2014年12月30日火曜日

〈からす〉の共演

 ことばとは、行動である。(スタニスラフスキー)

 こちらの更新が滞っていました。2014年も明日まで、という12/30の夜に書いています。ぼくは今日がいちおう仕事納めでした。「いちおう」というのは、今年もまた残してしまった宿題がイロイロあるから… 年末はあまりの多忙さに年賀状にもまったく手がつけられていない状況で、この際、開き直って、お正月の挨拶ではなく、お正月の様子を知らせる媒体にすれば面白いんじゃない? なんて思いついているところです。まー、ようは言い訳です。


 いろいろお伝えしてきたとおり(詳しくは「道草の家・ことのは山房」のサイトをご覧ください)、この12月、絵本『からすのチーズ』を無事に発売することができました。どんな本なの? をじっくり書く暇もなく、ここまで過ごしてしまいました。

 が、おかげさまで、発売から半月、予想を超えるたくさんの反響があり、ご愛読いただいている皆様へは心から感謝、です。素晴らしい作品だという確信はあるのですが、ぼくがよいと思うものが多くの人に受け容れられるかというと… 正直、不安が大きくて。
 でもふたを開けてみると… ぼくが夏にこの作品を「発見」したときの感触は、読む人にはしっかり伝わっているという気がしています。
 制作にかんする経緯は、数日前に完成したばかり(定期購読の皆様へは発送中、もうそろそろつくころかな?)『アフリカ』第24号(2015年1月号)に少し書いています。
 12/13に、『からすのチーズ』を先行販売したときに、販売ブースに子どもたちがやってきて、絵本を手にとって楽しそうにしているのを見て、なんかね、涙が出そうでした。しかしね、じつはこの絵本、大人が読んでもすごくいいです。大人にこそ読んでほしい、という気すらしています。

 スペシャル・セットは、みんな買ってくださっているので、もしかしたら売り切れが近いかも。欲しいと思っている方は、ぜひお急ぎください。

 今年は、いろんな意味で、とてもとても大きな飛躍の一年になったかもしれません。ま、そんなことや、あんなことも、年が変わってから、ゆっくり書くことにいたしましょう。いやー、今年もつかれたなー。お正月くらい、少しはのんびりしようと思います。今月、また毎日書いている「道草のススメ」は、1月もつづきます。『アフリカ』は1月号だものね。「プロモーション」と称して今回はもうひと月、書きます。

 来年もひきつづき、よろしくお願いします。よいお年を。

2014年10月24日金曜日

【お知らせ】しむらまさと絵本『からすのチーズ』──12月発売予定!

 表現したいことがある人のまわりには、かならず小さなマーケットがある。(ビル・アトキンソン)

 秋もしだいに深まってきました。いかがお過ごしでしょうか。

 このブログの前回の更新分(9月末)の最後で、こんなことを書きました。

 10月は、またいろいろと新しい動きがあると思います。ここで発表することもいくつかありそう。どうぞお楽しみに。というか、自分も楽しみです。

 なんとも、もったいぶった書き方になっておりましたけど、話が具体的に動き出して、スペシャル・サイトなるものをつくったので、お知らせします。

 題して、「しむらまさと絵本『からすのチーズ』スペシャル・サイト


 ウェブ・デザインは借り物みたい(?)ですが、中身はホンモノです。

 「アフリカキカク」を、雑誌『アフリカ』だけでなくて、「ちいさな本」をつくり「らしい」感じでお届けしていく出版レーベルにしていこう、という計画は以前からありました。
 この数年、「これを本にしたい」と思えるものが、ぼくの回りに、「アフリカキカク」のまわりに、次々と現れていたから。
 ただ、日々の仕事や、『アフリカ』に追われて、なかなか手が回らなくて。

 そんなある日、数ヶ月前だったか、「外出支援」の仕事で大田区へ行ったときに、あるファイルを出してきて、「これ、本にならないかなぁ」ってつぶやいた方がいて、それがしむらまさと君のお母さんでした。

 彼は今年になってから、ひとりで(いちおうぼくが「支援者」としてついてはおりましたけど)道草の家へ泊まりに来たこともありました。しむら家と道草の家とは、公私を超えた付き合いです──という前に、しむら家は仕事云々を超えていろんな人が出入りしてご飯を食べたり、お喋りしたりしている、街のなかにひっそり存在する「森のイスキア」のような場所(言いすぎたかな)で、ぼくはそこに出入りしているひとりなんですね。

 で、ぼくはそんなファイルが存在することを、そのときはじめて知って、「やりましょう!」と。なにより、そこに書かれている「絵本」が、いかにもまさと君らしい、爽快な内容だったから、というのが大きかった。イソップ童話の教訓めいた話を爽やかに吹き飛ばす、シンプルないい作品です。

 今回、「アフリカキカク」の本としてつくりますが、きっかけとなったファイルをつくったのも、絵本のデザインを行うのも、著者が参加する「ワークショップノコノコ」の荻野夕奈さん。じつはぼくは荻野さんの展覧会にも足を運んで、ずっと注目していたので、今回のコラボレーションの実現を楽しみにしていました。

 じゃあ下窪俊哉は何をするの? って話ですけど、プロデューサーというか、雑用全般というか。
 出版レーベル「アフリカキカク」は、自分の作品とか、『アフリカ』の作品を本にしたいだけのものではないので(それもやると思うケド)、しむらまさと君の絵本が最初の本になるのは、全然おかしいことじゃないし、むしろふさわしい、自然な流れだと思っています。

 詳細はこれから徐々に出していきますけど、価格は1000円(前後)を予定していて、コンサート会場とか、珈琲屋、パン屋など、また本屋以外の場所で売るのがメインになりそう(あくまでも予定)。もちろんネット販売もする予定です。

 ひとまず第一報まで! ぜひご期待ください。

2014年9月30日火曜日

生存報告(2014年9月)

 われわれがほかの人びとに与えることのできる最大の名誉のひとつは、その人をあるがままの姿で見ることだ。(シヴァ・ナイポール)

 また少し間が空いてしまいました。いかがお過ごしでしょうか。もうすぐ10月になりそうなので、その前に、少しだけおお蔵入り(?)しそうな写真をアップしておきましょう。道草の家の我々を普段から応援してくださっている皆さまへ向けた近況報告?


 『アフリカ』第23号(2014年8月号)をお買い求めいただいた皆さま、買ってはいないけど某所で読んだよ! という皆さま、雑誌を手にとってご覧くださった、すべての方々へ感謝、です。ただもう少し残っているはずです。ぼくの手元には、残り10数冊。アフリカキカクの拠点である珈琲焙煎舎(府中市)と、高城青の手元にも少しは残っているはずです。もう少し買えるところを増やしてよ! という声もいただいておりますが、面倒な雑誌で、本当に気に入ったところがないと行かないそうです。気長にお待ちください。諦めたころに、え? という展開があるカモ?


 珈琲焙煎舎は、もうすぐ3歳の誕生日を迎えます。この人が3歳じゃないよ(え? わかってる?)。店主、いつもありがとう。3年、つづける、しかも当初のコンセプト(やら何やらイロイロサマザマなこと)からブレずに頑固につづける、というのは、けっこうたいへんなことだ、とぼくは思ってます。この3年のアフリカキカクは、珈琲焙煎舎なしでは考えられませんでした(もともとは、たまたま近所に住んでいたという理由でしたっけ?)。これからもよろしくねー!


