2014年8月28日木曜日

【特集】『アフリカ』第23号(2014年8月号)

 今のわたしは、滔々と続く大きな力そのものを「神さま」と感じている。それは自然であったり、自分の力が到底及ばないもの全てであるとも言える。(高城青「とうとうと神さま」〜『アフリカ』第9号/2010年5月号)

 さて、おまたせしました。『アフリカ』最新号(第23号/2014年8月号)、本日、珈琲焙煎舎にて発売。焙煎舎の「のんびり日記」でも触れてもらってます。店主、よろしくお願いします!
 定期購読の皆さんや関係各位へは昨日あたりから届きはじめて、遠方の鹿児島、沖縄などの方へも今日あたり届くころと思われます。今回も、どうぞ急がず、ゆったりページをめくってみてください。もちろん、ざっと流し読みもできますが、ゆっくり読むのがオススメです。


 さ、なんでしょう? “セイウチ”号です(左は貝、三崎の海岸で拾ってきたもの)。「さんざん遅れておいて、悪そうな目つきがいいね」なんて言った人がおりますが。今回もいつも通り、向谷陽子の切り絵が飾ってあります。今回はけっこう難しい作品だったようですが、力作です。実物でじっくりご覧ください。

 雑誌の表紙には、執筆者たちの名前とか作品名とかが書き連ねてあるのがぼくは嫌いなので(多くがやっていることはできるだけやらないというテーマがありまして)、このように雑誌名と、発行月だけ。おかげで、何の雑誌なのか、表紙を見ただけではサッパリわからない、なかなか売れない、という苦労をすすんで買うことになっています。
 でも出会う人はしっかり出会って買ってくれます。
 定期購読は嫌で、毎回注文して、「待つ」のが楽しみだ、なんて言う方もいらっしゃいまして、それはすごーく『アフリカ』の読者らしい読者だと感心して見ております(笑)。
 すべての読者の方へ、いつもありがとうございます。

 今回は、予告通り、「お詫び広告」からはじまります。それはまぁ、手にとって、見てのお楽しみ、ということで。


 何度も申し上げているとおり、今回は高城青を大きくフィーチャーしています。青さんのファンの皆さん、お待たせしました。そういう方はきっと、エッセイだろうが小説だろうが詩だろうが漫画だろうが、何でも同じように(?)読んでいる方だろうと思います。本人は「自分のばっかりこんな載せて大丈夫やろーか?」と不安がっておりますが、大丈夫、きっとそういう偏りのない読者が『アフリカ』を真ん中で支えてくださっていると思うので。ある意味では、下窪俊哉より『アフリカ』らしい書き手ですよ。と、編集人は自信をもってお届けします。

 まずは、エッセイ(本人が言うところの「文字」)とイラスト。「らせん見る夢」は、高城青の“創作”活動の原点といま、を書いています。


 下窪俊哉「さまざまな歌」。ぼくは今回、久しぶりに掌編小説というか、絵でいうところのスケッチのような小さな作品を書いています。「高城青と、あとひとり」で、少し触れてもらっていますが、青さんによると「静かな時間が流れる掌編」だそうです。


 高城青の小特集、題して「高城青の、暮らしと作品たち」。冒頭は、旧知の犬飼愛生による高城青の「ひと」について。「顔」というエッセイです。


 最近はすっかりお馴染みのエッセイ漫画「それだけで世界がまわるなら」は、大盤振る舞い16ページ!(全48ページ中の16ページです。)
 今回は、30代半ばにして運転免許証をとろうと自動車学校に通ったエピソード。とにかくたくさんの人が出てきます。「家族の話」だったこのシリーズも最近、外へ飛び出して何かと精力的な気がします。

 下窪俊哉によるインタビュー「小さい目立たない救いの話にしたかった──高城青との対話」では、高城青というペンネームの由来から、描き(書き)はじめた原点の話、『アフリカ』との出会い、その後のエッセイ、イラスト、漫画などの作品について、その舞台裏について、ひとつひとつ回想しています。

