2013年12月31日火曜日

今年の総括、止めました!(大晦日に大瀧詠一さんの訃報をうけて)

 名を残したいとは思わない。「詠み人知らず」がいいな。(大瀧詠一)

 例年のように、ブログで「今年の総括」をしようと思って、書きかけた(それなりに書いた)のですが、止めました。今年を「総括」するのは、止めます。12/30の日が暮れるまで仕事(外出支援の)で、今日は朝、起きて夫婦で大掃除、買い物などに行き、帰ってきてこの時間です。『アフリカ』次号は年を越しました。ということにかんする「言い訳」も用意していたのですが、止めました。
 ことのは山房のブログには、「行くいのち、来るいのち」と題して、ぼくら夫婦にとっての今年、2013年の総括めいたこと(?)をアップしています。道草の家ファンの皆さまは、ぜひご覧ください。


 写真は、今年の夏以降、姿を見せなかったモシャ子。道草の家の近所に住んでいたノラ猫で、モシャ子という名は、ぼくら夫婦がつけたあだ名。近所の小学生には「タヌキ」と呼ばれていたようですが…。2012年のはじめに引っ越してきて以来、モシャ子にも、すごくお世話になりました。ありがとう。

 昼ごろ、「新春放談」の話をしていたら、大瀧詠一さんの訃報が飛び込んできて、椅子に坐ったままひっくり返りそうになりました。起き上がって(実際には倒れてないけど)うそ! うそでしょ!? と。ショックを受けて、しばらく立ち上がれず。ニュースによると、昨日(12/30)の夜、家族で食事をしていて急に倒れ、病院に運ばれたが亡くなった、と。つづいて、「リンゴを詰まらせて亡くなった」というニュースが飛び込んできて、はぁ? と。実際には、「リンゴを食べているときに倒れた」ということらしいのですが、「リンゴを詰まらせて」という誤報も、なんだか大瀧さんっぽい。可笑しいので、そういうことにしましょうか?

 ほんとうに信じられません。信じたくありませんが、どうやら本当のようです。福生のご隠居は、仙人になっても生きつづけるような気がしていました。

 冒頭のことばは、萩原健太さん(90年代以降、大瀧詠一さんの声とことばを届けてくれたのは、主に山下達郎さんと萩原健太さんだった)が先ほど、TBSラジオに出演して、語って聞かせてくれた大瀧さんのことば。らしい、ですよね。

 大瀧さんによる有形無形の仕事の数々、いつも、あの大瀧さんのラジオの音のように自分の傍にあって、いろんなことの手本のようにしてきました。たくさん影響を受けました。ご冥福をお祈りして、心から、ありがとうございました。とはいえ、なが〜い休みに入られる、というくらいに思っておきます。

 いろんなことは、また年が明けてから。2014年、どんな年になりますやら。期待は失望の母である(これも大瀧さんのことば)。でも、期待するな、という意味じゃないですよ。期待がない場所には、うまれなかったことば。2013年は、例年以上に激動の年でしたが、ぼくのこれまでの人生で、もっとも光輝いていました。いい年でした。けど、今年もつかれたなー。ここのところ、ずっと走りつづけてきた感じ。お正月の三が日は休みます。

2013年12月24日火曜日

あたたかい椅子

 子供の頃にサンタクロースとか、ドラゴンとか、いるはずのない架空の生き物を心底いる、と信じることが人間には必要なんです。その数が多ければ多いほど、子供の心の中に、椅子ができる。大人になってゆくと、なあんだ、サンタクロースなんかいないじゃん。と、そこに座っていた架空の生き物たちは消えてしまいます。でも、それまでその椅子を温めてくれたサンタクロースのお陰で、人は、大人になって愛を知った時、今度は本当に大事な人をそこに座らせることができる。(渡辺茂男さんのことば)

  幼いころ、『しょうぼうじどうしゃじぷた』という絵本が、我が家にあって、よく読みました。その著者・渡辺茂男さんのことばを、今朝、猫沢エミさんという方がブログで紹介しているのに出会いました。「サンタクロースの椅子」というタイトルで。


 存在しないものを見る、存在しないものが、ある、ということが、どんなことか、思いを巡らせた朝です。

 今日はこれから、アトリエでパーティー。「テーマをさがす」という切り口(になると思う)で、ちょっとしたトーク・セッション(?)をやるです。酒飲んで、アホなことばっかり言っているのではダメだと(笑)。というのは冗談で、たのしみです。