 その焙煎舎がある府中市、府中駅前の並木道は相変わらず… ではありません。並木道は無事ですが、府中駅前のステキな路地街はゴッソリ取り壊され、ショッピングモールか何かを建設中。いわゆる再開発っちゅーやつですな。なんという暴力的な街のつくりかえ方でしょうか? ぼくには馴染みの深い大阪のあべの橋筋も似たようなことになっており、さみしい思いをしています。経済効果? いまさら誰がそんな夢みたいなこと考えてんだ? 情けないですワタクシは。なるだけ行かないようにしたい。けど、いつか気になって行くだけ行ってみるのでしょうね。うーん。


 ダイバーシティ工房「READYFOR?キックオフイベント」は、満員御礼、でした(クラウドファンディング「発達障害の中高生に、社会性を育てるプログラムを届けたい!」の30万円も早々に達成していますが、残り1日です)。
 イベント内「ことばのワークショップ」は、戸惑い、疑問がまざり合う生々しい時間になっていた。なので結果、ぼくも一緒になって戸惑い、疑問にまみれ。でも、ちょっと「ゆる」すぎたかなぁ、という反省もありました。「ワークショップ」は、「風任せ」ではないのですが、それをどう言えば伝わるだろう? と終わってから考えていました。ぼくも勉強が足りません。
 就労移行支援「ユースキャリアセンターフラッグ」柴田泰臣さんの話、すごく勉強になりました。
 就労の際、自分の「障害」を「オープン」にするか「クローズ」にするかに関係なく、なんとかなる方と苦労する(←なんとかならないとは言わない)方のちがいの分析、「ほんとうに大変な方は人とのつながり、家族とのつながりすら希薄」といった改めての指摘や、「何より自分にとって大切な人から大切にされること」というメッセージ。「可能な人は、いわゆる健常者のものまねの練習をする」という提案(?)──つまり、「表面」をふるまうことができればそれだけで有利になることがある、それは処世術で、その人の本質を変えるものではない──など。
 自分としては、「等身大の自分を知る」ということのお手伝い(?)が、ワークショップという場づくりで、できればよいなぁ、などと考えました。が、「等身大の自分」って? 「自分」を大きくとらえることができればよいのかなぁ。

 市川での「ことばのワークショップ」は、10月から本格的(?)にはじまります。


 大田区を拠点にした「「外出」という仕事」も継続してやっています。この写真は、公私共にお世話になっている“まーちゃん”(“画伯”です)の母の誕生会をやったときのひとコマ。ぼくは少し顔を出した程度でしたけど、たのしかったなぁ。“まーちゃん”のことは、これから年末にかけていろいろ書くことになりそう。ワクワクする話なので、ご期待ください。


 その画伯からいただいたお皿。いいだろ〜。羽ばたいてます。なんだか励まされるよう。なので、お皿としては使わず(もったいなくて?)、道草の家の2階の、ぼくが作業する横のテーブルに置いて眺めながら仕事してます。ありがとう!


 大田区、吉祥寺、市川、府中と飛び回っているようですが、住んでいるのはもちろん変わらず横浜の、道草の家です。これはうちの最寄りの山手駅。仕事から帰ってきたところで、昼と夜の境目の、なんかいい写真が撮れたので。


 9月中旬からは、少し体調を崩したり(ことのはさんも調子が悪くて)、吃音の調子が最悪だったり、気分的にもなぜか沈んでいて、どうしたもんか? と少し悩みましたが、悩んでもどうしようもないことは悩んでも仕方がないので、開き直って過ごしていました。
 そんなとき、吉祥寺美術学院のアトリエでの毎週の授業は、自分にすごく良い波をくれています。
 センター試験までは、早くも残り4ヶ月。授業は、実戦へ向けた対策へと徐々に入ってきていますが、アトリエからは、単なる国語教師の役を超えて、学生の「創作」とか「表現」にかんするヒントを毎週持っていき、場合によっては学生より先に先生が「すごく参考になる」ような資料(ネタは書籍に限らず、新聞、小冊子、フリーペーパー、チラシ、レコードのライナーノーツ、ジャンル不特定のものまで、多岐にわたるのですが)を提供しているのがすごく評価されていて。ぼくとしては、それは「課外活動」ではあるものの、じつは彼らにとってはそっちが本分(本業?)で、授業そのものより、授業後の語り合いのほうが長くなったりすることも?
 9月のある週、自分に余裕がなかったので、たいした準備ができなくて、出かける前に、本棚(というよりも、本が大量に放り込んである押し入れ)を眺めて、ふっと目についたこの(上の写真の)本を持っていきました。青山南さんの『短編小説のアメリカ52講』という本。ぼくはもとになった本も読んで持っていて、ついでに(そのさらに元になった)雑誌連載時も毎月読んでいた。この本には、アメリカの大学における創作科(小説を書くことを教える場、いわゆるワークショップ)にかんするいろんなことも書かれていて。
 今回はその本から、ジョン・ガードナーが「良い教師と悪い教師」について並べている箇所とか(たとえば、「あまりにもワークショップ的なワークショップはダメである」だって、そうね、笑)、ジョン・アービングがカート・ヴォガネットに教わったけどヴォガネットは「干渉しない主義」だったとか、いろんな意見を言う人がいて、その背景にはあれこれあるんだって話を一緒に読んだりした。
 大学での「ワークショップ」のような場にたいしては、いろんな意見があるだろうけれど、小川国夫からのぼくらへのラスト・メッセージにもあったように、安心して小説の(美術の)話ができる「国」も必要で(ビジネスなど酷悪だという人ばかりのなかにいたら若いビジネスマンは耐えられない、それと同じ?)、どんなひどいワークショップでも、心理的理由により、ないよりはマシである、とガードナーは言ったそうな。
 で、ふっと思いついて、学生たちに「先生がどんな教え方をしているか、に着目したことある?」と訊いてみたりもしました。


 さてさて、お待たせしました。光海(こう)は、生まれて半年が過ぎました。はやいねぇ。すっかり大きくなって。毎日、元気に泣いてお母さんを困らせているそうです。まだ“ハイハイ”はしておりませんけど、もうすぐしそうな感じ? お父さんに“たかいたかい”をされるのが好きです。ハイ。彼を見ると、ぼくは救われる気がします。そんなもんですかねー?


 子育て、たいへんですけど、あのね、やっぱりかわいいです。未熟な父母だけど、周囲の人たちに助けられながら何とか暮らしています。生きていくために一番大事な技術(?)は、「助けを求めることができる」ようになることなんじゃないかと思ったりもして… 毎日のように「もうダメだー」とこぼしてます(?)が、あたたかい目で見守ってやってください。


 先日は大雨で、広島で信じられないような土砂災害があり、たくさんの死者を出して。数日前には岐阜〜長野の県境にある御嶽山の突然の噴火があり、たくさんの人が遭難死をしてしまいました。どちらも、いつ自分の身に起きてもおかしくないような、ショッキングな出来事で。幼い子供が誘拐されて殺されたり、自分と同世代の音楽家が自死したり、そういうニュースもショッキングで、いろいろ考えておりますけど、今回のふたつの自然災害は、それらのショックを遥かに超えていました。いま、我々は、“自然”をどう捉えているか、問われているような気がします。“自然”を制圧して、コントロールしようとしてきた結果が、この社会なのだとしたら… 自分たちがいかに無力か、もう少し自覚したほうがよいのではないか、とか。そうすれば、いろんなことが少しはマシになるんじゃないか、とか。火山のことも、ぼくは幼いころから火山のある街で過ごしてきたのに、けっこう知らないことだらけで、ニュースを見るのにもすごく勉強になります。勉強しないでニュースを見たら、いかに噓が多いか、ということにもずっと注目しています。


 10月は、またいろいろと新しい動きがあると思います。ここで発表することもいくつかありそう。どうぞお楽しみに。というか、自分も楽しみです。

 道草の家では、この夏に買った蚊帳を、相変わらず吊って寝ています。蚊帳を吊ると光海がぐっすり眠れるようで、ことのはさんは「年中でもいい」と言っておりますが、案外それもいいかも?

2014年9月5日金曜日

「ことばのワークショップ」(2014年8月30日)報告記

 宇宙のあらゆる場所で、人を含むあらゆる生物(もしくは鉱物、浮遊物とかも)が、それぞれの孤独を抱え、確実な受信の当てもなく、発信を続けている。そして何もそれは、悲壮感漂うことではない。(梨木香歩『水辺にて』)

 9月になりました。こちらは秋のような日がつづいておりましたが、昨日あたりから、また少しずつ蒸し暑さが戻ってきています。とはいえ、着実に秋に向かっています。いかがお過ごしでしょうか?