 今回は、あと過去の作品として詩を一篇、載せています。「紅(あか)」という、いまはなき『詩学』からの転載です。


 そして、これもお待たせしました。芦原陽子の「妊婦体験記 - 後篇」。先ほどの青さんのブログによると、「出産にまつわる出来事や心の動きがつぶさに書かれていて、非常に読み応えがあります」。

 編集人は、今回のこの号が、ぼくたちの息子・光海の誕生記念特別号(?)にならないようにしよう、と思っていました。でも、子を産むこと、いや、子が生まれることがどういうことか? とか、子をもたない選択をする人もあり、子を産めない人もいる、さまざまな生があり、さまざまな死がある、そういうことを、少しでも出しておけたらいいなぁと思ってもいました。

 この話は、また次号へつづきます。


 というわけで、今回もぜひ一家に一冊。と言いながら、今回も部数が少なくて、多少は残るように必死で宣伝をサボっておりましたが、何かあると一気になくなりそうな部数しかありません。絶対に読みたい! という方はぜひお早めに。

 次号からはもう少し増やそうかな? と思っておりますが、もちろん内容も少しリニューアルして、というつもり。で、今回はひとつの区切りになるか、どうか。それはまた次号のお楽しみ。まずは新しい“セイウチ”号を可愛がってあげてください。よろしくお願いします!

2014年8月26日火曜日

【イベント情報】ダイバーシティ工房「READYFOR? キックオフイベント」に参加します!(9/13)

 人を信じよ、しかしその百倍も自らを信じよ。(手塚治虫)

 横浜は今日、急に涼しくなって秋のようになっています。いかがお過ごしでしょうか? 夏も、もう終わりますね。

 さて、『アフリカ』最新号(第23号/2014年8月号)、無事に完成して、定期購読の皆さん、関係各位へは発送されているので、そろそろお手元に届くころかと思われます。今回もぜひゆっくり、くり返しお楽しみください。──で、その話をしたいところなのですが、その前にこの話題から。

 先日、NPO法人ダイバーシティ工房(市川市)の運営する「スタジオplus+」にて、これから「ことばのワークショップ」という時間をつくっていくという話(「「ことばのワークショップ」をはじめます」)を書きましたが、まさに私の(私も)担当しようとしている新しいプログラム──中高生向けSST(ソーシャルスキルトレーニング)にかんして、不足している運営資金を、クラウドファンディングサイト「READYFOR?」で募ることになりました。

 それに連動して、9/13(土)の午後、イベント開催が決まっていて、そこで「ことばのワークショップ」の短縮版を実際にやってみることになっています。現在、参加受付中ですので、興味ある方はぜひご参加ください(要申込)。

 詳しくは、ダイバーシティ工房サイトのインフォメーション あるいはFacebookのイベント・ページ をご覧ください。


 ※写真は、会場となる「スタジオPlus+」市川中央教室。7月にオープンしたばかりの新拠点です。(ダイバーシティ工房Facebookページより転載)

 大人の「発達障害」とはどんなものなのか? とか、中高生向けの「自分への理解」や「(自・他との)コミュニケーション」や「表現」をめぐる場づくりの重要性を、ともに考える、よい機会になりそうです。

 「ことばのワークショップ」は、今月30日に開催するイベントの縮小版(ダイジェスト版)のようになる予定なので、それがどんなものかは、また報告しますね!

 ぜひご注目ください。よろしくお願いします。

 『アフリカ』最新号、珈琲焙煎舎での販売開始が明後日・木曜(8/28)になりましたので、明日、詳しいことをここで触れようと思います。またぜひご覧ください!

2014年8月12日火曜日

「ことばのワークショップ」をはじめます。

 小手先の技ではなく、書くモチーフを自分の中に明らかにし、創造的に表現していくために、イメージ瞑想や、同じ情景を思い描くにしても視点をあれこれ移してみるなど、自己を見つめる様々な手法が繰り出される。書くことで、自分でも気づいていなかった自分の奥深いところまで旅することができる。未消化な体験を深く味わいなおしたり、見方を変えてみたりできる。それは深い気づきや癒しにまでいたる。(中野民夫『ワークショップ』)

 ところで、これから、「ことばのワークショップ」をはじめます。「ことばのワークショップ」、何それ? という話は、徐々に書いていきたいのですけれど、今日はそのとっかかりだけ、書いておこうと思います。