  『アフリカ』の言い訳などは、また数日中に。

2013年12月18日水曜日

「旅」のつづき

 それでも今、私はここにいる。世界を覆う無数の小さな光の群れの下、小さなヘッドランプをひとつ灯して。始まりも終わりもなく続く偶然の連なり。そしてきっとそれは偶然などではないのだ。(中村広子「ゴゥワの実る庭」)

 今年も、もう、あと2週間を切りました。

 『アフリカ』の次号(第22号)は現在、制作(セッション!)中ですけど、2014年1月号となることが決定。今年は結局、年4冊(もうすぐ次が出るので、4.5冊?)で、これじゃあ「隔月刊」ではなく「季刊」ですね。「季刊でいいじゃないか、誰も焦ってないし」という意見もあり、「あれ? もう3ヶ月もたった?」という意見もあるので、まぁ、ちょうどいいペースを『アフリカ』自身がわきまえているのかもしれません。定期購読は「6冊セット」ということにしたので、もし、万が一「どうなってンの?」という方がいらっしゃれば、焦らず、ゆったりお待ちください。とにかく、この『アフリカ』という雑誌、不思議な力を保ったまま、元気に“生きて”いるので、“体調”には気をつけつつ、“旅”をつづけます。

 いろいろ忙しいので、息抜きに音楽の話。クリスマスといえば、ぼくにとっては“音楽”ですけど、15年、20年と聴いていると、毎年、毎年、新しい(クリスマス・ソングのアイデアが詰まった)モノと出会えるかというと、そう簡単には出会えなくなっていて、毎年聴いているものを、聴くくらい。なので、クリスマス・アルバムではないですけど、最近は、これをよく聴いています。


 Donny Hathawayの作品には、ジャズ的なもの、ゴスペル的なもの、いろいろな要素が入っている。セカンド・アルバム『Donny Hathaway』では、「A Song For You」とか、もうちょっとポップ寄りな曲をやっているけど、ファースト・アルバムの『Everything Is Everything』は、ブルース、ジャズ、ファンク、けっこうコテコテなんですよ。セカンドはポピュラリティーを追求していて、『Live!』では長尺を聴かせ、そして『Extention Of A Man』。あれは必殺だった。僕にとってDonny Hathawayは70年代のクロスオーバー・ソウル・ミュージック、R&Bがソウルに変わっていった時代の扉を開けてくれたミュージシャンだった。音楽に境界を作ってはいけない、ってね。(山下達郎)

 なんて達郎先生はおっしゃっておりますが、アメリカのRhinoから出たDonny Hathawayのアンソロジー(4枚組のボックス・セット)。日本盤は、なが〜いブックレットの文章を翻訳するのにお金がかかったのか、けっこうな値段しますが、輸入盤で買えばだいたいどこの店でも3000円前後。かなり安くで手に入ります。
 未発表のスタジオ・レコーディングだけ(こんなに残っていたんですね…)を収めたDisc2と、『Live!』のアウト・テイク(New YorkのライブハウスThe Bitter Endでのライブ音源… これがすごい!)を収めたDisc3が目玉ですけど、Disc1もシングルバージョンや初CD化(たぶん)音源など満載の、充実したベスト盤的内容になっていて、全篇すごく聞き応えがあります。音もすごくいい。デジタル・マスタリングの力、おそるべしです。
 レア音源はもちろん嬉しいんですけど、Disc1に入っているMonoバージョンの音圧(グルーヴって言いますよネ)、素晴らしい。この年末、こればっかり聴いています。
 Donny Hathawayは33歳で亡くなっているので、ぼくはもうその歳を超えてしまいました。しかし、これがほとんど全て、20代の人の演奏と歌とは…

 次回の更新では、『アフリカ』最新号のニュースに触れられますように。また来週。よい年末をお過ごしください。

2013年12月13日金曜日

『アフリカ』のクリスマス・ギフト

 大つかみな言い方をすると、共鳴は未知の世界からやってくる回答であり、ある種の秩序を生みだすものである。それは現象的世界と内なる世界、事物と本質、生徒と先生、先生と教えの橋渡しをしてくれる。どんなにかすかな共鳴であっても、意味と目的を確かなものにし、勇気を与えてくれる。共鳴は美の追求の糸口ともなるのである。(アラジン・マシュー)

 『アフリカ』のクリスマス・ギフトと言えば、一昨年の年末につくった『アフリカ』2011年12月号。もう2年たつんですね。はやいなぁ。


 ここから、珈琲焙煎舎との、不思議な縁がつながり、コラボレーションがはじまったのでした。思い出深い号です。もちろん2013年の年末にも使えます。(山下)達郎さんの「クリスマス・イブ」が30年たっても聴けるように。べつにクリスマスでなくてもいいのですが、冬の贈り物。冬のお便り。シーズンズ・グリーティングです。


 現在でも発売中、400円です。メールでの申し込み、もちろん受付中(harumisong★gmail.com(下窪俊哉)まで。※★を@にかえてください)。珈琲焙煎舎には、まだあるかな? あと、OYATSUYA SUNあたりには、持っていってみようかな?(12/14追記:OYATSUYA SUNでは販売中。クリスマスの後くらいまで?)