 8月は、3月につづいて、「新・道草のススメ」を1ヶ月間、書きました。個人的には、書きはじめたときには想像もしなかった出来事もあり、いろいろな心の動きがあって、忘れられない月になりました。と、そこまでは読んでいるだけでは、わかりづらいかな? とは思いますが、ひきつづきアップしておきますので、え? やってたの? という方はぜひご覧ください。

 『アフリカ』最新号(第23号/2014年8月号)は、もちろん9月になっても10月になっても(なくなるまで)販売中。


 相変わらず、地味に一冊、一冊、売れています。お買い求めいただいた方々、いつもご愛読いただいている方々へ、ありがとうございます。こちらはすでに次号の原稿を読んでいる最中で、新しい試みにも、少しずつ手が出ているところです。しばらく停滞気味だったと自分では思っているのですが、ようやく、動き出すことができています。

 8月末には、ここでも少し触れていた「ことばのワークショップ」の最初のイベントをやりました。


 今回は、NPO法人ダイバーシティ工房(市川市)が運営する、ふたつの塾──スタジオPlus+と自在塾の中高生がターゲットです。
 スタジオPlus+に通っている人たちは、いわゆる“発達障害”をもつ人たち。“発達障害”とは何か? スタジオPlus+のサイトをリンクしておきましょう。今回は、“発達障害”の人も、そうじゃない人も集まってくれました。顔を合わせたら、みな、そこでは対等なメンバーになります。

 今回のワークショップ、開始前に、準備してあったテーブルや椅子を、すべて教室の隅に追いやって、ガランとしたスペースづくりからはじめました。会場となったスタジオPlus+市川中央教室には、さまざまな形や色をした椅子が、いろいろあります。到着した人は、好きな椅子を持って、教室の真ん中付近に集まって好きに過ごしていてください、ということにしました。そこから、ワークショップははじまっています。

 当日は、こんな“しおり”も配りました。シャレてるでしょ?


 さすが、魅力的な問題(?)を抱えたメンバー、時間通りにたどりつけない人、スタッフが電話をかけてようやく起きられて、走って向かってきた人、そういう人もいました。まだ到着していない人も数名いましたが、ぼちぼちはじめます。(最終的には6人、スタッフも合わせて9人のワークショップになりました。)

 まずは、企画者、ファシリテーターであるぼくの自己紹介から。まずは、自分は吃音者で、スムーズに喋ることができないこと、だから時間通りに進めることが(じつは)苦手なこと、など、自分の“弱み”の紹介から。
 そして、「ワークショップって何?」という話。「ショップって、店だよね?」と言った人がいました。「では、ワークは?」というと、「仕事かな?」。そんな話から。
 ワークショップとは? いろんなニュアンスで使われるようですけれど、ここでは、「先生が教える」のではなく、「みんなで学ぶ」時間や場のこと。なので、ぼくは先生ではありません、ワークショップには先生はいません。なんてことを言ったら、スタッフも一緒になってポカンとしていたようでした(笑)。

 そこからワークショップの本編。同じ塾に通う人同士でも、じつははじめて会う人たちばかり、とのこと。自己紹介からやりましょう、と。自己紹介というと、なんだか堅苦しい気がして、当日は「お互いのことを話す時間」と言っていました。

 名前と、最近興味があること、とか、マイ・ニュースを少し話してください、ということにしてお喋りをはじめたら、好きな色について語りはじめる人、アルバイトの体験談を話す人、遠くから引っ越してきたことを話す人、自分の性格について話す人、いろんな話がでました。これだけでも、けっこう面白い。

 それからその日のメイン・テーマは、「音を聴いて、何か書いてみよう」というもの。

 ぼくの準備して行った“自然音”のCDから、リクエストを募って、マレーシアのジャングルの一日を編集した7分ほどの音に、全員で耳を傾けました。

 そのあと、紙とペンを持って、各自、教室のなかの好きな場所(個別ブースや、歓談のできるテーブルが散らばっている)に行って、短い作文をします。

 その作文のあとの語り合いは、とっても自由で、充実したものになりました。今回は短い時間でしたから、じゅうぶんには書けなかったでしょうけれど、短い時間で、パッと出てきたものを書きとめるという作業は、じつはかなり面白いものです。

※今日は時間がなくなったので、ここまで。つづき、また書きます。

※最後にお知らせですが、今後つづけていく「ことばのワークショップ」の「発達障害の中高生向けのSSTプログラム」にかんして、「READYFOR?」での寄付募集がはじまっています。

 今回は「30万円」という数字を掲げてあります。けれど、もちろん見定めている目標はその先、持続的な「場」や「プログラム」を育てていくこと。関心をもっていただける方にはいろんな方がいて、そこにはいろんな応援の仕方──かかわり方があると思います。

 まずは、ぜひご覧ください。私自身、今回「ことばのワークショップ」を通して、彼らのあたたかい「場」に触れ、堅実な仕事ぶりを感じていて。よいパートナーになれたらいいなぁと思っています。何よりも、集まっている「人」たちが、何だかいいんですよ!

 9/13(土)には、今回の「READYFOR?」にからめて(一般向けの)イベントも開催して、私はワークショップの縮小版を実際にやる予定になっています。

2014年8月28日木曜日

【特集】『アフリカ』第23号(2014年8月号)

 今のわたしは、滔々と続く大きな力そのものを「神さま」と感じている。それは自然であったり、自分の力が到底及ばないもの全てであるとも言える。(高城青「とうとうと神さま」〜『アフリカ』第9号/2010年5月号)

 さて、おまたせしました。『アフリカ』最新号(第23号/2014年8月号)、本日、珈琲焙煎舎にて発売。焙煎舎の「のんびり日記」でも触れてもらってます。店主、よろしくお願いします!
 定期購読の皆さんや関係各位へは昨日あたりから届きはじめて、遠方の鹿児島、沖縄などの方へも今日あたり届くころと思われます。今回も、どうぞ急がず、ゆったりページをめくってみてください。もちろん、ざっと流し読みもできますが、ゆっくり読むのがオススメです。


 さ、なんでしょう? “セイウチ”号です(左は貝、三崎の海岸で拾ってきたもの)。「さんざん遅れておいて、悪そうな目つきがいいね」なんて言った人がおりますが。今回もいつも通り、向谷陽子の切り絵が飾ってあります。今回はけっこう難しい作品だったようですが、力作です。実物でじっくりご覧ください。

 雑誌の表紙には、執筆者たちの名前とか作品名とかが書き連ねてあるのがぼくは嫌いなので(多くがやっていることはできるだけやらないというテーマがありまして)、このように雑誌名と、発行月だけ。おかげで、何の雑誌なのか、表紙を見ただけではサッパリわからない、なかなか売れない、という苦労をすすんで買うことになっています。
 でも出会う人はしっかり出会って買ってくれます。
 定期購読は嫌で、毎回注文して、「待つ」のが楽しみだ、なんて言う方もいらっしゃいまして、それはすごーく『アフリカ』の読者らしい読者だと感心して見ております(笑)。
 すべての読者の方へ、いつもありがとうございます。

 今回は、予告通り、「お詫び広告」からはじまります。それはまぁ、手にとって、見てのお楽しみ、ということで。


 何度も申し上げているとおり、今回は高城青を大きくフィーチャーしています。青さんのファンの皆さん、お待たせしました。そういう方はきっと、エッセイだろうが小説だろうが詩だろうが漫画だろうが、何でも同じように(?)読んでいる方だろうと思います。本人は「自分のばっかりこんな載せて大丈夫やろーか?」と不安がっておりますが、大丈夫、きっとそういう偏りのない読者が『アフリカ』を真ん中で支えてくださっていると思うので。ある意味では、下窪俊哉より『アフリカ』らしい書き手ですよ。と、編集人は自信をもってお届けします。

 まずは、エッセイ(本人が言うところの「文字」)とイラスト。「らせん見る夢」は、高城青の“創作”活動の原点といま、を書いています。


 下窪俊哉「さまざまな歌」。ぼくは今回、久しぶりに掌編小説というか、絵でいうところのスケッチのような小さな作品を書いています。「高城青と、あとひとり」で、少し触れてもらっていますが、青さんによると「静かな時間が流れる掌編」だそうです。


