 ただ、関東でも太平洋に近い場所、とくに茨城、千葉など東京以北では停電、断水などで散々な思いをされている場所もあるようです。川崎や横浜でも停電したとか(けっこう近いですね)。
 ぼくも知人の全員の無事を確認できているわけではありません。(意識して騒ぎすぎないようにしています。心のなかは乱れていますが。)
 が、いまはじっとして様子を見守るしかない。もう何だか、祈るだけです。パソコンとテレビ&ラジオ以外の電気をなるだけ使わず、今夜も静かに時間を過ごそうとしています。
 
 (注)「活字の断食」はやむなく中断しています。関東在住の方へは、このブログがいいとみんなで言い合ってます。


東京ラッシュ(2011.3.13)
 昨夜から、余震がぐっと減って、静かになったように感じている。
 ぼくは、金曜の14時46分から… というより、そのあとすぐには地震がどこで起こって、被害がどうなっているのかまったくわからなかったので、正確には国立駅まで辿りついて、情報を得て以来、止まっていた「活字の断食」を、またそろそろ再開しようと思ってる。(ただ、まだ余震の恐れがあるので、情報収拾はつづける。まずはテレビから消す。)
 誰かも言っていたけど、節電というより、「いらない電気は消す」という、日常的なこころがけをするだけ。過剰な反応は何も産みはしない。テレビは地震発生後1日を越して、次第にワイドショー化してきたし(全てがそうとは言わないが)。消そう(もう消してる)。ラジオだけでいい。東京ではティッシュや水を買い込む人たちもいるようだけれど、その必要はない(ここは「被災地」じゃない)。イベントなどの「いたずらな自粛」にもぼくは大反対。やれるものは、やればいい。実際に昨日、実施に踏み切った人たちも知っている。
 被災者になるのと、「被災者面」するのは違う。これが国民性だよ、と言われたらそれまで、だけど。写真は金曜の深夜の、甲州街道。新宿方面。



良い薬(2011.3.14)
 午前中の予定だった停電が行われず。先ほど近くを走ったアナウンスカーによると、「12時半ごろから」になるとか。情報が錯綜していて、何が嘘で何が本当なのかわからなくなっているけど、ぼくは、いつでも来い! という態勢でいる。みんな、出社できないくらいで、おどおどすんなよ! 東京は電車が止まったり電気が止まったりするくらいじゃん。騒ぐなって。と言いつつ、どうしても地震関連情報が気になって、「活字の断食」はやっぱり延期している。
 停電も電車が止まるのも、良い薬だ。パソコンの電源も切って(充電はされているけど)、手を動かそう。これまで思いつかなかったことをやろう。「活字の断食」でやろうとしていたことが、「断食」しなくても、できる。
 いまのぼくにとって、緊急事態は、何の苦でもない。死ななければいい。


現実から目を離してはいけない(2011.3.15)
 今日の一枚。「分倍河原駅の封鎖された改札」か、これか迷って、やっぱりこれにした。近所のスーパーにて。空になった乾麺コーナーの棚。ほかにも、乾電池の棚はどこの店でも空。ぼくが見て回った限り、昨日の夕方の時点で一個も残っていないのを確認している。缶詰は「一個も残ってない」ほどではないけど、ほぼ品切れ。あと、ペットボトル(水など)、パン類、豆腐や納豆、牛乳などが消えている店が多いよう。新聞には鶏肉の発注量も9倍に増えていると書かれているけれど、(鶏だけに絞って見ていないが)肉、魚、野菜などは品薄とはいえ入ってきているので、ぼくはそれを買って食べている(ぼくは「買いだめ」などしない。なければないで節約できるし、そのほうが被災地への些細な貢献にもなる。みんな情報を調べているようで、調べていない。情報に踊らされているだけだ。でもこれが東京の現実。)
 あと書き出せばきりがない。コンビニでも同じ状況。ただし、緊急事態に重宝すると思われるお菓子類(チョコレートやスナック類)が売れ残っているのが不思議。
 分倍河原駅でも、南武線が止まっている模様(止まってない?)。京王は夕方から止まる。



停電の夕方(2011.3.16)
 計画停電、今日の府中市は15時20分から19時の間の3時間ということだったが、15時30分ごろにバタッと電気が切れて、防災無線で停電の知らせが流れた(停電したあとで聞こえた)。
 停電したてのころは書きものなどをつづけていたが、やがて暗くなり手元も見えなくなり、何もできないので、ボイスレコーダー(電池で動く)で音楽を聴きながら部屋で、まぁダンスなどして(細かいことはおいといて)いたら18時20分ごろに電気が復旧した。
 左の写真は、停電中の町並。停電になると困ることも多いけど、節電に励む街を見ていて思うのは、「いつもこれくらいでいいんじゃないの?」ってことではないかしら。原発のことだけでなく、いまは、自分たちの日常を見直し、考え直す大きな機会なのかもしれない。あと、「アフリカン・スクラップ・ブック」でもリンクしておいたけど、災害支援の一例として、広瀬敏通さんらの活動に、ぜひご注目ください。


