2013年10月30日水曜日

【特集】『アフリカ』第21号(2013年10月号)

 遠くを見ない。明日だけを見る。(坂東玉三郎さんのことば)

 『アフリカ』第21号(2013年10月号)、定期購読の方々へも、届いたころかと思います。珈琲焙煎舎OYATSUYA SUN中庭ノ空での販売も始まってます。店頭で手にできるのは、東京都内に限られているというわけですが、それでも、さまざまな場所で、『アフリカ』と出合ってくださっている全ての皆様へありがとうございます。


 秋を駈ける自転車号。その秋も、次第に深まってきました。個人的に、とっても好きな季節です。1年のなかで、一番好きかもしれません。この季節は、毎年、気分も、いろんな調子もいいです。


  今回は下窪俊哉の作品がない! という声がありますけど、あります、編集後記を書いてますからね、屁理屈ですけど(笑)。ぼくは書かなくても、編集・デザインに専念すれば(高城青も芦原陽子も書いてない、珍しい号です)雑誌一冊つくれる、いまの『アフリカ』には。ということ。「編集」という部分が、ぼくの作品といえば作品なのですが、そこをみてくれる人はほとんどいないようです。「プロ」と呼ばれる(自称・他称問わず)人たちでも、ごくごく一部なのではないでしょうか。でも、そんなことわかんなくても、いいんです。「評価」とかそういうのはいらないので、ただただ読んでいただけることを、切に願ってます。そういう雑誌です(笑)。

 巻頭は、夏に珈琲焙煎舎で開催した「『アフリカ』の切り絵展」から。


 目次。秋らしい食べ物を、と言ったら、この切り絵が来ました(右ページ)。


 久しぶりに、犬飼愛生さんの詩が載りました。「お父さんは高気圧」という。子どもと、ことばをめぐる一篇。2011年10月号の「息子の発見」につづく作品、と言えそうです。


 「御幸町御池下ル」の連載、はやくも4回目です。「お茄子のオーラ」というタイトルで。御幸町御池下ルの家に、豊かな匂いを漂わせていた「美味」たちが今回の主役です。夏から、初秋にかけての記憶に、たくさんの食べ物が登場します。読んでいてお腹がすくこと必至ですので、ご注意を。
 その「美味」たちのこちら側で、両親が離婚し、東京から京都へ「連れてこられ」たのはなぜなのか? 悩む少女の姿が描かれます。「家族」って、「親子」って、何なのか? どんなものなのか? 探り、探り、次号につづきます。


 鈴木永弘さんが書いてくれた「笛」は、吃音(きつおん)に翻弄される青年と、彼の小学生、中学生のころからつづく、さまざまな想いの話。
 吃音が理由で、できないことは、他人からみるとささやかなことかもしれませんが、でも、そのささやかなことができないという理由で、さまたげられることがあり、ある人にとっては、大きな心の重しになります。「重し」と書いたのは、それはその人にとって良くも悪くも働くからなのですが… 
 ちなみに、くり返しますが、タイトルは「笛」です。どんな話でしょうか? 読んでみてのお楽しみです。


 「校正以前」は、いつのまにか連載のようになって、今回は「、三」です。今回は、文庫本の校正の話、「突き合わせ」と呼ばれる仕事の話を中心に。「本をつくる」仕事は、こんな、裏方らしい裏方(職人?)の仕事にも支えられているんです。もちろん『アフリカ』も、支えられてます。いつもありがとう!


 犬飼さんは今回、詩のほかにもうひとつ「ちょち ちょち あ・わ・わ」というエッセイを書いています。幼い我が子との生活のなかで、いきなり「看護婦になる!」と決意した女性の奮闘の日々。本人はすごく真剣なんだけど、読んでいてふっと笑いがこぼれる、軽快な一作です。


 「タルチョのゆれる場所」の旅は、第2回。今回は「サン」と呼ばれる粉をめぐるワン・シーン。ドキュメンタリー映画をみるような、中村広子さんの淡々としたペンに誘われて、ぼく(編集者)も、しばらくは、この旅にお付き合いしようと思ってます。


 今回の編集後記は、竹内敏晴さんの本のなかで出合った「手が出る」ということばにかんする一節から。吉祥寺美術学院のアトリエでの授業で、最近とりあげた一冊で、アトリエの先生やスタッフにも、すごく好評だったもの。普段、こういうことを話してますよ、という一例にもなっていると思います。
 「私たちの意図を超えた、向こうから立ち現れてくる光景がないか」ということは、『アフリカ』制作をとおして、ずっと言ってきていることですが、あらためてそれを書いておきました。