 高城青の小特集、題して「高城青の、暮らしと作品たち」。冒頭は、旧知の犬飼愛生による高城青の「ひと」について。「顔」というエッセイです。


 最近はすっかりお馴染みのエッセイ漫画「それだけで世界がまわるなら」は、大盤振る舞い16ページ!(全48ページ中の16ページです。)
 今回は、30代半ばにして運転免許証をとろうと自動車学校に通ったエピソード。とにかくたくさんの人が出てきます。「家族の話」だったこのシリーズも最近、外へ飛び出して何かと精力的な気がします。

 下窪俊哉によるインタビュー「小さい目立たない救いの話にしたかった──高城青との対話」では、高城青というペンネームの由来から、描き(書き)はじめた原点の話、『アフリカ』との出会い、その後のエッセイ、イラスト、漫画などの作品について、その舞台裏について、ひとつひとつ回想しています。

 今回は、あと過去の作品として詩を一篇、載せています。「紅(あか)」という、いまはなき『詩学』からの転載です。


 そして、これもお待たせしました。芦原陽子の「妊婦体験記 - 後篇」。先ほどの青さんのブログによると、「出産にまつわる出来事や心の動きがつぶさに書かれていて、非常に読み応えがあります」。

 編集人は、今回のこの号が、ぼくたちの息子・光海の誕生記念特別号(?)にならないようにしよう、と思っていました。でも、子を産むこと、いや、子が生まれることがどういうことか? とか、子をもたない選択をする人もあり、子を産めない人もいる、さまざまな生があり、さまざまな死がある、そういうことを、少しでも出しておけたらいいなぁと思ってもいました。

 この話は、また次号へつづきます。


 というわけで、今回もぜひ一家に一冊。と言いながら、今回も部数が少なくて、多少は残るように必死で宣伝をサボっておりましたが、何かあると一気になくなりそうな部数しかありません。絶対に読みたい! という方はぜひお早めに。

 次号からはもう少し増やそうかな? と思っておりますが、もちろん内容も少しリニューアルして、というつもり。で、今回はひとつの区切りになるか、どうか。それはまた次号のお楽しみ。まずは新しい“セイウチ”号を可愛がってあげてください。よろしくお願いします!

2014年8月26日火曜日

【イベント情報】ダイバーシティ工房「READYFOR? キックオフイベント」に参加します!(9/13)

 人を信じよ、しかしその百倍も自らを信じよ。(手塚治虫)

 横浜は今日、急に涼しくなって秋のようになっています。いかがお過ごしでしょうか? 夏も、もう終わりますね。

 さて、『アフリカ』最新号(第23号/2014年8月号)、無事に完成して、定期購読の皆さん、関係各位へは発送されているので、そろそろお手元に届くころかと思われます。今回もぜひゆっくり、くり返しお楽しみください。──で、その話をしたいところなのですが、その前にこの話題から。

 先日、NPO法人ダイバーシティ工房(市川市)の運営する「スタジオplus+」にて、これから「ことばのワークショップ」という時間をつくっていくという話(「「ことばのワークショップ」をはじめます」)を書きましたが、まさに私の(私も)担当しようとしている新しいプログラム──中高生向けSST(ソーシャルスキルトレーニング)にかんして、不足している運営資金を、クラウドファンディングサイト「READYFOR?」で募ることになりました。

 それに連動して、9/13(土)の午後、イベント開催が決まっていて、そこで「ことばのワークショップ」の短縮版を実際にやってみることになっています。現在、参加受付中ですので、興味ある方はぜひご参加ください(要申込)。

 詳しくは、ダイバーシティ工房サイトのインフォメーション あるいはFacebookのイベント・ページ をご覧ください。


 ※写真は、会場となる「スタジオPlus+」市川中央教室。7月にオープンしたばかりの新拠点です。(ダイバーシティ工房Facebookページより転載)

 大人の「発達障害」とはどんなものなのか? とか、中高生向けの「自分への理解」や「(自・他との)コミュニケーション」や「表現」をめぐる場づくりの重要性を、ともに考える、よい機会になりそうです。

 「ことばのワークショップ」は、今月30日に開催するイベントの縮小版(ダイジェスト版)のようになる予定なので、それがどんなものかは、また報告しますね!

 ぜひご注目ください。よろしくお願いします。

 『アフリカ』最新号、珈琲焙煎舎での販売開始が明後日・木曜(8/28)になりましたので、明日、詳しいことをここで触れようと思います。またぜひご覧ください!

2014年8月12日火曜日

「ことばのワークショップ」をはじめます。

 小手先の技ではなく、書くモチーフを自分の中に明らかにし、創造的に表現していくために、イメージ瞑想や、同じ情景を思い描くにしても視点をあれこれ移してみるなど、自己を見つめる様々な手法が繰り出される。書くことで、自分でも気づいていなかった自分の奥深いところまで旅することができる。未消化な体験を深く味わいなおしたり、見方を変えてみたりできる。それは深い気づきや癒しにまでいたる。(中野民夫『ワークショップ』)

 ところで、これから、「ことばのワークショップ」をはじめます。「ことばのワークショップ」、何それ? という話は、徐々に書いていきたいのですけれど、今日はそのとっかかりだけ、書いておこうと思います。

 数ヶ月前、あるサイトを通して、千葉県市川市を拠点とするNPO法人ダイバーシティ工房という人たちを知り、その後、不思議な縁ができて、これから通うことになりそうです。
 そこで、これから開催しようとしているのが、「ことばのワークショップ」。
 もともとは、ぼくが自己紹介のなかで、「ことばのワークショップ」(のようなこと)をやっている、ということを書いた(話した)のでした。これまで複数の場所で、受験の「国語」を教える傍らで、若者たちを相手に書いたり、話したりするいわば「ワークショップ」の時間を自然につくっていました。そのことを今回、「ことばのワークショップ」ということばで表現したら、「それ、やってみませんか?」という話の流れができました。

 NPO法人ダイバーシティ工房については、じつにいい雰囲気の団体なので、ぜひコチラをご覧ください。NPO法人化は2012年ですが、彼らの運営する「自在塾」は、代表理事の不破牧子さんの父親が1970年代にはじめたという、とっても「家庭的」な塾。数年前から、発達障害の子ども専門の塾「スタジオplus」も立ち上げて、先月(7月)には市川駅前に新拠点(市川中央教室+事務局)を構えたばかり。「ことばのワークショップ」の舞台となる予定の場所は、その新拠点(スタジオplus)のほうです。


 「ことばのワークショップ」は、「書く」こと、「話す」ことを通して、ひとりひとりが抱えている、いろんなことに自らが気づいたり、目を向けてあげたり、見方を変えてみたり、呆然と眺めてみたり、ということをする時間です。今回、はじめるワークショップも、たぶんそうなります。けれど、それはあくまでもこちらの狙いなので、こちらが想像もしなかった、おもしろい展開があっても全然OK、というかそれはむしろ嬉しいです。

 今回はひとまず、「スタジオplus」に通っている中・高生を中心に声をかけて、今月末に開催する「お試し企画」からスタートする予定になっています。
 お互いのことを話したり、「ワークショップ」って何だろう? どうしたい? を少し話してみたり…
 それから、夏の終わりに涼しい部屋で、世界中のいろんな場所で録音された「音」に耳を澄まして、自分の好きな音とか、香りとか、景色とか、時間とか、そういう感覚の話をしたり、少し書いたりする時間になりそう。


 一方、三年目の夏を迎えている吉祥寺美術学院のアトリエでは、今週、恒例の「作文セッション」をやる予定です。
 今年のテーマは、「自作解説をしてみよう!」。
 最近、若い彼らを見ていたら、「言語化」の作業が足りないような気がしていて。やってみれば? というのは簡単だけれど、実際にやってみるとどうなるんだろう? というのは、ひとつ場をつくってみてもよいのではないか? とずっと考えていました。
 「意識的になる」ことで、「無意識」から生まれるいろんなことも、より生きる、とぼくはちょっと考えてもいます。

  *

 よくよく考えたら、『アフリカ』では、「ことばのワークショップ」や「作文セッション」のなかでやるようなことを、ずっとやってきているような気もします。それがなければ、おそらく生きなかっただろうと思うようなことがたくさんありますから。

 で、この手の企画は、ぼく自身、とっても興味ありますし、あまりやれる人の少ない仕事だというような感触もあり(無知なだけかもしれませんが)、今後、ちょっとひろげていきたいと思っています。

