2015年2月11日水曜日

新しい地図

 何もないように見える場所も、ある人にとっては豊かな場所に見えるかもしれない。一つの中央ではなく、無数の中央へ向かうことによって、見慣れた場所が未知のフィールドに変化する。(石川直樹)

 今月は、こちらの「自由時間」のほうで、いろいろ書きます。『アフリカ』の最新号(第23号=2015年1月号)のことや、イベントの告知なども書きますので、見てネ。
 というわけで、字数制限を外して、書きたい放題やろうというわけ。
 べつにこうやって「ブログ」というかたちで「発信」しなくてもいいじゃないか、という声もあるかもしれないが、宣伝や告知などお伝えしたいことがあるし、でもお伝えしたいことだけをお伝えするというのは、自分にはけっこう難しくて、いろいろ書いて、その延長でお伝えするというのが自然なような気がして。

 ちょっとこんな話から。

 この社会は、どうやら、どんどん暗い時代に突き進んでいるようです。不況とか、貧しいとか、そんな悠長なことを言っていられない時代が、もう来ているみたい。
 先日、テロリストの捕虜になっていたふたりが人質になり(おそらく日本政府は彼らを見殺しにして、まぁ偶然生きて戻ったらラッキーくらいにしか思っていなくて、その結果…)むごいやり方で殺害されるという一連のニュースが流れました。
 ただ、そのことを、ここで、いろいろ書くのは、止めましょう。ぼくは新聞やテレビではなく(彼らは起こっている大事なことの多くを伝えてくれなくなっています、だから…)SNSを通して、複数の取材者や専門家がいろいろ調べて、教えてくれることを、眺めて、考えているだけです。
 ずっと眺めていて、言えそうなことは、日本政府はどうやら「戦争」へ向かって突き進んでいること(ただ、現代の「戦争」のかたちにはイロイロあるようですが)。
 太平洋戦争へ突き進んだころの日本が似たような状況にあり、身の丈を超えた「経済政策」が大きな闇を抱えていたということ、それは、ちょうどいまの状況に似ているというくらいのことも言えそうです。
 昨年、桑原甲子雄さんの写真展をみに行ったときに、太平洋戦争直前の、東京の街がえらい明るくて、いまと変わんないなー、と思ったのをふと思い出します。
 ぼくはテロリストもこわいけど、日本の首相(と彼を裏で動かしている人たち)もこわいです。自分の住んでいる国の首相(とお仲間たち)だから。そして彼らが発する「ことば」の、上っ面な感じ、中味のない感じは、ただ身近にもたくさん存在しているような気がして、それにも強い危機感をもっています。前々から、ずっともっていたことです。

 で、どうする? って言ったって、時代に翻弄されて生きていくしかなさそう。歌は世につれ、世は歌につれ、というけど、何を言ってるんだ、世は歌につれない、いつも歌が世につれ、なんだ、という話をよく山下達郎さんがしてらっしゃいますけど。ぼくは、光海と、彼がこれから出会う、たくさんの仲間たちが心配です。


 そういえば、石川直樹さんの写真展に行ってきました。横浜市民ギャラリーあざみ野で、22日まで、やっています。無料でみられます。タイトルは、「New Map」。新しい地図、です(写真は、限定部数で来場者に配布されている折り込み地図ふうのパンフレット)。インド、ポリネシア、北極、南極、富士山、エベレスト、そして日本周辺のたくさんの島々… 石川さんの写真の仕事の全体像(?)を眺められるような展示になっています。ぼくは、彼の発表する「ことば」には、ちょっと理屈っぽいような(人のこたぁ言えないか?)コマーシャルっぽいような部分も感じていますが、なにはともあれ「写真」を、大きなプリントでじっくり見たい。いい機会です。じっくり見ていると、政治と経済と、戦争に明け暮れている人びとが、バカバカしく、遠い世界のように思えてきます。そしてそれに巻き込まれる無数の人びとの、悲痛な空しさ… でも、ぼくがもっとも感心するのは、人も生き物で、死ぬときはいとも簡単に死んでしまうものなのだ、ということ。殺し、殺されなくても、自然のなかの極限の状況では、人は容易には生きていくことができない… ただ、ぼくも、あなたも、みーんな死ぬまで生きるしかないわけですけど… (唐突に感じるかもしれませんが)「地面」って、おおきなもんですね! 石川さんの写真をずっと見ていて、なんだか「地面」をつよく感じて。なぜか「地面」について考えたり、思いを馳せたりしています。

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