 数ヶ月前、あるサイトを通して、千葉県市川市を拠点とするNPO法人ダイバーシティ工房という人たちを知り、その後、不思議な縁ができて、これから通うことになりそうです。
 そこで、これから開催しようとしているのが、「ことばのワークショップ」。
 もともとは、ぼくが自己紹介のなかで、「ことばのワークショップ」(のようなこと)をやっている、ということを書いた(話した)のでした。これまで複数の場所で、受験の「国語」を教える傍らで、若者たちを相手に書いたり、話したりするいわば「ワークショップ」の時間を自然につくっていました。そのことを今回、「ことばのワークショップ」ということばで表現したら、「それ、やってみませんか?」という話の流れができました。

 NPO法人ダイバーシティ工房については、じつにいい雰囲気の団体なので、ぜひコチラをご覧ください。NPO法人化は2012年ですが、彼らの運営する「自在塾」は、代表理事の不破牧子さんの父親が1970年代にはじめたという、とっても「家庭的」な塾。数年前から、発達障害の子ども専門の塾「スタジオplus」も立ち上げて、先月(7月)には市川駅前に新拠点(市川中央教室+事務局)を構えたばかり。「ことばのワークショップ」の舞台となる予定の場所は、その新拠点(スタジオplus)のほうです。


 「ことばのワークショップ」は、「書く」こと、「話す」ことを通して、ひとりひとりが抱えている、いろんなことに自らが気づいたり、目を向けてあげたり、見方を変えてみたり、呆然と眺めてみたり、ということをする時間です。今回、はじめるワークショップも、たぶんそうなります。けれど、それはあくまでもこちらの狙いなので、こちらが想像もしなかった、おもしろい展開があっても全然OK、というかそれはむしろ嬉しいです。

 今回はひとまず、「スタジオplus」に通っている中・高生を中心に声をかけて、今月末に開催する「お試し企画」からスタートする予定になっています。
 お互いのことを話したり、「ワークショップ」って何だろう? どうしたい? を少し話してみたり…
 それから、夏の終わりに涼しい部屋で、世界中のいろんな場所で録音された「音」に耳を澄まして、自分の好きな音とか、香りとか、景色とか、時間とか、そういう感覚の話をしたり、少し書いたりする時間になりそう。


 一方、三年目の夏を迎えている吉祥寺美術学院のアトリエでは、今週、恒例の「作文セッション」をやる予定です。
 今年のテーマは、「自作解説をしてみよう!」。
 最近、若い彼らを見ていたら、「言語化」の作業が足りないような気がしていて。やってみれば? というのは簡単だけれど、実際にやってみるとどうなるんだろう? というのは、ひとつ場をつくってみてもよいのではないか? とずっと考えていました。
 「意識的になる」ことで、「無意識」から生まれるいろんなことも、より生きる、とぼくはちょっと考えてもいます。

  *

 よくよく考えたら、『アフリカ』では、「ことばのワークショップ」や「作文セッション」のなかでやるようなことを、ずっとやってきているような気もします。それがなければ、おそらく生きなかっただろうと思うようなことがたくさんありますから。

 で、この手の企画は、ぼく自身、とっても興味ありますし、あまりやれる人の少ない仕事だというような感触もあり(無知なだけかもしれませんが)、今後、ちょっとひろげていきたいと思っています。

 詳細、またいろいろ報告していけたら、と思っています。

言い訳のリスト──『アフリカ』第23号(2014年8月号)の予告

 競争しない。自分で走るだけ。(中村好文)

 ずいぶん、更新が空いてしまいました。いかがお過ごしでしょうか? 今年もあっという間に、夏。世間はお盆休みだそうです。こちら、そういうのとぜ〜んぜん関係なく(?)過ごしています。ここではお伝えしそびれていましたが、今月、また「新・道草のススメ」を書いていますから、そちらもぜひご覧ください。

