2014年9月30日火曜日

生存報告(2014年9月)

 われわれがほかの人びとに与えることのできる最大の名誉のひとつは、その人をあるがままの姿で見ることだ。(シヴァ・ナイポール)

 また少し間が空いてしまいました。いかがお過ごしでしょうか。もうすぐ10月になりそうなので、その前に、少しだけおお蔵入り(?)しそうな写真をアップしておきましょう。道草の家の我々を普段から応援してくださっている皆さまへ向けた近況報告?


 『アフリカ』第23号(2014年8月号)をお買い求めいただいた皆さま、買ってはいないけど某所で読んだよ! という皆さま、雑誌を手にとってご覧くださった、すべての方々へ感謝、です。ただもう少し残っているはずです。ぼくの手元には、残り10数冊。アフリカキカクの拠点である珈琲焙煎舎(府中市)と、高城青の手元にも少しは残っているはずです。もう少し買えるところを増やしてよ! という声もいただいておりますが、面倒な雑誌で、本当に気に入ったところがないと行かないそうです。気長にお待ちください。諦めたころに、え? という展開があるカモ?


 珈琲焙煎舎は、もうすぐ3歳の誕生日を迎えます。この人が3歳じゃないよ(え? わかってる?)。店主、いつもありがとう。3年、つづける、しかも当初のコンセプト(やら何やらイロイロサマザマなこと)からブレずに頑固につづける、というのは、けっこうたいへんなことだ、とぼくは思ってます。この3年のアフリカキカクは、珈琲焙煎舎なしでは考えられませんでした(もともとは、たまたま近所に住んでいたという理由でしたっけ?)。これからもよろしくねー!


 その焙煎舎がある府中市、府中駅前の並木道は相変わらず… ではありません。並木道は無事ですが、府中駅前のステキな路地街はゴッソリ取り壊され、ショッピングモールか何かを建設中。いわゆる再開発っちゅーやつですな。なんという暴力的な街のつくりかえ方でしょうか? ぼくには馴染みの深い大阪のあべの橋筋も似たようなことになっており、さみしい思いをしています。経済効果? いまさら誰がそんな夢みたいなこと考えてんだ? 情けないですワタクシは。なるだけ行かないようにしたい。けど、いつか気になって行くだけ行ってみるのでしょうね。うーん。


 ダイバーシティ工房「READYFOR?キックオフイベント」は、満員御礼、でした(クラウドファンディング「発達障害の中高生に、社会性を育てるプログラムを届けたい!」の30万円も早々に達成していますが、残り1日です)。
 イベント内「ことばのワークショップ」は、戸惑い、疑問がまざり合う生々しい時間になっていた。なので結果、ぼくも一緒になって戸惑い、疑問にまみれ。でも、ちょっと「ゆる」すぎたかなぁ、という反省もありました。「ワークショップ」は、「風任せ」ではないのですが、それをどう言えば伝わるだろう? と終わってから考えていました。ぼくも勉強が足りません。
 就労移行支援「ユースキャリアセンターフラッグ」柴田泰臣さんの話、すごく勉強になりました。
 就労の際、自分の「障害」を「オープン」にするか「クローズ」にするかに関係なく、なんとかなる方と苦労する(←なんとかならないとは言わない)方のちがいの分析、「ほんとうに大変な方は人とのつながり、家族とのつながりすら希薄」といった改めての指摘や、「何より自分にとって大切な人から大切にされること」というメッセージ。「可能な人は、いわゆる健常者のものまねの練習をする」という提案(?)──つまり、「表面」をふるまうことができればそれだけで有利になることがある、それは処世術で、その人の本質を変えるものではない──など。
 自分としては、「等身大の自分を知る」ということのお手伝い(?)が、ワークショップという場づくりで、できればよいなぁ、などと考えました。が、「等身大の自分」って? 「自分」を大きくとらえることができればよいのかなぁ。

