2014年4月17日木曜日

再会、ジャック・タチ!

 顔見知りでないとき、人は直角に歩きます。知り合いのときは、カーブを描きます。(ジャック・タチ)

 光海が生まれて、1ヶ月が過ぎました。怒濤の、激動の1ヶ月、そしてその波はまだまだつづきそうですが… なんて曖昧な書き方ばっかりしていてもしょうがないですね。光海は毎日、元気に泣き、おっぱいを飲み、よく眠り、気持ちよさそうにお風呂に入り、うっとりとウンチやおしっこをして、泣き、おっぱいを飲み、ゲップをさせられ、眠り、泣き、…というくり返しで、なにはともあれ元気です。

 今日は、個人的に、いくつかのことがひと区切りして、外出支援もない日だったので、ちょっと出かけてきました。先週末からはじまった、「ジャック・タチ映画祭」へ。


 ぼくがジャック・タチを知ったのは1998年で、大学の授業中に(映画にかんする授業があったのだ)ビデオを見せられて、ものすごく惹かれた。『ぼくの伯父さんの休暇』というタイトルの白黒映画で、観ていると、「ぼくの伯父さん」の「ぼく」は出てこなくて(そのタイトルは日本でのタイトルであって、原題を訳すと『ユロ氏の休暇』という──その経緯についてはいろんなところで書かれているので省略するけれど)、海岸のホテルで休暇を過ごしている人々のなかに、「ユロ」というすっとぼけたような男が紛れ込んできて、不思議なユーモアのにじみ出す小さな事件がいろいろ起きる。
 何に感動したのか、というと、まるでサイレント映画のような伝え方をしている、その表現に、だったろう。ことば(の意味)でもって映画を動かしていこうという気がまるでない。そのくせ、「音」にはやたら凝っていて、あの有名な、不思議な音をたてるドアをはじめとするめくるめく擬音(効果音)の数々と自然音、クール・ジャズ風なメイン・テーマなど音楽が、最高に気持ちいい融合を見せて(聴かせて)いた。こりゃすごい、と。

 ジャック・タチの映画をスクリーンで最初に観たのは、その1〜2年後で、梅田の、閉館になったポルノ映画館の跡地で営業していたミニ・シアターで(そういう映画館が当日の大阪にはいくつもあった)、たしか『タチとトリュフォー』という特集上映だった。トリュフォーのほうは、『大人は分かってくれない』にはじまる「アントワーヌ・ドワネル・シリーズ」の全作。タチのほうは、『祭りの日(のんき大将 脱線の巻)』(その数年前に復元されたカラー版だったか、パートカラー版だったか覚えていない)『ぼくの伯父さんの休暇』『ぼくの伯父さん』『トラフィック』の4作に、『夜間授業』か何かの短編もかかったかな? そのときは、とにかく『トラフィック』がいかに素晴らしい作品かということの発見が自分にはあり、たぶん2回は観た。

 2003年には、『プレイタイム』の70mm修復版の上映を目玉にした「ジャック・タチ・フィルム・フェスティバル」があり、大阪でも上映されて、これまた通った。このときは、『トラフィック』の上映はなかったんじゃないかな? 『プレイタイム』は、そのときはじめて観て、すっかりその虜になってしまった。それだけで本一冊書けそうなくらい観た(書く予定はないけど)。

 たぶん、ジャック・タチの映画を、フィルムで観る機会は、そのときが最後になってしまった。今回の映画祭は、すべてデジタル。ただ、今回は全監督作(短編含め)+αが上映されるというのだから、ファンを通り越してマニアのようになっている自分としては、期待しないわけがない。どうなっているか、たのしみなような、こわいような… ですネ。しかも、初期短編『乱暴者を求む』『陽気な日曜日』、そして晩年のドキュメンタリー『フォルツァ・バスティア'78/祝祭の島』は、今回、ようやくはじめて観られる。