 さ、なにはともあれ、『アフリカ』の話を。

 『アフリカ』〜曰く「日常を旅する雑誌」〜愛読者の皆様、たいへんながらくお待たせいたしました。最新号、ようやく完成して、印刷・製本所へと旅立っています。8月25日発売という予定です。定期購読者の皆様への手元へも、その前後にはお届けできると思います。
 2006年の創刊から、2011年までは、だいたい年に2〜3回。2012年からは、隔月を目標にやってきて(それだけ出したい原稿があった)、それが昨年2013年から少し「のろく」なり、今年になってからは、1月に22号が出た以降、7ヶ月も空いてしまいました。
 で、ここから先は言い訳です。
 まずは、幼い子を夫婦で育てている編集人一家の事情が大きい。『アフリカ』は、ほとんど編集人の独裁(そうするしかない事情で)なので、編集人の都合が大きく影響してしまいます。やむをえない。ご了承いただきたく。
 ただ、今回は、それだけでなく、『アフリカ』自体が、いま、また変わろうとしている時期だということもあります。「つづける」ということは、「変わっていく」ことを是としていることだ、と話してくれた方が数名、おられます。ほんとうに、そのとおりだと思います。
 変わり目の号。考えていることを、すべて表現するには、もう少し時間が必要でした。その前に何ができるか… と考えて、いま元気な書き手のひとりにたくさんのページをさいて、特集… とまではいかなくても小特集くらいのことならできるだろう、と。
 で、声をかけたのは、高城青。
 最近の『アフリカ』では、お馴染み「エッセイ漫画」を継続して描きつづけています。
 彼女の新作──漫画、エッセイ──や、旧作の詩のほか、旧知の犬飼愛生さんによる高城青の「ひと」についてのエッセイ、下窪俊哉による高城青インタビューなんかも載ってます。こういう企画、『アフリカ』では、ありそうでなかったでしょう? インタビューは「小さい目立たない救いの話にしたかった」というタイトルですけど、いかにも『アフリカ』らしいと思いません?

 詳しいことは、また発売のころにでも。ひとまずは、目次をアップしてます。

 それにしても、光海が生まれる前の1月に出してから7ヶ月、ほんとうに長かった。とくに大きなトラブルがあったとかではないのですが… 何もなくて出来なかったので、なおさら苦しかった。トーン・ダウンしそうだった、と言えなくもないですから。今回は、なんだか「できた」という気がしません。この手の雑誌で、普通の雑誌なら、ここで終わるのかもしれません。でも、そこは『アフリカ』!(相変わらずよくわかんないけど…)しかも編集人は、危機になると張り切り出す人で… 苦し紛れのアイデアをいくつも出してくる。『アフリカ』の神さまも、「そこまで言うなら、まぁ、しゃあないなぁ」と言って、許してくれるみたいです(なんだそりゃ?)。

 何かわかりやすいテーマをたてて、それにふさわしい書き手に声をかけて、書いてもらう、という雑誌のつくり方は、いまも昔も、雑誌業界(?)の主流と言っていいでしょう。あるいは、その雑誌の読者(層)にウケそうな有名人に出てきてもらい、買ってもらう、とかね。書店やコンビニに置かれている雑誌の大半(すべて?)はそうです。また、ぼくの見ている限りだと、ミニコミ誌のような冊子も、多くがそれの真似事です。真面目な「プロ」ほど、それを踏襲するしかなくなります。逃れられなくなります。
 でも、それでは面白くない。そんなことでは、似たり寄ったりのことしかできません。内容が、つくり手にコントロールされている部分が大きくなるし。つくり手にコントロールされすぎた作品は、ほとんどの場合、完成したときには息をしていません。それでは、たとえいかにきれいに整えられたものでも、ダメだ。少なくともそれは、ここでやることじゃない。
 似たり寄ったりのことになる──時流に迎合するようなことは、商売をするうえでは、大切なことなのかもしれない。でも、時流に迎合している人たちに、自分が時流に迎合しているという認識に立ってやっている人がどれだけいるか? と思ったりもします。内容の前に「手法」が、そうなっているということに意識的な人が…
 何か、もっと、我々の生活に密着した「つくり方」をしていきたい。そのためには、そこで書いている人が、そこに書くのに必然性をもった人でないといけない。そして、有名性とかブランドとかには左右されない、たくましい「読者」を育てていきたい。
 なんて、ちょっと大きなこと(?)を言っていますけど、まだまだ、これからです。