2014年1月3日金曜日

道草の家の2014年、お正月

 続けている人っていうのは、なにか、その使命に動かされているんだというふうに俺は思うの。(大瀧詠一)

 あけましておめでとうございます。こちら、道草の家です。


 このブログの前の更新(12/31)で書いたとおり、昨年2013年は、最後の最後で、ショッキングなニュースに呆然としながら終えました。
 大瀧詠一さんにかんして、音楽はもちろん、ラジオを通じてものすごく身近な存在で、個人的に(そのような存在は数人しかいない)ものすごく影響を受けたという感謝の気持ちがずっとあり、しかも直前まで(おそらく)元気だった人が急に亡くなったので、その衝撃は普通ではありませんでした。実際にはお会いしたことのないぼくでさえ、これくらいショックなのですから、この何十倍、何百倍の衝撃を受けて、嘆き悲しんでいる人たちがたくさんいるでしょう。
 ちょうど『アフリカ』の編集後記、何を書こうか、迷っていたところでしたが、迷っていたネタはすべて吹き飛んで、大瀧さんのこと(主にラジオのこと)を書くことになってしまいました。「リンゴを食べていて急に倒れた」ということらしいのですが、なんと、こんどの『アフリカ』は表紙は、じつはリンゴなんです。11月末には決まっていたものですが… なんとも…
 訃報記事で書かれているような通り一遍の紹介では見えない、ぼくから見た「大瀧詠一」が、少しだけ書けたかな… と思いますけど、いかんせん、まだ数日前のことなので、まだ気持ちがふわふわしていて、よくわかりません。(詳しくは『アフリカ』次号の編集後記を読んでネ。)

 とはいえ、我々夫婦は、ふたりとも元気で年を越しました。今年もよろしくお願いします!

 今年は、この家に子どもが生まれます。おおきな、おおきな1年になりそうです。まさに、「行くいのち、来るいのち」があるのですね。

 個人的な話。思い返せば、1年前は、まだ外出支援の仕事も走り出しで、新しい方針を掲げてスタートしていた『アフリカ』も何となく行き詰まり気味で(じつは、ネ)、その行き詰まりを打破しようと必死で考えたイベントが「“いま、プライベート・プレスをつくる”ということ」でした。そのあと、いろんな余波がありました。よいこと、わるいこと。いろいろあるときには、わるいことのほうが、おもくのしかかってきます。でも、あとから思い返してみれば、それは試練ではあったけれども、次へ、次へ力強く踏み出していくために、不要なものを取り除き、新しい風を吹き入れるための機会だったと思えます。


 昨年は、風雷社中の一員として、「外出支援」という仕事に、のめりこんでいった1年でした。個人的に、こんなに面白い仕事は、はじめて? というくらいで、大きな経験だったと思います。関係各位、今年も(いろんな意味で?)よろしくお願いします!(上の写真は、ぼくが編集部になって毎月つくって配っている風雷社中のフリーペーパー『ふうらいラボⅡ』通称『ふうラボ』です。)


 道草の家のお正月、お雑煮を食べたり、初詣に行ったり、と平凡なものですが、「それ、珍しいね」とご近所さんに言われたのが、ゐなり湯の「初湯」に行く、ということ。初湯、いつも通りの銭湯ですが、番台で「干支せっけん」と鎌倉の銭洗い弁天で洗い清めた5円玉が入った「開運御福銭」がもらえます。(上の写真が「干支せっけん」。いい香りです。)
 あと、今日3日は「ラーメン初め」で酔亭へ行ったりしましたが、それはまぁ、おせちばっかり食べていたらラーメンが食べたくなる、というだけですかネ?


 年を越してしまった『アフリカ』次号、来週あたり入稿の予定で、いま、最終校正に入るところです。お待たせしました!
 詳しいことは、また、来週あたりに、と思ってます。今回も力作揃いですけど、前回とはちょっと顔ぶれも、内容も、ひと味、ふた味ちがっていると思います。


 いまの社会の状況は、ただごとじゃないと感じています。誰も彼も、限りなく「手間をかけたがらない方向」に向かっていて。でもその人たちに手間をかけさせるというか、それぞれが自分にとって「本当のこと」をしてゆかない限り、なにも力を持ちえない。(田瀬理夫さんのことば)

 年末に読んでいたのは、西村佳哲さんの昨年9月の新刊『ひとの居場所をつくる』でした。ランドスケープデザイナー(どんな仕事?)田瀬理夫さんとの対話によってつくられている一冊です。
 この本のこと、明日の夜、「しむら中村の話半分だよ」というインターネットのLiveトークにゲスト出演(というか何というか)するときに、ちょっと触れられないかな〜と考えているのですけれど、どう触れたらいいかな?
 
 「まえがき」のなかで、西村さんは、

 これからの仕事と暮らしを、ただの個人的なサバイバルや、我慢くらべのような消耗戦にはしないで、ちゃんと文化を生みだしてゆくものにするにはどうすればいいんだろう?

 と書いています。そして、それは政治や経済だけで考えられるものではないのだ(「土地だとか生き物であるとか、そうした角度からも扱ってゆけるといい」)とも。

 ぼくは、同じことを、(障害)福祉にかかわる仕事を通して、また『アフリカ』を通しても、考えているような気がするのですけれど、おふたりはどうかな? なんて、そんな大上段に振りかぶっていても話がはじまらなさそうなので、最近、ぼくが「話し半分」を聞いていて、考えていたことなんかをぶつけるところからはじめようかな? でも、中村さんはどうするつもりだろう? と、よくわからないまま、ですが、正月は明けて、明日からいよいよ、ぼくの2014年の仕事がはじまるという気がして、不安にまみれつつ、でも、ちょっとワクワクもしています。

 というわけで、つづきは明日!

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