 詳細、またいろいろ報告していけたら、と思っています。

言い訳のリスト──『アフリカ』第23号(2014年8月号)の予告

 競争しない。自分で走るだけ。(中村好文)

 ずいぶん、更新が空いてしまいました。いかがお過ごしでしょうか? 今年もあっという間に、夏。世間はお盆休みだそうです。こちら、そういうのとぜ〜んぜん関係なく(?)過ごしています。ここではお伝えしそびれていましたが、今月、また「新・道草のススメ」を書いていますから、そちらもぜひご覧ください。

 さ、なにはともあれ、『アフリカ』の話を。

 『アフリカ』〜曰く「日常を旅する雑誌」〜愛読者の皆様、たいへんながらくお待たせいたしました。最新号、ようやく完成して、印刷・製本所へと旅立っています。8月25日発売という予定です。定期購読者の皆様への手元へも、その前後にはお届けできると思います。
 2006年の創刊から、2011年までは、だいたい年に2〜3回。2012年からは、隔月を目標にやってきて(それだけ出したい原稿があった)、それが昨年2013年から少し「のろく」なり、今年になってからは、1月に22号が出た以降、7ヶ月も空いてしまいました。
 で、ここから先は言い訳です。
 まずは、幼い子を夫婦で育てている編集人一家の事情が大きい。『アフリカ』は、ほとんど編集人の独裁(そうするしかない事情で)なので、編集人の都合が大きく影響してしまいます。やむをえない。ご了承いただきたく。
 ただ、今回は、それだけでなく、『アフリカ』自体が、いま、また変わろうとしている時期だということもあります。「つづける」ということは、「変わっていく」ことを是としていることだ、と話してくれた方が数名、おられます。ほんとうに、そのとおりだと思います。
 変わり目の号。考えていることを、すべて表現するには、もう少し時間が必要でした。その前に何ができるか… と考えて、いま元気な書き手のひとりにたくさんのページをさいて、特集… とまではいかなくても小特集くらいのことならできるだろう、と。
 で、声をかけたのは、高城青。
 最近の『アフリカ』では、お馴染み「エッセイ漫画」を継続して描きつづけています。
 彼女の新作──漫画、エッセイ──や、旧作の詩のほか、旧知の犬飼愛生さんによる高城青の「ひと」についてのエッセイ、下窪俊哉による高城青インタビューなんかも載ってます。こういう企画、『アフリカ』では、ありそうでなかったでしょう? インタビューは「小さい目立たない救いの話にしたかった」というタイトルですけど、いかにも『アフリカ』らしいと思いません?

 詳しいことは、また発売のころにでも。ひとまずは、目次をアップしてます。

 それにしても、光海が生まれる前の1月に出してから7ヶ月、ほんとうに長かった。とくに大きなトラブルがあったとかではないのですが… 何もなくて出来なかったので、なおさら苦しかった。トーン・ダウンしそうだった、と言えなくもないですから。今回は、なんだか「できた」という気がしません。この手の雑誌で、普通の雑誌なら、ここで終わるのかもしれません。でも、そこは『アフリカ』!(相変わらずよくわかんないけど…)しかも編集人は、危機になると張り切り出す人で… 苦し紛れのアイデアをいくつも出してくる。『アフリカ』の神さまも、「そこまで言うなら、まぁ、しゃあないなぁ」と言って、許してくれるみたいです(なんだそりゃ?)。

 何かわかりやすいテーマをたてて、それにふさわしい書き手に声をかけて、書いてもらう、という雑誌のつくり方は、いまも昔も、雑誌業界(?)の主流と言っていいでしょう。あるいは、その雑誌の読者(層)にウケそうな有名人に出てきてもらい、買ってもらう、とかね。書店やコンビニに置かれている雑誌の大半(すべて?)はそうです。また、ぼくの見ている限りだと、ミニコミ誌のような冊子も、多くがそれの真似事です。真面目な「プロ」ほど、それを踏襲するしかなくなります。逃れられなくなります。
 でも、それでは面白くない。そんなことでは、似たり寄ったりのことしかできません。内容が、つくり手にコントロールされている部分が大きくなるし。つくり手にコントロールされすぎた作品は、ほとんどの場合、完成したときには息をしていません。それでは、たとえいかにきれいに整えられたものでも、ダメだ。少なくともそれは、ここでやることじゃない。
 似たり寄ったりのことになる──時流に迎合するようなことは、商売をするうえでは、大切なことなのかもしれない。でも、時流に迎合している人たちに、自分が時流に迎合しているという認識に立ってやっている人がどれだけいるか? と思ったりもします。内容の前に「手法」が、そうなっているということに意識的な人が…
 何か、もっと、我々の生活に密着した「つくり方」をしていきたい。そのためには、そこで書いている人が、そこに書くのに必然性をもった人でないといけない。そして、有名性とかブランドとかには左右されない、たくましい「読者」を育てていきたい。
 なんて、ちょっと大きなこと(?)を言っていますけど、まだまだ、これからです。

2014年6月13日金曜日

ゆっくり、ゆっくり

 何年も逃げてばかりいた。何度願ったことだろう。このままでいられたら。(ブライアン・ウィルソン「レイ・ダウン・バーデン」)

 いかがお過ごしでしょうか。今年も、雨の季節がやってきました。今年は、何やら、本格的な雨の季節になっています。雨、雨、雨、雨、雨、雨… で。今夜は、久しぶりに晴れた空がひろがって、静かです。月がきれい。今日の昼ごろ、満月になるとか。

 昨日で、光海が生まれて、3ヶ月がたちました。まだ、3ヶ月しかいないのか、と思うと不思議な気がします。もうすっかり、道草の家の子です。彼がいなくては、成り立ちません。よく泣き、よく笑い。


 ぼくは毎日、母子が寝て、深夜くらいから仕事をする日がつづいています。朝にやってもよさそうなものですけど、朝に弱いもので…

 『アフリカ』は、どんどん遅れています。5月号と言っていたのが、6月号になり、さらに7月号まで延びそうな雲行きです。ほんとうに、こういう時期で、しかも「日常を旅する雑誌」になっちゃいましたから、やむをえず。定期購読者の皆様はじめ(ぜんぜん「定期」じゃない!)、お待たせしております。こんなに空くのは久しぶりですね。
 しかも、なんとなくですが、今度の号から、『アフリカ』は、また新たな段階へ突入するような気がしています。
 編集者のなかでは、こうなっています。事実上の(?)創刊号だった2006年8月号から、2009年4月増刊号までが第一期(この後、書き手の大きな入れ替わりがあった)。第7号(2009年7月号)から第13号(2011年12月号)までが第二期(その間に大阪から府中への大移動もありましたが)。「道草の家」へ移ってからの第14号(2012年5月号)から第22号(2014年1月号)までが第三期、…ということになる予感がしてます。
 では、第四期は、どうなる? まだぼくもよくわかっていませんが、『アフリカ』ファンの皆様はたのしみにしていてください。


 いつもあたたかく見守っていてくださっているご近所さんから、紫陽花をいただきました。道草の家のまわりでは、紫陽花が咲き誇ってます。道端にもたくさん!