 市川での「ことばのワークショップ」は、10月から本格的(?)にはじまります。


 大田区を拠点にした「「外出」という仕事」も継続してやっています。この写真は、公私共にお世話になっている“まーちゃん”(“画伯”です)の母の誕生会をやったときのひとコマ。ぼくは少し顔を出した程度でしたけど、たのしかったなぁ。“まーちゃん”のことは、これから年末にかけていろいろ書くことになりそう。ワクワクする話なので、ご期待ください。


 その画伯からいただいたお皿。いいだろ〜。羽ばたいてます。なんだか励まされるよう。なので、お皿としては使わず(もったいなくて?)、道草の家の2階の、ぼくが作業する横のテーブルに置いて眺めながら仕事してます。ありがとう!


 大田区、吉祥寺、市川、府中と飛び回っているようですが、住んでいるのはもちろん変わらず横浜の、道草の家です。これはうちの最寄りの山手駅。仕事から帰ってきたところで、昼と夜の境目の、なんかいい写真が撮れたので。


 9月中旬からは、少し体調を崩したり(ことのはさんも調子が悪くて)、吃音の調子が最悪だったり、気分的にもなぜか沈んでいて、どうしたもんか? と少し悩みましたが、悩んでもどうしようもないことは悩んでも仕方がないので、開き直って過ごしていました。
 そんなとき、吉祥寺美術学院のアトリエでの毎週の授業は、自分にすごく良い波をくれています。
 センター試験までは、早くも残り4ヶ月。授業は、実戦へ向けた対策へと徐々に入ってきていますが、アトリエからは、単なる国語教師の役を超えて、学生の「創作」とか「表現」にかんするヒントを毎週持っていき、場合によっては学生より先に先生が「すごく参考になる」ような資料(ネタは書籍に限らず、新聞、小冊子、フリーペーパー、チラシ、レコードのライナーノーツ、ジャンル不特定のものまで、多岐にわたるのですが)を提供しているのがすごく評価されていて。ぼくとしては、それは「課外活動」ではあるものの、じつは彼らにとってはそっちが本分(本業?)で、授業そのものより、授業後の語り合いのほうが長くなったりすることも?
 9月のある週、自分に余裕がなかったので、たいした準備ができなくて、出かける前に、本棚(というよりも、本が大量に放り込んである押し入れ)を眺めて、ふっと目についたこの(上の写真の)本を持っていきました。青山南さんの『短編小説のアメリカ52講』という本。ぼくはもとになった本も読んで持っていて、ついでに(そのさらに元になった)雑誌連載時も毎月読んでいた。この本には、アメリカの大学における創作科(小説を書くことを教える場、いわゆるワークショップ)にかんするいろんなことも書かれていて。
 今回はその本から、ジョン・ガードナーが「良い教師と悪い教師」について並べている箇所とか(たとえば、「あまりにもワークショップ的なワークショップはダメである」だって、そうね、笑)、ジョン・アービングがカート・ヴォガネットに教わったけどヴォガネットは「干渉しない主義」だったとか、いろんな意見を言う人がいて、その背景にはあれこれあるんだって話を一緒に読んだりした。
 大学での「ワークショップ」のような場にたいしては、いろんな意見があるだろうけれど、小川国夫からのぼくらへのラスト・メッセージにもあったように、安心して小説の(美術の)話ができる「国」も必要で(ビジネスなど酷悪だという人ばかりのなかにいたら若いビジネスマンは耐えられない、それと同じ?)、どんなひどいワークショップでも、心理的理由により、ないよりはマシである、とガードナーは言ったそうな。
 で、ふっと思いついて、学生たちに「先生がどんな教え方をしているか、に着目したことある?」と訊いてみたりもしました。


 さてさて、お待たせしました。光海(こう)は、生まれて半年が過ぎました。はやいねぇ。すっかり大きくなって。毎日、元気に泣いてお母さんを困らせているそうです。まだ“ハイハイ”はしておりませんけど、もうすぐしそうな感じ? お父さんに“たかいたかい”をされるのが好きです。ハイ。彼を見ると、ぼくは救われる気がします。そんなもんですかねー?