 冒頭に引用した坂東玉三郎さんのことばは、山本ふみこさんの『おとな時間の、つくりかた』から。今月の「よむ会」で、とりあげた本です。
 「時間」をテーマに書かれた一冊ですが、一日という時間のなかにも、これほどまでにいろんな「時間」たちがいるのか! と思います。ぼくも、自分の生活のなかの、たくさんの「時間」を掬い上げるような仕事を、そのうちやってみたいな、と読みながらすこうし思いました。すこうし。
 「山本ふみこ」を読んでいると、いつも、何らかの「問い」のようなものがポン、と置かれ、ふと立ち止まっている、という感じです。そこを、書き込む、というようなことはしない。しない! と強く意識しているような書き方だなぁと思っています。ぼくには、それがとてもいい。
 だから、このPHP文庫の帯(上の写真では外しましたが)に書かれているような「くらしを、とことんたのしむ人のための実用エッセイ」という説明になると、ちょっと味気ない。PHP文庫のほかの本はそんな調子なのかもしれませんが…(「くらしを」のあとに「、」がうたれているのが面白いといえば面白い)
 帯の文章は、ふみこさんのことばではないのかもしれません。次は、ふみこさんの文章からの引用で、たとえば「わたしは、時間に、人生のたのしみをおそわりました。」という、そこだけ抜き出すと、ちょっと説教くさくて、好きになれない感じですが、この人は、そこで立ち止まりません。
 「え〜と、でも、それってどういうこと?」とか、「そうか、あれって、こういうことだったんだ」というふうに、よろめいて、立ち止まり、また歩き出す、といった調子です。
 なんとなくですが、つよく「共感」(安易な共感というか…)を求めてくる本も多いような気がしています。「こういうことが素晴らしいんだ」という共通認識をもっていないと、話についていけないような。でも、「山本ふみこ」の本は、ぜんぜんそうではない。そこに、ぼくはいつも励まされっぱなしです。
 先日の「よむ会」では、「喧嘩を売られている気すらする」と言った人がいました。冗談だったのかもしれないけど、あながち冗談でもない気がする。
 この本の「はじめに」で、ある「年上の友人」のことばとして、こういうことばが置かれています。
 「時間は、未来から過去にむかって流れているものなのよね」
 こういうことばを大事に抱えて、やっていきましょう。

 上の写真のなかで、その『おとな時間の、つくりかた』と並べたのは、山下達郎『僕の中の少年』の裏ジャケット。ふと、自転車が目に入りました。気づいたのは、今回の『アフリカ』が出来上がってきたあとでしたが…
 ぼくがこれをはじめて聴いたのは10代の終わり頃ですが、30代の達郎さんが、おそらく自分自身のなかに起こりつづける変化を意識しながらつくりあげた「僕の中の少年」「蒼茫」「新・東京ラプソディー」といった歌たちは、時間をかけて、最近、とても近しいものに思えてきました。

2013年10月21日月曜日

「自転車号」

 「もっと高みへ行こう」として伸びる人も、もちろんいると思う。僕はそれをしないだけの話で。競争しない。自分のペースで走るだけ。無理して走るとガタがくるから、長い一生を走りきれないと思う。ペースを崩して無理に頑張るのは、精神衛生上も良くない。(中村好文)

 ご無沙汰してます。という気がしないのですが、気づけば、もう秋ですね。『アフリカ』最新号、1ヶ月遅れで、できました。


 「自転車号」。今回は人から言われる前に、自分で言っちゃいますけど…


 2冊、こうやって並べたら、1枚の絵になります。2冊買えと言っているわけではありませんヨ(笑)。

 目次は、少し前に「オール・アバウト・アフリカンナイト」のほうにアップしています。詳細は、もう少し、時間をおいて書くことにします。道草の家にも、昨日、印刷・製本所から届いたばかりで、できたてホヤホヤなんです。まずは、いつも楽しみにしてくださっている皆さんにお届けします。

 『アフリカ』、今回で21冊目です。よくぞここまできた…という気はまったくしないもんですね。相も変わらず「いつも通り」にたたずんでいる感じで…。
 編集・発行人のなかでは、いろんな邪念も渦まいて…こなかったと言えば噓になりそうですが、いろいろ余裕のなかったのが、逆によかったのかもしれません。余裕があったら考えてしまってつづかなかったかもしれません。
 そんなことが、ふと頭のなかをよぎったとき、久しぶりにこの本をめくってみたくなりました。


 冒頭でひいた中村好文さんの言葉は、この本から。奈良での「自分の仕事を考える3日間」の最終回を一冊にしたもの(というか何というか。ぜひ読んでみてください)。あれから、もうすぐ3年がたちますけど、この本を手にとると、なんだか、あのときの空気が自分の体のまわりに蘇ってきて、気持ちが明るくなり、力が出てくる気がします。

 今年は、『アフリカ』も、ほかのことにかんしても、思い通りにいかないことの連続で(でも、よく考えたら、今年だけじゃなくて、ずっとそうだった?)、でも、思い通りにいかないということは、最近、何事かを思い通りにいかせようという気持ちがぼくに強かったのかもしれないし、思い通りにいかなかったことで、逆に楽しんでいます。
 ウェブでのことにかんしては、毎日更新だった「道草のススメ」をやめたのは大きかった気がします。でも、毎日ちょっとずつ書くというほうが、やっぱり楽ですね。たまに書こうとしても、なかなか腰が上がらないから。
 道草の家のサイト、『アフリカ』のサイト、そしてこのブログと、相変わらずとっ散らかっている感じで、それらと、これから考えていることを、1か所に集めて動き出すことができないか…、「力」は、散在させるより、1か所に集めたほうが、より威力を発揮できそうですからね…、と、目下、模索中です。