 紫陽花の葉と一緒に、マイマイ(カタツムリ)の子がついてきていました。必死で逃げようとしている(?)ところ。


 機嫌のよいときには、なにやらよく喋っています。さすが、道草の家の夫婦の子です。でも、まぁ、ゆっくり成長してネ。


 新企画もいろいろあるんですけど、まだ書けないことだらけで。急ぐ仕事と、急がない仕事があり、でも、どちらも、気持ち的にはゆっくり、ゆっくり育てていきたいと思っています。

2014年5月24日土曜日

ピンチには、おおきな飛躍が

 いい所へ行こうとしなければしぜんにいい所へぶつかるいい所へいこうとするからいい所へぶつからないんだろう(山下清)

 そっと書きます。5月も後半、いかがお過ごしですか? ここでもなかなか何も書けずに、書く気がしないまま、ズルズルきていました。『アフリカ』はどうした? ついに出なくなったか? いや、『アフリカ』が終わるわけがない、いまは編集者が忙しすぎて仕事が延びているだけだ。いや、あの編集者は逃げるのが得意だから。いや、彼は逃げた先でも『アフリカ』の編集だけはやる、変人だから大丈夫だ。なぁ〜んて声は聞こえてきておりませんけど、はい、やっております。「セッション」は、徐々にはじめておりますが、イヤに時間がかかっているところです。隔月刊行から離れて、季刊ですら危うくなってきましたが、原稿があるのに出してない、ということは誓ってありません。原稿も何も、ないんです(笑)。ないもんはない! というわけで(スミマセン)、まぁ〜危機といえば危機なのかな。でもこの程度の危機は、『アフリカ』には何度もあったわけで──一緒にはじめたメンバーがみんないなくなったりね──たいしたことじゃ〜ありません。自分も含め、「このタイミングで、何が読みたい?」をイロイロ話し合ったり、勝手に進めたりしながら準備してます。これまでと同じようでいて、じつはぜ〜んぜん違うような号になりますよ。皆さん、イロイロありますけど、日々なんとか過ごしながら、もうしばらくお待ちくださいネ。

 危機といえば、ぼくの生活は、ず〜っと危機ですねぇ。ほんと、冗談じゃなくて。最近、子が生まれて3人になりましたから、これまでにもまして生活が苦しくて、でも、なんとかかんとか暮らしながら、どうにか楽になれないか、と思うのですけど、やればやるほど苦しいという。でもまぁ苦しいのは苦しいでいいか、と。仲間から指摘されましたけど、悲壮感、まったくないよねぇって(笑)。だってね、あーた、この顔を見なさいって。


 もっとも、彼が生まれる前から、べつに悲壮感は漂っていませんでしたけど。彼が生まれて、ますます漂わなくなりました。まぁいいか、と。もちろんかわいいだけじゃない、じつに人間的です。おっぱい飲んで、ゲップして、ウンチして、寝て、起きて、…という生活。泣き、怒り、おっぱい飲んで、笑い、最近は声を出して何やらお父さんお母さんとお喋りもするようになりました。
 子育てについても、いろいろ勉強しながら、です。一般に言われていることを鵜呑みにはできない。いま、すごく危険です。個人で「考える」ということの必要性が、すごく大きくなってきてる。だから、すごく時間がかかります。でも「考える」ことを普段からしていると、生きるか死ぬかというときに、なんだか、役立つような気がしています。生命力になる。「考える」ことができていないと、無駄死にしてしまうような時代が、来るというか、もうね、とっくに来ているのかもしれません。

 いろいろ書きたいのですけど、『アフリカ』次号には、道草の家の、この『アフリカ』編集部に集まってきている空気ごと詰め込んで、つくりますので、またぜひお手にとって読んでください。

 そうそう、光海がぐずって眠れないときの、おおきな助っ人が現れました。この人。


 最近まで、すべては偶然だろうと思っていたのですが、偶然もずっとつづいていると、偶然じゃないですよね。大瀧(詠一)さんのラジオの録音を聴かせると、さっきまでの大泣きがウソのように、すやすや眠るんです。大瀧さんの(喋り)声には、どんなパワーが秘められているんだろう(笑)。とくに昨年夏、「アメリカン・ポップス伝」の最後になった「Part.4」の録音を聴かせると、よく眠ります。光海、好きなのかな〜。あ、それとも、あまりにも詰まらないから…。なんて冗談を言っていますけど、そんなことが理解できているとは思えないので(天才赤ちゃん?)、やっぱりあの声と、あの番組の空気感には、彼をホッとさせる何かがあるのでしょう。なので、最近は毎日のように聴いてます。あらためてすごい番組だなぁと思いながら。


 これはどちらかというと光海のお母さんが、最近眠るときに聴いているCD。もちろんぼくの持っていたものですけど。ジンバブウェの、ンビーラ(親指ピアノ)の名人が共演した1枚。ふたりとも、もう亡くなってしまったようですけど、音楽は遠い日本の、こんな家でも聴き継がれてます。

 いまは、ピンチというより、子が生まれて、新しい人生の展開を模索しながら、忙しいだけといえばだけですけど、『アフリカ』をはじめ、これまでのこともしっかり生かしていこうとぼくはしていて、「継続」という意味では、ピンチかもしれません。でも、これまでもピンチには、かならず何か新しいアイデアが生まれるか、誰かとの大きな出会いがあるか、とにかく何か大きな、ワクワクするような展開があり、乗り越えてきました。ぼく自身の仕事にかんしても、ピンチには、おおきな飛躍がある、楽しみだ、と言った人もいました。さ、どんな展開になりますか。楽しんでいきましょう。

2014年4月17日木曜日

再会、ジャック・タチ!

 顔見知りでないとき、人は直角に歩きます。知り合いのときは、カーブを描きます。(ジャック・タチ)

 光海が生まれて、1ヶ月が過ぎました。怒濤の、激動の1ヶ月、そしてその波はまだまだつづきそうですが… なんて曖昧な書き方ばっかりしていてもしょうがないですね。光海は毎日、元気に泣き、おっぱいを飲み、よく眠り、気持ちよさそうにお風呂に入り、うっとりとウンチやおしっこをして、泣き、おっぱいを飲み、ゲップをさせられ、眠り、泣き、…というくり返しで、なにはともあれ元気です。

 今日は、個人的に、いくつかのことがひと区切りして、外出支援もない日だったので、ちょっと出かけてきました。先週末からはじまった、「ジャック・タチ映画祭」へ。


 ぼくがジャック・タチを知ったのは1998年で、大学の授業中に(映画にかんする授業があったのだ)ビデオを見せられて、ものすごく惹かれた。『ぼくの伯父さんの休暇』というタイトルの白黒映画で、観ていると、「ぼくの伯父さん」の「ぼく」は出てこなくて(そのタイトルは日本でのタイトルであって、原題を訳すと『ユロ氏の休暇』という──その経緯についてはいろんなところで書かれているので省略するけれど)、海岸のホテルで休暇を過ごしている人々のなかに、「ユロ」というすっとぼけたような男が紛れ込んできて、不思議なユーモアのにじみ出す小さな事件がいろいろ起きる。
 何に感動したのか、というと、まるでサイレント映画のような伝え方をしている、その表現に、だったろう。ことば(の意味)でもって映画を動かしていこうという気がまるでない。そのくせ、「音」にはやたら凝っていて、あの有名な、不思議な音をたてるドアをはじめとするめくるめく擬音(効果音)の数々と自然音、クール・ジャズ風なメイン・テーマなど音楽が、最高に気持ちいい融合を見せて(聴かせて)いた。こりゃすごい、と。

 ジャック・タチの映画をスクリーンで最初に観たのは、その1〜2年後で、梅田の、閉館になったポルノ映画館の跡地で営業していたミニ・シアターで(そういう映画館が当日の大阪にはいくつもあった)、たしか『タチとトリュフォー』という特集上映だった。トリュフォーのほうは、『大人は分かってくれない』にはじまる「アントワーヌ・ドワネル・シリーズ」の全作。タチのほうは、『祭りの日(のんき大将 脱線の巻)』(その数年前に復元されたカラー版だったか、パートカラー版だったか覚えていない)『ぼくの伯父さんの休暇』『ぼくの伯父さん』『トラフィック』の4作に、『夜間授業』か何かの短編もかかったかな? そのときは、とにかく『トラフィック』がいかに素晴らしい作品かということの発見が自分にはあり、たぶん2回は観た。

 2003年には、『プレイタイム』の70mm修復版の上映を目玉にした「ジャック・タチ・フィルム・フェスティバル」があり、大阪でも上映されて、これまた通った。このときは、『トラフィック』の上映はなかったんじゃないかな? 『プレイタイム』は、そのときはじめて観て、すっかりその虜になってしまった。それだけで本一冊書けそうなくらい観た(書く予定はないけど)。

 たぶん、ジャック・タチの映画を、フィルムで観る機会は、そのときが最後になってしまった。今回の映画祭は、すべてデジタル。ただ、今回は全監督作(短編含め)+αが上映されるというのだから、ファンを通り越してマニアのようになっている自分としては、期待しないわけがない。どうなっているか、たのしみなような、こわいような… ですネ。しかも、初期短編『乱暴者を求む』『陽気な日曜日』、そして晩年のドキュメンタリー『フォルツァ・バスティア'78/祝祭の島』は、今回、ようやくはじめて観られる。