 子育て、たいへんですけど、あのね、やっぱりかわいいです。未熟な父母だけど、周囲の人たちに助けられながら何とか暮らしています。生きていくために一番大事な技術(?)は、「助けを求めることができる」ようになることなんじゃないかと思ったりもして… 毎日のように「もうダメだー」とこぼしてます(?)が、あたたかい目で見守ってやってください。


 先日は大雨で、広島で信じられないような土砂災害があり、たくさんの死者を出して。数日前には岐阜〜長野の県境にある御嶽山の突然の噴火があり、たくさんの人が遭難死をしてしまいました。どちらも、いつ自分の身に起きてもおかしくないような、ショッキングな出来事で。幼い子供が誘拐されて殺されたり、自分と同世代の音楽家が自死したり、そういうニュースもショッキングで、いろいろ考えておりますけど、今回のふたつの自然災害は、それらのショックを遥かに超えていました。いま、我々は、“自然”をどう捉えているか、問われているような気がします。“自然”を制圧して、コントロールしようとしてきた結果が、この社会なのだとしたら… 自分たちがいかに無力か、もう少し自覚したほうがよいのではないか、とか。そうすれば、いろんなことが少しはマシになるんじゃないか、とか。火山のことも、ぼくは幼いころから火山のある街で過ごしてきたのに、けっこう知らないことだらけで、ニュースを見るのにもすごく勉強になります。勉強しないでニュースを見たら、いかに噓が多いか、ということにもずっと注目しています。


 10月は、またいろいろと新しい動きがあると思います。ここで発表することもいくつかありそう。どうぞお楽しみに。というか、自分も楽しみです。

 道草の家では、この夏に買った蚊帳を、相変わらず吊って寝ています。蚊帳を吊ると光海がぐっすり眠れるようで、ことのはさんは「年中でもいい」と言っておりますが、案外それもいいかも?

2014年9月5日金曜日

「ことばのワークショップ」(2014年8月30日)報告記

 宇宙のあらゆる場所で、人を含むあらゆる生物(もしくは鉱物、浮遊物とかも)が、それぞれの孤独を抱え、確実な受信の当てもなく、発信を続けている。そして何もそれは、悲壮感漂うことではない。(梨木香歩『水辺にて』)

 9月になりました。こちらは秋のような日がつづいておりましたが、昨日あたりから、また少しずつ蒸し暑さが戻ってきています。とはいえ、着実に秋に向かっています。いかがお過ごしでしょうか?

 8月は、3月につづいて、「新・道草のススメ」を1ヶ月間、書きました。個人的には、書きはじめたときには想像もしなかった出来事もあり、いろいろな心の動きがあって、忘れられない月になりました。と、そこまでは読んでいるだけでは、わかりづらいかな? とは思いますが、ひきつづきアップしておきますので、え? やってたの? という方はぜひご覧ください。

 『アフリカ』最新号(第23号/2014年8月号)は、もちろん9月になっても10月になっても(なくなるまで)販売中。


 相変わらず、地味に一冊、一冊、売れています。お買い求めいただいた方々、いつもご愛読いただいている方々へ、ありがとうございます。こちらはすでに次号の原稿を読んでいる最中で、新しい試みにも、少しずつ手が出ているところです。しばらく停滞気味だったと自分では思っているのですが、ようやく、動き出すことができています。

 8月末には、ここでも少し触れていた「ことばのワークショップ」の最初のイベントをやりました。


 今回は、NPO法人ダイバーシティ工房(市川市)が運営する、ふたつの塾──スタジオPlus+と自在塾の中高生がターゲットです。
 スタジオPlus+に通っている人たちは、いわゆる“発達障害”をもつ人たち。“発達障害”とは何か? スタジオPlus+のサイトをリンクしておきましょう。今回は、“発達障害”の人も、そうじゃない人も集まってくれました。顔を合わせたら、みな、そこでは対等なメンバーになります。

