2014年1月8日水曜日

変わるもの、変わらないもの

 生きてゆくということはほんとうに骨の折れることである。(宮本常一)

※「オール・アバウト・アフリカンナイト」に、『アフリカ』最新号の目次をアップしています。詳細は、後日!

 さて、1月も1週間が過ぎて、いよいよ2014年が始動した! という方も多いのではないでしょうか? ぼくは『アフリカ』最新号の入稿が年を越してしまったのと(完全に休んだのは元旦だけ?)、外出支援の仕事も年末年始の休みは4日間、そんなにゆっくり休んだという気もしないまま、とっくに2014年の仕事に突入しています。


※写真:故郷・鹿児島から送られてきた、桜島の写真集になっているカレンダー(の1月、鹿児島市街から望む雪化粧の桜島)。

 数年前に、「今年の目標」がたくさん達成できた年より、ぜんぜん達成できなかった年のほうが「よい年」だったということに気づいて、「もういいや、成り行きの風に吹かれていこう!(そのかわり「成り行きの風に吹かれるセンス」は磨こう)」ということにして、「今年の目標」をたてなくなってから、思い返せば(いま、数年が何年か数えました)もう5年目です。
 5年前にそう考えた経緯については、『アフリカ』第15号(2012年7月号)の「「私たち」の生まれる場所(下)〜自分自身を助けるために、共に」で、じっくり書きました。※在庫、まだありますヨ。
 で、いま見返しているのは、『アフリカ』第14号(2012年5月号)の「「私たち」の生まれる場所(中)〜「成り行き」をどう受け取るか」です。※こちらも在庫あります。


 読み返してみて、すっかり忘れていたんだけど、2011年、「対話のツアー」と題していろんな場所に話をしていき(それは覚えていた)、その一環(?)で、吉祥寺美術学院のアトリエへ通っていたこと(いまと違って、何の用事もなく(?)通っていたのだ)、芦原陽子との出会った経緯、「当事者研究」のこと、「怒り」の当事者研究のこと、「活字の断食」のこと、そして、東京の西側で体験した東日本大震災のことが書かれている。いや〜、半分以上、忘れてましたよ。
 いろんな人に話していたことではあったけれど、ある人から「その話、そのまんまでひとつの短篇小説のようになりそうですよ」と言われたので、ためしに、書いておいたのだった。※『アフリカ』の同じ号では、木村裕「穏やかな波」をはじめ、高城青「それだけで世界がまわるなら」や鈴木永弘「震災の記憶・生きる」にも、東日本大震災の「被災地にいなかった者の震災体験」が色濃く出ている。

 そのぼくのエッセイには、ブログでよくやっている「引用」を散りばめられてもいて、この回には、吉本隆明の「食べられないんだったら、人の物を盗って食べてもいい」と言われた話や、山本ふみこさんによる「成り行き」の話、川田順造さんの(ということを忘れていて誌上では出典を間違えている)「必要最低限のものだけを身にまとっていて、それ以上を求めない。そのことが貧しいことだとは思わない」といったことば、べてるの家の向谷地生良さんの「人の評価に生きるんじゃなくて、もっと自分たちがもっているシンプルで、たいせつな大事さ、当たり前のことを取り戻していく」といったことばが引いてあります。

 けっこう、他愛ないひとことに、救われるんですね、人って。ぼくだけ? そんなことないような気がする。

 大上段に振りかぶって、問題を指摘したり、嘆いたりするのではなくて(それも、趣味的(?)にはやっていいけれど)、ちいさなこと、シンプルだけれど、「たいせつな大事さ」を、ひとつひとつ、積み重ねていって、たまたま隣に居合わせた人に「これ、どう? いいでしょ?」って言えるような、そんな仕事をしていきたい。

 で、せっかくなら、すでにあるものをつかって、いま、ないものをつくりたいよね。それは、モノではない場合も多くて、時間だったり、空間だったり、人の心持ちだったりするのだけれど…

 で、それは「よさそう」なものではなく、たとえば、人の目をひくようなコンテンツをもりこんだり、きれいに整えたり(デザインという名をかりて?)するのではなく、「これ、何?」と思いながら手にした(足を踏み入れた)ときに、心の奥のほうで、ひっそりでいいから、ぽっ、とあたたかいものが燃え、「あ、いいな」と思えるものでなければ。
 …なければ、どれだけ人から「いいね」と言われても(その多くはただ他人事のように言ってるだけのような気もするし…)、意味を、というか価値をもたないような気がしています。ひとりひとりにとっての価値が。
 そういうことを言う人が、ぼくのいく先には増えているような気もしていて、つまり、そういう人たちと話しながら、そう思っています。

 そして、その多くは、じつに面倒くさいことばっかりのような気がする。「面倒くさいな〜」と思うことに、時間や、労力や、お金や、なにより人の力を傾けないと、いよいよこの社会も危ない気がする。いや、ついそういうことを言ってしまいそうになるんだけど、「この社会」はじつは関係ないのかもしれないという気もする。「この社会」がどれだけ最悪でも、みんな生きていくし、じつは、ぼくは「社会を変える!」ということばにも懐疑的で。社会は、放っておいても、少しずつ変わっていく。「社会を変える!」という人が出てきている時点で、少しずつ変わり、動いているというふうにぼくは考える。もう、変わらないで! と言っても勝手に変わっていく。ならば、変わらないもの、そう簡単には変わらない「たいせつな大事さ」に目をむけて、どんどん移り変わっていく時代の、歴史の流れには多少意識的になりながら、多少は呑気に、いまあるものを守っていこうというほうがよいのではないか?

 いま、ぼくは、「いま、ないものをつくるほうがいいよね」と言いながら、「いまあるものを守っていこうというほうがよいのではないか?」と言っていますね。でも、それは相反しないことのような気がしているんです。

 それで、話は元に戻って、「今年の目標」の話だけど、今年は、ちょっとたてようと思います。どんな心境の変化? その話は、また追々。まずは、『アフリカ』の2014年最初の一冊を、たのしみにしていてください。

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