 で、まず何を観よう、と思って、なんとなく、ですが、『パラード』から観ることにして、行ってきました。


(※写真、真ん中=『パラード』で「交通整理」のギャグを見せるジャック・タチ)

 サーカスの一夜(撮影は三日間らしい)を撮ったドキュメンタリー風のフィクション(?)で、テレビ用に制作されたもの。日本で劇場公開されたことはこれまでなくて、ビデオでしか観る機会がなかった。
 ジャック・タチお得意の「スポーツの印象」(パントマイム)が満載で、それだけで観てもよさそうな映画なんだけど、ここでも、音のつくり方が凄まじい。もともとの音が、どこまで残されているかな。ほとんどが、オーバーダビングというか、つくられた音になっているんだけど、ひとつの組曲のようになっている。音だけで、一本の映画のようになっている、という発見をしました。

(※追記5/5)と、ここまで書いて、放り出していたものを、そのままアップします。渋谷で開催中の「ジャック・タチ映画祭」は、『プレイタイム』と『ぼくの伯父さん』を軸にした上映スケジュールで、これから行われるほかの地域の上映でどうなるかわかりませんが、「ジャック・タチの映画を観たことないけど興味ある!」という方へは、個人的には、『ぼくの伯父さんの休暇』か『トラフィック』から入っていくのがいいかな? というのがオススメです。『休暇』では、白黒映画で(「色」がないから)こそ際立つジャック・タチ映画の素晴らしさが凝縮されていて、最後のフィルム公開作『トラフィック』には、それまでのジャック・タチ映画の良さがあれこれ詰め込まれているような気がするから。もちろん、どれから観てもよいことですけどね!(訊かれることがあったので、書きました。)

2014年4月13日日曜日

ある読者──小川国夫さんのこと

 結局、小説の作者が風景描写をしたり、人物描写をしたりする必要はないのです。全身これ耳となって、ただただ登場人物の声を聞けばいいのです。そのうちに、作者は登場人物と抱き合って、彼が感じるままに我も感じるようになるでしょう。(小川国夫「耳を澄ます」)

 4月は、個人的に、忘れることのできない命日がいくつかあります。ひとつは、2008年4月8日に亡くなった小川国夫さん。冒頭に引用したのは、ちょうど、ぼくが小川さんと毎月会っていたころに書かれた随筆から。「耳を澄ます」という短い文章は、あのころ、小川さんがぼくたち若い書き手、あるいは書こうとしている人たちに語っていたことの、総括のようになっています(いまは『夕波帖』という本の冒頭に収録)。引用したのは、最後少し前の部分なのですが、このまま最後まで書き写してしまいましょう。

 考えてみると、小説の作者とは聴覚です。それから、視覚です。五感だとするのが正確かもしれませんが、しかし、五感も便宜的な分けかたですから、感覚の総括とでも言うほうがいいかもしれません。ただいに色層がにじみ合った虹のような束とでも……。虹は光を映しているだけの無ですし、五感もそうです。こう思って、それならば、小説の作者は限りなく無になろうとしているのか、と考えます。目下考えています。

 小川さんは、小説の作者とは、聴こえてきた言葉を、右から左へ写しとるだけで、なにもつくる必要はない、でっちあげるとむしろよくない、ということをくり返し語っていました。ま、そんな思い出をふり返っているより、小川国夫の著作の数々を読み返すほうが良さそうです。