「不謹慎」って何(2011.3.17)
 「不謹慎」という言葉が出回っている。
 府中は今日もまたこれから停電に入る予定。ぼくは地震後はじめて電車に乗る。仕事なので仕方ない。というか、誰かに会って話がしたい気分でもあって。


叫ぶ前に、沈黙を(2011.3.18)
 今日は午前中に停電して、また夕方から停電の予定だと聞いていた。なので、夕方からは外出して、一週間ぶりに長い散歩をしてきた。が、暗くなって戻っても、町や店から明かりが消えていないので、聞いたら、今日二度目の停電は回避されたと。
 街角に並んで「ボキン」を楽しそうに叫んでいる学生たちを見て、ぼくはなぜか嫌な気分になった。ぼくは学生のころ、あのようなことには参加できなかったし、いまでも、しない。被災地に送るお金とは、具体的にはどこに、どのように送って、どのように使われたいと思っているのか、まったく語ろうとしない彼らの姿を見ながら(無邪気といえば無邪気だ)、大事なのはそれじゃない、と思う。 
 叫ぶ前に、沈黙を。
 ぼくはこの事態を「お祭り」にしたくないのだろう。


きびなごの刺身(2011.3.19)
 何をするにもやる気が出ない。いや、やる気はあるのだけれど、不思議な無力感。今日も夕方に長く揺れた。ぼくは散歩中だった。府中駅前の建物のなかにいて(あそこは2階か3階か)、すぐに逃げ出したくなるような揺れではなかったけれど、怖いというより、気持ち悪いという感じの揺れ。散歩したら、気分が少し晴れるような気がする。救われるような気がする。
 そういえば、小川国夫さんは『青銅時代』創刊号と私家版『アポロンの島』刊行から、ずっと10年間くらい(30代の、ですよね)は、ひとりで孤独に書いていたんだった。よく、もったもんだよね(精神が)。他人事じゃないけど。ぼくは小川さんほど徹底してないな。時代のせいもあるかな。
 府中駅前の魚屋で、きびなごの刺身が売っていたのを見つけて、嬉しくてつい買ってしまった(写真、下のほう)。醤油か、酢味噌につけて食べる。鹿児島の、故郷の味だ。で、久しぶりに焼酎が呑みたくなったので、今夜はきびなごの刺身でイッパイやっている。


山下達郎さんの「鎮魂プログラム」(2011.3.20)
 地震で、はじめて放送が休止になって、一週間。「サンデー・ソングブック」を聴いた。久しぶりに力が入った。いきなり、CMなしのスタート。山下達郎さんはお母さんの出身が仙台で、親戚も多いそうだけれど、みんな無事とのこと。ただ、東北にもこの番組の「常連さん」たちがたくさんいるし、避難所生活を強いられている方、もしかしたら亡くなった方もいらっしゃるかもしれない。そう思うと、何と言っていいか、わからない。「重苦しい雰囲気を、少しでも和らげることができればと思って選曲しました。小さなラジオでも良い音で聴けるように、今回はいつもと違うデジタル処理を施しています。ただ電波の状態次第ではどうなるかわからない、でも、この気持ちだけ汲んでやってください。それでは…」と言って、達郎さん自身の「希望という名の光」でスタート。ジャックスカード(スポンサー)の「粋なはからい」で、55分、CMなし、お喋りもほとんどナシの、ノンストップで。フランク・シナトラ、ハウスマーティンズ、ウォルター・ホーキンス、ポール・ウィリアムスなど全10曲。息をのんで、聴いていた。


自分事(2011.3.21)
 地震から10日。まだ10日なのか…というのが個人的な感想だけれど、皆さんはどう?
 数日前に、街で募金の呼びかけをしている人たちのことを書いたのを読み直してみたら、ちょっと、何を書こうとしたのかわからない感じだけど、ようするに「わけもわからず」というのが嫌なのかなぁ。「型通りにやればいいだろ~が」という投げやりな感じもあって(そっちかな)。 
 身近なところから、やればどうかなぁ。たとえば、自分なら…と考えてみて…。東北にいる吃音の人たちで、困っている人たちがいれば、そこに何かできることはないか、とか。
 「全体を全体で支える」という考え方には、無理があるとぼくは思う。個々が、それぞれの現場で、それぞれの現場に近い人たちを支える。支え合う。それなら、ぼくもピンとくる。そういう「仕事」なら、たしかに、一生やれると思うし。


今週末で(2011.3.22)
 今日は昼ごろから同じ第2グループ内が停電になっているという情報は入ってきていたが、ここは停電せず。その後も停電していない。 
 中井久夫『世に潜む患者』(ちくま学芸文庫)、まったく他人事とは思えない内容が多くて、(この多くが1980年代に書かれたことを考えると)驚きつつ読んでいる。
 ぼくは今度の週末で、ここへ引っ越してきて一周年になる。こういう話になると、すぐ「早いね」と言い出す人がいるが(自分もついそう言ってしまうことがある)、そんなことはない。一年という時間が、こんなに長く感じたことはなかった。