 吉祥寺美術学院の北村愛子さんによる絵と、ぼくの書いたお話とのコラボ「ハコちゃんの家の美しい夜」が載っています。


 芦原陽子が、はじめて『アフリカ』に書いた号であります。このタイトル…


 すっかりお馴染みになった高城青のエッセイ漫画。これが、最初でした。「はじめてづくし」だったんですね。いま気づきました。


 犬のことばを「翻訳」したクリスマス・メッセージもあります。連載中だった「ゴゥワの実る庭」もしっかり載ってます。


 冒頭のことばは、先週、紹介した『大きな耳』から。たとえば「創作」とはなになのか? ということも、この本は明るく示してくれています。しばらくは、ゆっくり、ゆっくり読み返していると思います。

2013年12月6日金曜日

いろいろさまざまなこと

 もっとも深いオリジナリティは世界に開いた透明な自我から産まれる。オリジナリティは、自我から踏み出すことで得られるといえるだろう。(ジェーン・ハースフィールド)

 12月に入り、夫婦で、昨年につづいて2度目の箱根へ行ってきました。今年の紅葉は、少し遅れているようでしたが。


 それでも、朝になり、窓をあけると、コレ。美味しいものを食べ、温泉に入って、ただ、のんびりした2日間でした。今年も、おつかれさまでした、と。このあと、今月はもう(ほとんど)休みなく走り終えるつもりなので。


 宮の下の「NARAYA CAFE」ギャラリーからの眺め。足湯(無料)にはいりながら飲食ができるカフェ。箱根の他の観光地にはない類の、いい「気」が集まっていました。週末は混むそうですが… 宮の下では、イタリアンの店にも行きました。あと、富士屋ホテルの庭園にある温室とか。


 今年も、いろいろなことがありました。日常から離れて、2日間、ゆったり過ごしながら、いろいろさまざまなことを、思い出しました。まだ、残り25日ほどありますが。


 帰宅したら、青山純さんの訃報がニュースで流れていて、ビックリしました。目を疑った。まだ、50代のはずです(享年56とのこと)。小川真一さんがさっそく「追悼・名ドラマー、青山純の名演16選+2」として紹介してくれている記事(音つき)が見つかったので、リンクしておこう。いわゆる、スタジオ・ミュージシャン。80年代から00年代前半まで、山下達郎のライブ、レコーディングの大半に参加していたドラマー。1999年の1月、名古屋で、はじめて山下達郎のコンサートを観たときに、その重量感満点のサウンドと、独特のビートに、ショックを受けたといっていいくらい感動しました(「メリー・ゴー・ラウンド」では、ドラム&ベースの掛け合いによる「ソロ」もありましたね)。達郎さんのコンサートに参加した青純さんを観たのは、そのあと、2002年3月の広島が最後でしたが、なぜか一番印象的に思い出すのが、その直後、2002年5月に、たしか梅田(大阪)のライブハウス・バナナホールで行われたNelson Super Projectのライブを観に行ったとき、オープニング「Work To Do」のアタマで、青純さんがリズムをとりだした瞬間の音です。達郎さんのツアー「RCA/AIR YEARS SPECIAL」が千秋楽を迎えた翌日だったかで、まるで「打ち上げ」のような雰囲気でした。曲間には全員、よく喋ってもいて、青純さんも愉快そうにマイクをとって、離そうとしませんでした。あの夜を、急に思い出しました。
 最初のニュースからは、「急死」という様子を感じましたが、どうやらずっと体調を悪くしていたそう。どうぞ、安らかに。


 今週は、もうひとつ。ずっと欲しかった本を手に入れました。府中に住んでいたころ、図書館で何度も何度も借りて、読んでいました。横浜の図書館にはなくて、読めず、残念でしたが、ようやく古本で安く手に入れることができて。嬉しい。大事にします。さっそく、昨夜、アトリエに持って行って、学生たちと読んでいました。