2014年1月22日水曜日

さまざまな墓標

 「正しさ」の中身は変わります。けれど、「正しさ」のあり方に、変わりはありません。気をつけてください。「不正」への抵抗は、じつは簡単です。けれど、「正しさ」に抵抗することは、ひどく難しいのです。(高橋源一郎「『正しさ』について〜『祝辞』」)

 早いもので、1月も、もう後半です。寒い日がつづいています。お元気ですか?


 『アフリカ』最新号、おかげさまで、順調に少しだけ売れて。少数の読者の皆さんに届いていっている様子です。ろくに宣伝もしてないのに(相変わらず表紙を見ただけでは何なのか全く想像できない?)、全然売れないということがないというのは、すごくありがたい(文字通り「有り難い」)ことだと思っています。ありがとうございます。
 珈琲焙煎舎でも販売開始した、と連絡が入っています。府中に(いろんな意味で)近い皆さん、よろしくお願いします。あそこの珈琲は、ほんとうに美味しいよ。初めての方でも、騙されたと思って、どうぞ。

 じつは、今年に入って、制作部数をぐっと減らしました。「在庫を抱える」ことの、スペースの問題がひとつ。あとは、「原点回帰」を目指したこと。創刊当初の部数に戻しました。なので、相当減らしました。簡単に在庫が切れるかもしれません。(もうほとんどありません。欲しい方は、お早めに!)
 『アフリカ』は、個人的な雑誌(プライベート・プレス)で、社会にたいして何かを投げかけるといった意図も野心もない、目指すのはあくまでも個人で。(というより、「社会」というのが何なのか、このアタマのわるい人は相変わらずわかってない。)
 大事なことは、ただ「生きつづける」ことなので、「生きつづける」ために、マイナーチェンジは次々とやります。今回部数を減らしたのも、その一環。なので、部数を減らしたと言っても、積極的に減らしたわけで、今年も、また、いろいろやっていこうと思ってます。

 (今年の正月、いろいろ考えて、またちょっと「自分の仕事」を見直そう、と。もっというと、「他人にやられたら悔しい」ことは何か、それから、すでにやってしまっていることにかんしては「これは他人にはできない」部分はどこか、ということを、あらためて眺めてみて、あれこれ、方針を定めました。今年、自分はムリしてウロチョロしない、という感じかな? 「しない」というより「できない」というほうが良さそうですけど…)


 風雷社中の広報紙『ふうラボ』(正式名称は『ふうらいラボⅡ』)2014年1月号もできました。トップ記事は、2/1開催の『大田区で「若者支援」の話をしよう』(at 大田区民ホール)について、細井さんへのインタビューです!


 人間は生きている。産まれたからである。生きているから息し、動き、考えるのである。息し、動き、考えているから生きているのではない。(野口晴哉)

 先週の金曜、道草の家が“誕生”する前から飼っていたベタ(熱帯魚)が亡くなりました。そんな小さな魚のことくらいで… と思われるかもしれませんけど、クワズイモが葉を落としても、「あ〜」と言って話題にする家なので、生き物の変化にはすごく敏感です。最近なんか元気ないな〜という気配は伝わってきていたのですが、ついに力尽きました。いつも傍にいると思っていた存在が、急にいなくなる、ということの寂しさ、悲しさは、小さな命ですけどあります。なので、お墓をつくってあげました。(こちらの自己満足? いや、それを「自己満足」と見ているのは、誰?)右がベタの墓で、左は、一昨年初期流産でいってしまった子どもの墓です。

 と思っていたら、こんどは身内の訃報が入ってきて。こんどは、ぼくはこの数年のことなんかじゃなく、自分の幼年時代にまで思いを馳せる時間がやってきました。

 なんだか、年末から「死」の話ばっかりしていますね。

2014年1月15日水曜日

【特集】『アフリカ』第22号(2014年1月号)

 とりあえずしゃべってみるしかないという感じだった。(片山絢也「入鋏省略」より)

 今日の関東地方は、雪の予報ですが、道草の家ではまだ降っていません。いや〜、さむいですね! いかがお過ごしでしょうか?(ストーブにあたりながら書いてます。)

 さて、『アフリカ』第22号(2014年1月号)ができました。定期購読の皆様はじめ、すでにお手元に届いている方も少なくないと思います(店頭で買ってくださっている方へはスミマセンが、これからです)。今日15日が発行日になっています。なので、ざっとご紹介を!