 で、まず何を観よう、と思って、なんとなく、ですが、『パラード』から観ることにして、行ってきました。


(※写真、真ん中=『パラード』で「交通整理」のギャグを見せるジャック・タチ)

 サーカスの一夜(撮影は三日間らしい)を撮ったドキュメンタリー風のフィクション(?)で、テレビ用に制作されたもの。日本で劇場公開されたことはこれまでなくて、ビデオでしか観る機会がなかった。
 ジャック・タチお得意の「スポーツの印象」(パントマイム)が満載で、それだけで観てもよさそうな映画なんだけど、ここでも、音のつくり方が凄まじい。もともとの音が、どこまで残されているかな。ほとんどが、オーバーダビングというか、つくられた音になっているんだけど、ひとつの組曲のようになっている。音だけで、一本の映画のようになっている、という発見をしました。

(※追記5/5)と、ここまで書いて、放り出していたものを、そのままアップします。渋谷で開催中の「ジャック・タチ映画祭」は、『プレイタイム』と『ぼくの伯父さん』を軸にした上映スケジュールで、これから行われるほかの地域の上映でどうなるかわかりませんが、「ジャック・タチの映画を観たことないけど興味ある!」という方へは、個人的には、『ぼくの伯父さんの休暇』か『トラフィック』から入っていくのがいいかな? というのがオススメです。『休暇』では、白黒映画で(「色」がないから)こそ際立つジャック・タチ映画の素晴らしさが凝縮されていて、最後のフィルム公開作『トラフィック』には、それまでのジャック・タチ映画の良さがあれこれ詰め込まれているような気がするから。もちろん、どれから観てもよいことですけどね!(訊かれることがあったので、書きました。)

2014年4月13日日曜日

ある読者──小川国夫さんのこと

 結局、小説の作者が風景描写をしたり、人物描写をしたりする必要はないのです。全身これ耳となって、ただただ登場人物の声を聞けばいいのです。そのうちに、作者は登場人物と抱き合って、彼が感じるままに我も感じるようになるでしょう。(小川国夫「耳を澄ます」)

 4月は、個人的に、忘れることのできない命日がいくつかあります。ひとつは、2008年4月8日に亡くなった小川国夫さん。冒頭に引用したのは、ちょうど、ぼくが小川さんと毎月会っていたころに書かれた随筆から。「耳を澄ます」という短い文章は、あのころ、小川さんがぼくたち若い書き手、あるいは書こうとしている人たちに語っていたことの、総括のようになっています(いまは『夕波帖』という本の冒頭に収録)。引用したのは、最後少し前の部分なのですが、このまま最後まで書き写してしまいましょう。

 考えてみると、小説の作者とは聴覚です。それから、視覚です。五感だとするのが正確かもしれませんが、しかし、五感も便宜的な分けかたですから、感覚の総括とでも言うほうがいいかもしれません。ただいに色層がにじみ合った虹のような束とでも……。虹は光を映しているだけの無ですし、五感もそうです。こう思って、それならば、小説の作者は限りなく無になろうとしているのか、と考えます。目下考えています。

 小川さんは、小説の作者とは、聴こえてきた言葉を、右から左へ写しとるだけで、なにもつくる必要はない、でっちあげるとむしろよくない、ということをくり返し語っていました。ま、そんな思い出をふり返っているより、小川国夫の著作の数々を読み返すほうが良さそうです。


 以下は、命日に、ふと思い立って書いたものを、Facebookより転載します。

 気づいたら、今日は小川国夫さんの命日ですね。今年は、あまりにバタバタしていて、先ほどまで忘れていました。
 ぼくを小川国夫の「(最後の)弟子」と言われる方がいらっしゃいますけど、「自称(最後の)弟子」はたぁ〜くさんいらっしゃるでしょうし、ただ、ぼく自身にはそれをどうこうする(書いたりとか?)つもりがない。以前、ちょっとだけ書いちゃいましたけどね(それも「周辺のこと」という感じ)。もういいかな。自分の出合った小川国夫について、個人的に、という範疇を超えて書く気はしない。たとえば、再評価云々にも、あまり興味がない(新刊書店で買えない著作の割合が高すぎるけど、それは小川国夫に限った話ではないし)。
 ただね、昨年末、吉祥寺美術学院で、ヘミングウェイの研究者と一緒に話をして! と頼まれたときには、もちろんぼくの心のなかには小川国夫がやってきていたし(そして、そのまま、その話をしました)。たとえば、文章作法の話になると(小説の話なんかでは全然なくても!)、心の隅っこで小川国夫が笑って聞いていてくれる。それでじゅうぶん! あとのことは、ま、どうでもいいです。著作にかんして、ぼくはただの一読者です。
 亡くなった、と報を受けたあの日から、もう6年がたちました。


 誰がなんといおうが、この一冊。ぼくの、なんというか、人生の一冊です。出合いは、『アポロンの島』。鮮烈でした。いまでも、まったく劣化していない(本は読みすぎて弱っていますけど、内容はいつまでも新しい)、まぶしい、まぶしい一冊。

 数年前に気づいたんですが、ぼくが故郷・鹿児島を離れて大阪へはじめて行った1998年の2月に、この講談社文芸文庫で復刊されているんですね(こういう場合は復刊とは言わないか、久しぶりの文庫化だった)。だから、書店の文庫コーナーの新刊コーナーに平積みされていたか、目立つように置かれていたはずです。それで手にとった、と。ただそれだけだったんでしょうけど。まさか、そのあと、その作者本人と、あんな交流が生まれるとは思っていません。ぼくは本来、そういうのには、あまり興味がない人だし。でも、いまとなっては、小川国夫さんだけ別格です。ある意味、最初に見た親のようなもので。
 たまに、小川さんから「下窪くん、焦るなよ」と言われていた、その声を思い出します。はい。世界一のろい人から言われると、なんとなく説得力がある。と、相変わらずのへらず口を叩きながら…
 島尾敏雄さんが朝日新聞で『アポロンの島』を紹介して、脚光をあびるのは、小川さんが38歳のとき。ぼくはいま35歳なので、まだそこまで3年ありますね。なんの話やろーか。ぼくは脚光なんてあびたくないな。あびるとしたら何であびるんだろう。道草家のほうかな。やなこった。

2014年4月6日日曜日

「Open Session♪」公開収録で、吃音の話を

 全国の仲間たち、どもりだからと自身をさげすむことはやめよう。どもりが治ってからの人生を夢見るより人としての責務を怠っている自分を恥じよう。そして、どもりだからと自分の可能性を閉ざしている硬い殻を打ち破ろう。

 どもりで悩んできた私たちは、人に受け入れられないことのつらさを知っている。すべての人が尊敬され、個性と能力を発揮して生きることのできる社会の実現こそ私たちの願いである。そして、私たちはこれまでの苦しみを過去のものとして忘れ去ることなく、より良い社会を実現するために活かしていきたい。

 吃音者宣言、それは、どもりながらもたくましく生き、すべての人びとと連帯していこうという私たち吃音者の叫びであり、願いであり、自らへの決意である。(「吃音者宣言」より)

 さて、ところで、NPO法人風雷社中のスタッフが中心になって毎月やっているネット・ラジオ「Open Session♪」の公開収録に、下窪俊哉(ぼくです)が出演します。

 で、思いつきですけど、久しぶりに吃音の話をしよう、と思ってます。


 ちょうど、吃音の調子が、最悪に近い感じで(つまり、ぼくは話しにくくてきついので)、このままいくと何も喋れずに終わるかもしれません! それも吃音の一側面なので、そのときは沈黙のパフォーマンス・アートだと思って耳を澄ましてくださいね。

 とは言いつつも、 できたら、吃音者とは何者なのか、フリーハンドに近いかたちではありますが、吃音のことをたぶんほとんど知らない、わかっていない人たちを相手に、ぼくも今一度、自分なりの整理をするよい機会にしたいと思ってます。