 以下は、命日に、ふと思い立って書いたものを、Facebookより転載します。

 気づいたら、今日は小川国夫さんの命日ですね。今年は、あまりにバタバタしていて、先ほどまで忘れていました。
 ぼくを小川国夫の「(最後の)弟子」と言われる方がいらっしゃいますけど、「自称(最後の)弟子」はたぁ〜くさんいらっしゃるでしょうし、ただ、ぼく自身にはそれをどうこうする(書いたりとか?)つもりがない。以前、ちょっとだけ書いちゃいましたけどね(それも「周辺のこと」という感じ)。もういいかな。自分の出合った小川国夫について、個人的に、という範疇を超えて書く気はしない。たとえば、再評価云々にも、あまり興味がない(新刊書店で買えない著作の割合が高すぎるけど、それは小川国夫に限った話ではないし)。
 ただね、昨年末、吉祥寺美術学院で、ヘミングウェイの研究者と一緒に話をして! と頼まれたときには、もちろんぼくの心のなかには小川国夫がやってきていたし(そして、そのまま、その話をしました)。たとえば、文章作法の話になると(小説の話なんかでは全然なくても!)、心の隅っこで小川国夫が笑って聞いていてくれる。それでじゅうぶん! あとのことは、ま、どうでもいいです。著作にかんして、ぼくはただの一読者です。
 亡くなった、と報を受けたあの日から、もう6年がたちました。


 誰がなんといおうが、この一冊。ぼくの、なんというか、人生の一冊です。出合いは、『アポロンの島』。鮮烈でした。いまでも、まったく劣化していない(本は読みすぎて弱っていますけど、内容はいつまでも新しい)、まぶしい、まぶしい一冊。

 数年前に気づいたんですが、ぼくが故郷・鹿児島を離れて大阪へはじめて行った1998年の2月に、この講談社文芸文庫で復刊されているんですね(こういう場合は復刊とは言わないか、久しぶりの文庫化だった)。だから、書店の文庫コーナーの新刊コーナーに平積みされていたか、目立つように置かれていたはずです。それで手にとった、と。ただそれだけだったんでしょうけど。まさか、そのあと、その作者本人と、あんな交流が生まれるとは思っていません。ぼくは本来、そういうのには、あまり興味がない人だし。でも、いまとなっては、小川国夫さんだけ別格です。ある意味、最初に見た親のようなもので。
 たまに、小川さんから「下窪くん、焦るなよ」と言われていた、その声を思い出します。はい。世界一のろい人から言われると、なんとなく説得力がある。と、相変わらずのへらず口を叩きながら…
 島尾敏雄さんが朝日新聞で『アポロンの島』を紹介して、脚光をあびるのは、小川さんが38歳のとき。ぼくはいま35歳なので、まだそこまで3年ありますね。なんの話やろーか。ぼくは脚光なんてあびたくないな。あびるとしたら何であびるんだろう。道草家のほうかな。やなこった。

2014年4月6日日曜日

「Open Session♪」公開収録で、吃音の話を

 全国の仲間たち、どもりだからと自身をさげすむことはやめよう。どもりが治ってからの人生を夢見るより人としての責務を怠っている自分を恥じよう。そして、どもりだからと自分の可能性を閉ざしている硬い殻を打ち破ろう。

 どもりで悩んできた私たちは、人に受け入れられないことのつらさを知っている。すべての人が尊敬され、個性と能力を発揮して生きることのできる社会の実現こそ私たちの願いである。そして、私たちはこれまでの苦しみを過去のものとして忘れ去ることなく、より良い社会を実現するために活かしていきたい。

 吃音者宣言、それは、どもりながらもたくましく生き、すべての人びとと連帯していこうという私たち吃音者の叫びであり、願いであり、自らへの決意である。(「吃音者宣言」より)

 さて、ところで、NPO法人風雷社中のスタッフが中心になって毎月やっているネット・ラジオ「Open Session♪」の公開収録に、下窪俊哉(ぼくです)が出演します。

 で、思いつきですけど、久しぶりに吃音の話をしよう、と思ってます。


 ちょうど、吃音の調子が、最悪に近い感じで(つまり、ぼくは話しにくくてきついので)、このままいくと何も喋れずに終わるかもしれません! それも吃音の一側面なので、そのときは沈黙のパフォーマンス・アートだと思って耳を澄ましてくださいね。

 とは言いつつも、 できたら、吃音者とは何者なのか、フリーハンドに近いかたちではありますが、吃音のことをたぶんほとんど知らない、わかっていない人たちを相手に、ぼくも今一度、自分なりの整理をするよい機会にしたいと思ってます。