 表紙は、これ。先日も書いたとおり、リンゴです。今回の編集後記は、年末に亡くなった大瀧詠一さんのことを書いていますが、大瀧さんはリンゴを食べているときに急に倒れて亡くなった、と言われています。「ナイアガラ」という「場」のプロデューサーとしての大瀧さん(のエピソード)に、ぼくがどれだけ学んだか? ということを少しだけ(編集後記の1ページだけなので、今回はほんとうに少しだけ)書いてます。


 トップは、バンビ(犬)から新年のご挨拶「Happy New Year ! from Bambi」(翻訳:鈴木永弘)と、お馴染み高城青による「除夜の前、おおつごもりの日」と、新年ネタ(?)です。例によって、正月が過ぎても、関係なく年中読める内容です。
 バンビさんは年末、なんと、関節炎になっていたそうです。いまごろ、どうしてらっしゃるかな?


 今回は久しぶりに、守安涼くんの写真が、あちこちに登場します(ちなみに、このワンちゃんはバンビさんじゃないよ)。


 片山絢也「入鋏省略」は、営業の仕事のついでに嵐山散策をしている上司、部下のスケッチのような短篇です。いまの30代くらいの…という言い方はしたくないのですが、ぼくにはまったく他人事ではない、ある「仕事」観が、さりげない夜の嵐山でのひとコマと共に書かれています。
 部下である彼の「考えている」ことと、目にうつる嵐山の光景が、重なっていくのですが、読者であるぼくは、「そうだよ!」とか「それはちがうよ!」などとは言いたくない、ただ、そこにある夜の時間を共に過ごして、意味をなすことば、なさないことばをポツ、ポツと話しながら、しばらく一緒に歩いてみたいと思ってます。(くり返し読めば読むほど味が出そう?)


 黒砂水路「校正以前」の、4回目。今回は「素読み」の話です。気になる方は、ぜひ1〜3とあわせてお読みくださいね。まだ、この先もありそうですけれど…。黒砂さんが、「ゲラ」を、どのようなものに感じているか、今後深まっていくと面白いな〜と編集人は勝手に思ってます。


 芦原陽子「妊婦体験記 - 前篇」は、タイトル通り、そのまんま! ですネ。高城青のイラストとのコラボレーションです。芦原陽子は、昨年の1月号(第18号)に「光」というタイトルの小説で流産のことを書いていて、そのころにも思いましたけど、「妊娠」にかんすることも、じつは体験するまで、ほとんどなぁ〜んにも知らない状態でした。「知っているようでいて、知らない」ことは、まだまだ山ほどあるんでしょう。また、「ひとりひとりちがう」とも言えますからね。あるひとりの妊婦からみた「景色」が、いろいろ書かれてます。 
 『アフリカ』では以前、犬飼愛生さんによる「予定の妊娠」「おっぱい日記」などがありましたが、『アフリカ』の以前からのファンの皆さんは、読み返してみると面白いかも?


 今回はぼくも書いてます。下窪俊哉「「外出」という仕事」は、昨年一年間、障害福祉をめぐる仕事をしながら、ずっとあたためていた作品。
 障害をもつ(と言われる)彼らと「つきあう」仕事が、たとえば具体的にどのようなものなのか? 彼ら当事者(家族や支援者を含め)の問題とか、この社会の抱える問題をあげつらうのではなく、彼らへの「共感」と共に書いてみたい、と思っていて。ひとまず今回は、原稿のなかで、彼らと一緒に町を歩きながら、いろんなエピソードを拾い上げてみました。
 「障害をもつ」というのが、いったいどういうことなのか? という考察は、ちょっと「さわりだけ」という感じですけど、中盤以降の「ことばは得られるか?」というところが、書きながら自然とわき出してきて、キモになっているかな?


 今回のラストは、高城青のお馴染みエッセイ漫画「それだけで世界がまわるなら」〜サブタイトル「堂々と無職、のその後」です。「堂々と無職」といえば…


 昨年5月号(第19号/ヨットが表紙の号)に「堂々と無職」というのが載っていました。あれの、続編です。「堂々と無職」になることに、こんなに励まされるとはね…(あ、ひとりごとです。でもいろんなところから、同様のひとりごとが聴こえてきておりますが、笑)。「無職」だけど、じつに忙しそう。そして、本気で迷ったり考えこんだりしている人は、すごく面白い。じっとしていないしね(笑)。オススメはしませんけど、ま、なんでもいいから生きていきましょう。と、彼女はほかの誰でもない自分を励ましているのでしょうけど、それもひとつの光源になって、読んでいるこちらへ飛んでくるんですね。くり返し、読みましょう。


 今回も、たった48ページの薄い冊子の『アフリカ』ですけど、くり返し読めば読むほど味が出るはずです。くり返し読まなくても、カバンのなかに入れておくとか(お守りか! ってツッコミはありです、笑)、机の前に飾っておいて、たまに手にとってみる、表紙に手を置いてみるだけで、味が出る(?)かも。

 一家に一冊。いや、おひとりに一冊。一冊500円ポッキリです(注1:郵送の場合、送料80円が別途かかります)(注2:送料が無料になる「定期購読6冊セット」もあります)。これから一部店頭販売も、いつも通りな感じではじまる予定ですが、メールで注文して買うのがいちばん手っ取り早いです。「ほしい!」という旨とお名前、住所などメール(harumisong★gmail.com ※★を@に)でいただければ、お送りします。どうぞ、お気軽に!