 公開収録は4/20(日)19時から、大田区のカフェ・レガートにて、どなたでも聴講いただけますので、どうぞお気軽に(無料ですが、ワン・ドリンクのみご注文をお願いします)。配信は5/10の予定です。

 もちろん、こっそりとでもいいから、吃音の方も来てくれたらよいのですが。もしかしたら、知らないだけで、身近におられるかもしれないですしね。

 なにはともあれ、楽しみにしています。あ、ぼくは本当にフリー・ハンドで話します。書いたものを読むのは大の苦手なので。読む場面があるかもしれませんが、それは自分の文章ではなくて、と思ってます。

「新・道草のススメ」(2014年3月)アウト・テイク集

 みんな云っとくがな、
 生まれるってな、つらいし
 生きるってな、みすぼらしいよ──
 んだから、摑まえろよ
 ちとばかし 愛するってのを
 その間にな。

(「助言」ラングストン・ヒューズ/木島始・訳)

 ここの更新は、1ヶ月ぶりになってしまいました。3月は、「新・道草のススメ」で毎日、書いていて。3/11、子が生まれる予定日に、時間があれば、2011年3月の「道草のススメ」を一部、編集・再構成して、この「道草の家の自由時間」にアップしようと少し準備しかけていましたが、見事に陣痛がはじまって、それどころではなくなってしまいました。ボツになった企画は、また来年か… さ来年か、誰に頼まれたわけでもなく、「あ、これって、やったら面白いんじゃない?」という思いつきなので、「あ、読んでみたい」と思われた奇特な方がいらっしゃれば、気長にお待ちください。

 で、ご存知のとおり、元気な男の子が生まれました。あらためまして、名前は、光海(こう)といいます。


 子が生まれ、育児に追われる日々がはじまりました。想像以上に、というより、想像とはやはり少し感触がちがうたいへんさ、苦労があります。毎日のように、「もうダメ」とか言いながら、なんとか暮らしています。
 ぼくのなかでも、自分の生活や仕事のことの、いろんな部分で、心境の変化が起こっています。やはり、また、変えていかなければな、という気持ちでいます。
 どうなりますか。ぼくは、いつも苦し紛れといっていい状態なのですが。見守ってくださっている皆さんは、ぜひ、楽しみにしていてください。ついでに、助けてもらえる方には、これまで以上に助けていただかなければならなくなると思います。もちろん、ぼくらも、いろんな意味での期待(?)にこたえていかなければなりませんが。もちろん、張り切ってやっていく! つもりです。今後は、親子3人、よろしくお願いします。

 以下、「新・道草のススメ」(2014年3月)からの、アウト・テイク集です。道草の家にすごく関心のある方のみ、ご覧ください。へへへ。


 光海のベッド。古道具屋から調達してきたカゴを、ベッドに仕立ててあります。お洒落でしょ?(と書いたら、「私も(やってた)!」という方がいらっしゃいました。)


 生まれて、まだ30分くらいの光海。生まれたときのまま、お母さんのお腹にのっています。「新・道草のススメ」に載せたコレは、この写真の直後に撮った、この時間のベスト・ショットでした。この時間を、ぼくは一生、忘れないと思います。


 生まれて2日後には退院してきた母子。で、これは検診のために、生まれて半月後には電車に乗った光海。人生初の電車、の日。これは京急、新逗子行きの車内にて。


 以前の「道草のススメ」で、お馴染みだった山手駅。駅がリニューアルしましたが、この眺めは、変わっていません。これも使おうと思って撮ったんですけど、光海の写真ばっかり載せているうちに、出番がなくなってしまいました。


 「道草の家 presents よむ会」のメイン会場のようになっているCafe Old.Bの前あたり。桜の公園と、雨あがり。


 眠りながら、よく万歳をしています。お父さん似?


 取り壊された家の、主のいなくなった跡地に、ポツンと残された桜の木。今年も咲きました。春が、また過ぎていきますね。

2014年3月4日火曜日

障害平等研修DETって?(3/15にデモンストレーション開催、の宣伝)

 自分が至らないから、まだ人を救えないとか、教えられないとかいう人があるが、至った人間など昔から一人もない。ただ至らないままに人を導き、教え、救っていると、だんだん至る道に近づいてゆく。(野口晴哉)

 ここで少しだけ宣伝を。ぼくが普段、「外出支援」(最近は「道草支援」とか「ラーメン支援」とか、いろんな呼び方をしていますが…)の仕事をさせてもらっているNPO法人風雷社中の代表が、最近もっとも力を入れていたと言っていい(ですか?)イベントが、3/15(日)にあります。


 紹介したいなぁと思いながら、なかなかできなかったのは、内容がよく見えないので… というのは、このイベントを主導しているメンバーも、おそらく、肝心の「DET(障害平等研修)」が具体的にどんなものなのか、体験して感じて知ってはいないからなのではないかと思います。でも、仕方ないんです。まだ、日本では実際に行われてないものをやろうとしているんだから、体験しようがない。とはいえ、なんだか魅力ありそうなので、ということで、ひとつの試みです。

 「DET(障害平等研修)」については、当日の講師・久野研二さんのサイトを参照。

 企業や自治体の人事担当、研修担当などの人たちに対して、障害者自身が「ファシリテーター」(リンク先は参考資料として。専門用語が多いもので…)となり、「障害の社会モデル」の視点を学び、それぞれの組織で「合理的配慮」(何それ? という方はお調べください。ちょうど良さそうなリンク先が見当たらなくて)を実践していくことを目指している、と。イギリス発祥で、現在ではヨーロッパ、アジアにひろがってきている取り組みらしいです。へ〜、知らなかった。

 3/15(日)は、そのデモンストレーションをやります、やってみますよ、ということ。場所は、大田区消費者生活センター大集合室。無料です。少しでも関心のある方なら誰でも参加OKとのこと。
 当日参加OK(申し込みが定員に満たない限りOK)だと思いますが、絶対に参加する! という方は、風雷社中の事務局(HASUNUMA★BASE)までお申し込みを。電話は03-6715-9324、ファックスは03-6715-9327、メールの場合はdetf_ota★gmail.com(★を@に変えてね)まで。
 Facebookページもあります。Facebookのイベント・ページはコチラ

2014年3月1日土曜日

「道草のススメ」のつづきと春の知らせ

 ひとつの単純な行動を変えることで、ほかの行動がその影響を受け、たくさんのことが変わる。(ジーン・ベイヤー)

 3月になりました。道草の家は、いよいよ、です。我が子との対面が近づいていて、なんとも落ち着きません。今月、どんな月になりますか。おおきな、おおきな1ヶ月になることは間違いないので、何か書いておかなくてはね、と思ったときに、「道草のススメ」を思い出しました。
 「道草のススメ」は、2010年の8月、府中市の美好町というところに、ひとりで“ひきこもって”いたときに、家族や友人に毎日の無事を(?)知らせるために(大袈裟に聞こえると思いますけど、自分としてはそれくらい深刻だったのですヨ)「毎日書く!」とはじめて、昨年の6月までつづけていたもの。いわゆる“ブログ”ですね。
 1ヶ月だけ、あれをまたやってみよう、と思い立って、立ち上げました。

 コレです。

 というわけで、今月は毎日書きます。出産の前後は、それどころじゃなくて書けない日があるかもしれませんけど、いちおう、だいたい毎日書くということにします。2010年のときと同じように、誰から頼まれたわけでもなく。


 2月さいごの日、ぼくは休日でした。昼前、ことのはさんが庭に出て、ふきのとうを採ってきてくれました。この写真、どうです? いい感じ。また、春がやって来たんですねぇ。


 で、さっそく天ぷらにして、蕎麦のお供にして食べました。サクサクして、ほどよい苦みが爽やかで、素晴らしい春の贈り物でした。

 数日前には、関西の友人が出張のついでに会おうと連絡をくれて、昔話に花を咲かせたり、吉祥寺のアトリエのスタッフと会って話したりしていました。
 なんだか、すごくよいタイミングで、

「最近、どう? これからのこと、どう考える?」

 という問いかけをもらった気がしていて、ちょっと、フレッシュな気持ちになりました。
 いよいよ、3月。ですね。