 公開収録は4/20(日)19時から、大田区のカフェ・レガートにて、どなたでも聴講いただけますので、どうぞお気軽に(無料ですが、ワン・ドリンクのみご注文をお願いします)。配信は5/10の予定です。

 もちろん、こっそりとでもいいから、吃音の方も来てくれたらよいのですが。もしかしたら、知らないだけで、身近におられるかもしれないですしね。

 なにはともあれ、楽しみにしています。あ、ぼくは本当にフリー・ハンドで話します。書いたものを読むのは大の苦手なので。読む場面があるかもしれませんが、それは自分の文章ではなくて、と思ってます。

「新・道草のススメ」(2014年3月)アウト・テイク集

 みんな云っとくがな、
 生まれるってな、つらいし
 生きるってな、みすぼらしいよ──
 んだから、摑まえろよ
 ちとばかし 愛するってのを
 その間にな。

(「助言」ラングストン・ヒューズ/木島始・訳)

 ここの更新は、1ヶ月ぶりになってしまいました。3月は、「新・道草のススメ」で毎日、書いていて。3/11、子が生まれる予定日に、時間があれば、2011年3月の「道草のススメ」を一部、編集・再構成して、この「道草の家の自由時間」にアップしようと少し準備しかけていましたが、見事に陣痛がはじまって、それどころではなくなってしまいました。ボツになった企画は、また来年か… さ来年か、誰に頼まれたわけでもなく、「あ、これって、やったら面白いんじゃない?」という思いつきなので、「あ、読んでみたい」と思われた奇特な方がいらっしゃれば、気長にお待ちください。

 で、ご存知のとおり、元気な男の子が生まれました。あらためまして、名前は、光海(こう)といいます。


 子が生まれ、育児に追われる日々がはじまりました。想像以上に、というより、想像とはやはり少し感触がちがうたいへんさ、苦労があります。毎日のように、「もうダメ」とか言いながら、なんとか暮らしています。
 ぼくのなかでも、自分の生活や仕事のことの、いろんな部分で、心境の変化が起こっています。やはり、また、変えていかなければな、という気持ちでいます。
 どうなりますか。ぼくは、いつも苦し紛れといっていい状態なのですが。見守ってくださっている皆さんは、ぜひ、楽しみにしていてください。ついでに、助けてもらえる方には、これまで以上に助けていただかなければならなくなると思います。もちろん、ぼくらも、いろんな意味での期待(?)にこたえていかなければなりませんが。もちろん、張り切ってやっていく! つもりです。今後は、親子3人、よろしくお願いします。

 以下、「新・道草のススメ」(2014年3月)からの、アウト・テイク集です。道草の家にすごく関心のある方のみ、ご覧ください。へへへ。


 光海のベッド。古道具屋から調達してきたカゴを、ベッドに仕立ててあります。お洒落でしょ?(と書いたら、「私も(やってた)!」という方がいらっしゃいました。)


 生まれて、まだ30分くらいの光海。生まれたときのまま、お母さんのお腹にのっています。「新・道草のススメ」に載せたコレは、この写真の直後に撮った、この時間のベスト・ショットでした。この時間を、ぼくは一生、忘れないと思います。


 生まれて2日後には退院してきた母子。で、これは検診のために、生まれて半月後には電車に乗った光海。人生初の電車、の日。これは京急、新逗子行きの車内にて。


 以前の「道草のススメ」で、お馴染みだった山手駅。駅がリニューアルしましたが、この眺めは、変わっていません。これも使おうと思って撮ったんですけど、光海の写真ばっかり載せているうちに、出番がなくなってしまいました。


 「道草の家 presents よむ会」のメイン会場のようになっているCafe Old.Bの前あたり。桜の公園と、雨あがり。


 眠りながら、よく万歳をしています。お父さん似?


 取り壊された家の、主のいなくなった跡地に、ポツンと残された桜の木。今年も咲きました。春が、また過ぎていきますね。