 部数が少ないので、お早めに。

 本づくりでもイベントでも何でも、今年はますます「ちいさく」「少なく」をモットー(?)にしてやっていこうと思っています。どうして、そうなったか? という話は、また長くなるので、次の機会に。「ちいさく」「少なく」のぶん、近い距離感でやっていきますので、今年もまた、ゆっくりおつきあいくださいね。

2014年1月8日水曜日

変わるもの、変わらないもの

 生きてゆくということはほんとうに骨の折れることである。(宮本常一)

※「オール・アバウト・アフリカンナイト」に、『アフリカ』最新号の目次をアップしています。詳細は、後日!

 さて、1月も1週間が過ぎて、いよいよ2014年が始動した! という方も多いのではないでしょうか? ぼくは『アフリカ』最新号の入稿が年を越してしまったのと(完全に休んだのは元旦だけ?)、外出支援の仕事も年末年始の休みは4日間、そんなにゆっくり休んだという気もしないまま、とっくに2014年の仕事に突入しています。


※写真:故郷・鹿児島から送られてきた、桜島の写真集になっているカレンダー(の1月、鹿児島市街から望む雪化粧の桜島)。

 数年前に、「今年の目標」がたくさん達成できた年より、ぜんぜん達成できなかった年のほうが「よい年」だったということに気づいて、「もういいや、成り行きの風に吹かれていこう!(そのかわり「成り行きの風に吹かれるセンス」は磨こう)」ということにして、「今年の目標」をたてなくなってから、思い返せば(いま、数年が何年か数えました)もう5年目です。
 5年前にそう考えた経緯については、『アフリカ』第15号(2012年7月号)の「「私たち」の生まれる場所(下)〜自分自身を助けるために、共に」で、じっくり書きました。※在庫、まだありますヨ。
 で、いま見返しているのは、『アフリカ』第14号(2012年5月号)の「「私たち」の生まれる場所(中)〜「成り行き」をどう受け取るか」です。※こちらも在庫あります。


 読み返してみて、すっかり忘れていたんだけど、2011年、「対話のツアー」と題していろんな場所に話をしていき(それは覚えていた)、その一環(?)で、吉祥寺美術学院のアトリエへ通っていたこと(いまと違って、何の用事もなく(?)通っていたのだ)、芦原陽子との出会った経緯、「当事者研究」のこと、「怒り」の当事者研究のこと、「活字の断食」のこと、そして、東京の西側で体験した東日本大震災のことが書かれている。いや〜、半分以上、忘れてましたよ。
 いろんな人に話していたことではあったけれど、ある人から「その話、そのまんまでひとつの短篇小説のようになりそうですよ」と言われたので、ためしに、書いておいたのだった。※『アフリカ』の同じ号では、木村裕「穏やかな波」をはじめ、高城青「それだけで世界がまわるなら」や鈴木永弘「震災の記憶・生きる」にも、東日本大震災の「被災地にいなかった者の震災体験」が色濃く出ている。

 そのぼくのエッセイには、ブログでよくやっている「引用」を散りばめられてもいて、この回には、吉本隆明の「食べられないんだったら、人の物を盗って食べてもいい」と言われた話や、山本ふみこさんによる「成り行き」の話、川田順造さんの(ということを忘れていて誌上では出典を間違えている)「必要最低限のものだけを身にまとっていて、それ以上を求めない。そのことが貧しいことだとは思わない」といったことば、べてるの家の向谷地生良さんの「人の評価に生きるんじゃなくて、もっと自分たちがもっているシンプルで、たいせつな大事さ、当たり前のことを取り戻していく」といったことばが引いてあります。

 けっこう、他愛ないひとことに、救われるんですね、人って。ぼくだけ? そんなことないような気がする。

 大上段に振りかぶって、問題を指摘したり、嘆いたりするのではなくて(それも、趣味的(?)にはやっていいけれど)、ちいさなこと、シンプルだけれど、「たいせつな大事さ」を、ひとつひとつ、積み重ねていって、たまたま隣に居合わせた人に「これ、どう? いいでしょ?」って言えるような、そんな仕事をしていきたい。