 今回のワークショップ、開始前に、準備してあったテーブルや椅子を、すべて教室の隅に追いやって、ガランとしたスペースづくりからはじめました。会場となったスタジオPlus+市川中央教室には、さまざまな形や色をした椅子が、いろいろあります。到着した人は、好きな椅子を持って、教室の真ん中付近に集まって好きに過ごしていてください、ということにしました。そこから、ワークショップははじまっています。

 当日は、こんな“しおり”も配りました。シャレてるでしょ?


 さすが、魅力的な問題(?)を抱えたメンバー、時間通りにたどりつけない人、スタッフが電話をかけてようやく起きられて、走って向かってきた人、そういう人もいました。まだ到着していない人も数名いましたが、ぼちぼちはじめます。(最終的には6人、スタッフも合わせて9人のワークショップになりました。)

 まずは、企画者、ファシリテーターであるぼくの自己紹介から。まずは、自分は吃音者で、スムーズに喋ることができないこと、だから時間通りに進めることが(じつは)苦手なこと、など、自分の“弱み”の紹介から。
 そして、「ワークショップって何?」という話。「ショップって、店だよね?」と言った人がいました。「では、ワークは?」というと、「仕事かな?」。そんな話から。
 ワークショップとは? いろんなニュアンスで使われるようですけれど、ここでは、「先生が教える」のではなく、「みんなで学ぶ」時間や場のこと。なので、ぼくは先生ではありません、ワークショップには先生はいません。なんてことを言ったら、スタッフも一緒になってポカンとしていたようでした(笑)。

 そこからワークショップの本編。同じ塾に通う人同士でも、じつははじめて会う人たちばかり、とのこと。自己紹介からやりましょう、と。自己紹介というと、なんだか堅苦しい気がして、当日は「お互いのことを話す時間」と言っていました。

 名前と、最近興味があること、とか、マイ・ニュースを少し話してください、ということにしてお喋りをはじめたら、好きな色について語りはじめる人、アルバイトの体験談を話す人、遠くから引っ越してきたことを話す人、自分の性格について話す人、いろんな話がでました。これだけでも、けっこう面白い。

 それからその日のメイン・テーマは、「音を聴いて、何か書いてみよう」というもの。

 ぼくの準備して行った“自然音”のCDから、リクエストを募って、マレーシアのジャングルの一日を編集した7分ほどの音に、全員で耳を傾けました。

 そのあと、紙とペンを持って、各自、教室のなかの好きな場所(個別ブースや、歓談のできるテーブルが散らばっている)に行って、短い作文をします。

 その作文のあとの語り合いは、とっても自由で、充実したものになりました。今回は短い時間でしたから、じゅうぶんには書けなかったでしょうけれど、短い時間で、パッと出てきたものを書きとめるという作業は、じつはかなり面白いものです。

※今日は時間がなくなったので、ここまで。つづき、また書きます。

※最後にお知らせですが、今後つづけていく「ことばのワークショップ」の「発達障害の中高生向けのSSTプログラム」にかんして、「READYFOR?」での寄付募集がはじまっています。

 今回は「30万円」という数字を掲げてあります。けれど、もちろん見定めている目標はその先、持続的な「場」や「プログラム」を育てていくこと。関心をもっていただける方にはいろんな方がいて、そこにはいろんな応援の仕方──かかわり方があると思います。

 まずは、ぜひご覧ください。私自身、今回「ことばのワークショップ」を通して、彼らのあたたかい「場」に触れ、堅実な仕事ぶりを感じていて。よいパートナーになれたらいいなぁと思っています。何よりも、集まっている「人」たちが、何だかいいんですよ!

 9/13(土)には、今回の「READYFOR?」にからめて(一般向けの)イベントも開催して、私はワークショップの縮小版を実際にやる予定になっています。