エル・アナツイと葉山の海(2011.3.23)
 今日は朝早くに出て、葉山へ。逗子駅に降りて、一度来たことがあるのを思い出した。人に連れられて行く経験は、自分の頭で行っていないので忘れている。3年前かな。もちろんぼくはまだ大阪にいて、会社員だった。5月の連休を使って来たのだったか。
 今日の目的地は、その逗子駅から海岸線をバスで20分ほど走った場所にある、神奈川県立美術館の葉山館。『エル・アナツイのアフリカ』というのを、ずっとみたかった。で、昨夜、いよいよ行こうと決めて。会期が今週末までに迫っている。しかも「計画停電」で常に入れるとは限らない、という悪条件。昼すぎから停電になる予定だったが、でも今日はその地域の停電が回避になって。アナツイの作品の数々をみたあとにも、無料開放されている図書室で、かなり長時間、過ごすことができた。
 バスの窓からも、展示室の窓からも、大きな海が見えた。帰る前に美術館の周辺を散歩して、海まで出て行った。この写真はその海へ抜ける小道。



あの海の音の余韻(2011.3.24)
 今夜は、先ほど、「アフリカン・スクラップ・ブック」を更新。みてきたばかりのエル・アナツイの個展と、大瀧詠一さんの本の話を書いた。 
 今朝も、大きめの揺れがあった。テレビのなかでは、「春の甲子園」がはじまった。


アフリカ・セッションno.11(2011.3.25)
 今日の午後は、ちょっと息抜き(?)を兼ねて、『アフリカ』第11号の「仕事」をはじめる(まだはじめてない。これから)。18時から22時にかけて停電になるらしいけど、ぼくは今夜は府中を離れて違うグループ圏内に入る予定なので、停電は関係ない。出かける前に、少しでも進めよう。


あの日から一年(2011.3.26)
 ちょうど一年前の今日、その日までぼくが住んでいた部屋から見た桜。あれから一年だ。ここへ引っ越してきてからは、明日で丸一年。いろいろあったけど、何とか生きている。


大國魂神社の枝垂(2011.3.27)
 一年前の3/26は金曜日で。夕方に大阪の部屋を引き渡して。夜はそれまでの毎週・金曜と同じように大阪吃音教室に出て。みんなといつものように過ごして、深夜のバスに乗った。バス停まで送ってくれた仲間がいて。何だか懐かしく思い出す。
 そして3/27の朝。新宿駅到着が、かなり早い時間で。荷物の到着まで、かなり時間があった。ひとまず京王に乗って府中へ向かったが、その日から住む部屋の最寄り駅である分倍河原駅へ行く前に、府中駅でいったん降りて、大国魂神社へ寄った。境内には見事な枝垂れ桜があって、迎えてくれた。凍えるような寒い朝で。(この写真は、その一年前の朝。)


 あれから、一年。ぼくはとにかく環境を変えたかったのだったが… ひとまずそれは成功だった。見知った、慣れた環境では、こうはいかなかったかもしれない。とにかくぼくは逃げたかったのだ。逃げて良かった。とは思っている。


彼方への道(2011.3.28)
 昨日は夕方から三鷹で約束があって出かけた。その前に、大国魂神社へ寄った。一年前に満開だった枝垂れ桜は、今年はまだ咲いていなかった。何だか寒いものね。迷いまくってゴールのない迷路みたいになっているぼくの話を聴いてくださる人には感謝。
 今年は桜の話題を耳にすることが、ほとんどない。


また動き出す(2011.3.29)
 散歩はつづけている。2時間くらいは平気で歩く。たいていは、夕方に。夜になるときもあるけれど。この写真は昨日の夕陽。
 ぼくはまたこれから新しいことをやる。新しくはじめるというのは、いつでも新鮮で。それがたくさん味わえるというのは、よく考えたら、ラッキーなのかも。そう考えることにしよう。



絶望を語る言葉(2011.3.30)
 一見、不要ではないかと思える大きなストレスに、悩まされることがぼくは多い。すぐに眠れなくなったり、アルコールに「走」ったりする。自分はそういう人なんだ。と、知っておくだけでも、随分、違うと思うよ。


あたたかさ(2011.3.31)
 昨夜は、ある方と約束していて、「古本GALLERY673ひらいし」へ。日替わりマスターでカウンターに立っていた三五十五さんとも長くお話できて、なんだかとにかくいろんな方とお会いして。そのあと、田保さんのバー「246」(「にょろ」と読みます)へも流れて。久しぶりの「徹夜コース」と相成った(昨年の秋以来かな)。怒濤のような「声」にまみれて飲んで、なんだか妙に、元気をもらった気がする。