 で、せっかくなら、すでにあるものをつかって、いま、ないものをつくりたいよね。それは、モノではない場合も多くて、時間だったり、空間だったり、人の心持ちだったりするのだけれど…

 で、それは「よさそう」なものではなく、たとえば、人の目をひくようなコンテンツをもりこんだり、きれいに整えたり(デザインという名をかりて?)するのではなく、「これ、何?」と思いながら手にした(足を踏み入れた)ときに、心の奥のほうで、ひっそりでいいから、ぽっ、とあたたかいものが燃え、「あ、いいな」と思えるものでなければ。
 …なければ、どれだけ人から「いいね」と言われても(その多くはただ他人事のように言ってるだけのような気もするし…)、意味を、というか価値をもたないような気がしています。ひとりひとりにとっての価値が。
 そういうことを言う人が、ぼくのいく先には増えているような気もしていて、つまり、そういう人たちと話しながら、そう思っています。

 そして、その多くは、じつに面倒くさいことばっかりのような気がする。「面倒くさいな〜」と思うことに、時間や、労力や、お金や、なにより人の力を傾けないと、いよいよこの社会も危ない気がする。いや、ついそういうことを言ってしまいそうになるんだけど、「この社会」はじつは関係ないのかもしれないという気もする。「この社会」がどれだけ最悪でも、みんな生きていくし、じつは、ぼくは「社会を変える!」ということばにも懐疑的で。社会は、放っておいても、少しずつ変わっていく。「社会を変える!」という人が出てきている時点で、少しずつ変わり、動いているというふうにぼくは考える。もう、変わらないで! と言っても勝手に変わっていく。ならば、変わらないもの、そう簡単には変わらない「たいせつな大事さ」に目をむけて、どんどん移り変わっていく時代の、歴史の流れには多少意識的になりながら、多少は呑気に、いまあるものを守っていこうというほうがよいのではないか?

 いま、ぼくは、「いま、ないものをつくるほうがいいよね」と言いながら、「いまあるものを守っていこうというほうがよいのではないか?」と言っていますね。でも、それは相反しないことのような気がしているんです。

 それで、話は元に戻って、「今年の目標」の話だけど、今年は、ちょっとたてようと思います。どんな心境の変化? その話は、また追々。まずは、『アフリカ』の2014年最初の一冊を、たのしみにしていてください。

2014年1月4日土曜日

【告知】「しむら・中村の話半分だよ」新春放談で喋ります!


 この曲には始めも終わりもない。(武満徹)

 前の記事の最後にも書きましたが、本日1/4(土)19時から約2時間、「しむら・中村の話半分だよ」に、道草くんこと下窪俊哉がゲスト出演します。題して「新春放談〜すき焼きは煮こまないで」だそうですが、ようするに、すき焼きをたべながらお喋りしているのを生放送しよう、ということらしい。

 Live中継は、コチラで見られます。

 同時間帯、最新情報は主に、風雷社中の代表で、番組のプロデューサー兼出演者・中村和利さんのTwitterでチェックできます。たぶん。

 ぜひ見にきてくださいネ。

 どんなおもしろい話をするのか! は知りませんが、日ごろ「障害福祉」にどっぷり(?)なふたりをたのしい道草(?)に誘おうと思います。オタノシミニ!

2014年1月3日金曜日

道草の家の2014年、お正月

 続けている人っていうのは、なにか、その使命に動かされているんだというふうに俺は思うの。(大瀧詠一)

 あけましておめでとうございます。こちら、道草の家です。


 このブログの前の更新(12/31)で書いたとおり、昨年2013年は、最後の最後で、ショッキングなニュースに呆然としながら終えました。
 大瀧詠一さんにかんして、音楽はもちろん、ラジオを通じてものすごく身近な存在で、個人的に(そのような存在は数人しかいない)ものすごく影響を受けたという感謝の気持ちがずっとあり、しかも直前まで(おそらく)元気だった人が急に亡くなったので、その衝撃は普通ではありませんでした。実際にはお会いしたことのないぼくでさえ、これくらいショックなのですから、この何十倍、何百倍の衝撃を受けて、嘆き悲しんでいる人たちがたくさんいるでしょう。
 ちょうど『アフリカ』の編集後記、何を書こうか、迷っていたところでしたが、迷っていたネタはすべて吹き飛んで、大瀧さんのこと(主にラジオのこと)を書くことになってしまいました。「リンゴを食べていて急に倒れた」ということらしいのですが、なんと、こんどの『アフリカ』は表紙は、じつはリンゴなんです。11月末には決まっていたものですが… なんとも…
 訃報記事で書かれているような通り一遍の紹介では見えない、ぼくから見た「大瀧詠一」が、少しだけ書けたかな… と思いますけど、いかんせん、まだ数日前のことなので、まだ気持ちがふわふわしていて、よくわかりません。(詳しくは『アフリカ』次号の編集後記を読んでネ。)

 とはいえ、我々夫婦は、ふたりとも元気で年を越しました。今年もよろしくお願いします!

 今年は、この家に子どもが生まれます。おおきな、おおきな1年になりそうです。まさに、「行くいのち、来るいのち」があるのですね。

 個人的な話。思い返せば、1年前は、まだ外出支援の仕事も走り出しで、新しい方針を掲げてスタートしていた『アフリカ』も何となく行き詰まり気味で(じつは、ネ)、その行き詰まりを打破しようと必死で考えたイベントが「“いま、プライベート・プレスをつくる”ということ」でした。そのあと、いろんな余波がありました。よいこと、わるいこと。いろいろあるときには、わるいことのほうが、おもくのしかかってきます。でも、あとから思い返してみれば、それは試練ではあったけれども、次へ、次へ力強く踏み出していくために、不要なものを取り除き、新しい風を吹き入れるための機会だったと思えます。


 昨年は、風雷社中の一員として、「外出支援」という仕事に、のめりこんでいった1年でした。個人的に、こんなに面白い仕事は、はじめて? というくらいで、大きな経験だったと思います。関係各位、今年も(いろんな意味で?)よろしくお願いします!(上の写真は、ぼくが編集部になって毎月つくって配っている風雷社中のフリーペーパー『ふうらいラボⅡ』通称『ふうラボ』です。)


 道草の家のお正月、お雑煮を食べたり、初詣に行ったり、と平凡なものですが、「それ、珍しいね」とご近所さんに言われたのが、ゐなり湯の「初湯」に行く、ということ。初湯、いつも通りの銭湯ですが、番台で「干支せっけん」と鎌倉の銭洗い弁天で洗い清めた5円玉が入った「開運御福銭」がもらえます。(上の写真が「干支せっけん」。いい香りです。)
 あと、今日3日は「ラーメン初め」で酔亭へ行ったりしましたが、それはまぁ、おせちばっかり食べていたらラーメンが食べたくなる、というだけですかネ?


 年を越してしまった『アフリカ』次号、来週あたり入稿の予定で、いま、最終校正に入るところです。お待たせしました!
 詳しいことは、また、来週あたりに、と思ってます。今回も力作揃いですけど、前回とはちょっと顔ぶれも、内容も、ひと味、ふた味ちがっていると思います。


 いまの社会の状況は、ただごとじゃないと感じています。誰も彼も、限りなく「手間をかけたがらない方向」に向かっていて。でもその人たちに手間をかけさせるというか、それぞれが自分にとって「本当のこと」をしてゆかない限り、なにも力を持ちえない。(田瀬理夫さんのことば)

 年末に読んでいたのは、西村佳哲さんの昨年9月の新刊『ひとの居場所をつくる』でした。ランドスケープデザイナー(どんな仕事?)田瀬理夫さんとの対話によってつくられている一冊です。
 この本のこと、明日の夜、「しむら中村の話半分だよ」というインターネットのLiveトークにゲスト出演(というか何というか)するときに、ちょっと触れられないかな〜と考えているのですけれど、どう触れたらいいかな?
 
 「まえがき」のなかで、西村さんは、

 これからの仕事と暮らしを、ただの個人的なサバイバルや、我慢くらべのような消耗戦にはしないで、ちゃんと文化を生みだしてゆくものにするにはどうすればいいんだろう?

 と書いています。そして、それは政治や経済だけで考えられるものではないのだ(「土地だとか生き物であるとか、そうした角度からも扱ってゆけるといい」)とも。

 ぼくは、同じことを、(障害)福祉にかかわる仕事を通して、また『アフリカ』を通しても、考えているような気がするのですけれど、おふたりはどうかな? なんて、そんな大上段に振りかぶっていても話がはじまらなさそうなので、最近、ぼくが「話し半分」を聞いていて、考えていたことなんかをぶつけるところからはじめようかな? でも、中村さんはどうするつもりだろう? と、よくわからないまま、ですが、正月は明けて、明日からいよいよ、ぼくの2014年の仕事がはじまるという気がして、不安にまみれつつ、でも、ちょっとワクワクもしています。

 というわけで、つづきは明日!