2013年12月31日火曜日

今年の総括、止めました!(大晦日に大瀧詠一さんの訃報をうけて)

 名を残したいとは思わない。「詠み人知らず」がいいな。(大瀧詠一)

 例年のように、ブログで「今年の総括」をしようと思って、書きかけた(それなりに書いた)のですが、止めました。今年を「総括」するのは、止めます。12/30の日が暮れるまで仕事(外出支援の)で、今日は朝、起きて夫婦で大掃除、買い物などに行き、帰ってきてこの時間です。『アフリカ』次号は年を越しました。ということにかんする「言い訳」も用意していたのですが、止めました。
 ことのは山房のブログには、「行くいのち、来るいのち」と題して、ぼくら夫婦にとっての今年、2013年の総括めいたこと(?)をアップしています。道草の家ファンの皆さまは、ぜひご覧ください。


 写真は、今年の夏以降、姿を見せなかったモシャ子。道草の家の近所に住んでいたノラ猫で、モシャ子という名は、ぼくら夫婦がつけたあだ名。近所の小学生には「タヌキ」と呼ばれていたようですが…。2012年のはじめに引っ越してきて以来、モシャ子にも、すごくお世話になりました。ありがとう。

 昼ごろ、「新春放談」の話をしていたら、大瀧詠一さんの訃報が飛び込んできて、椅子に坐ったままひっくり返りそうになりました。起き上がって(実際には倒れてないけど)うそ! うそでしょ!? と。ショックを受けて、しばらく立ち上がれず。ニュースによると、昨日(12/30)の夜、家族で食事をしていて急に倒れ、病院に運ばれたが亡くなった、と。つづいて、「リンゴを詰まらせて亡くなった」というニュースが飛び込んできて、はぁ? と。実際には、「リンゴを食べているときに倒れた」ということらしいのですが、「リンゴを詰まらせて」という誤報も、なんだか大瀧さんっぽい。可笑しいので、そういうことにしましょうか?

 ほんとうに信じられません。信じたくありませんが、どうやら本当のようです。福生のご隠居は、仙人になっても生きつづけるような気がしていました。

 冒頭のことばは、萩原健太さん(90年代以降、大瀧詠一さんの声とことばを届けてくれたのは、主に山下達郎さんと萩原健太さんだった)が先ほど、TBSラジオに出演して、語って聞かせてくれた大瀧さんのことば。らしい、ですよね。

 大瀧さんによる有形無形の仕事の数々、いつも、あの大瀧さんのラジオの音のように自分の傍にあって、いろんなことの手本のようにしてきました。たくさん影響を受けました。ご冥福をお祈りして、心から、ありがとうございました。とはいえ、なが〜い休みに入られる、というくらいに思っておきます。

 いろんなことは、また年が明けてから。2014年、どんな年になりますやら。期待は失望の母である(これも大瀧さんのことば)。でも、期待するな、という意味じゃないですよ。期待がない場所には、うまれなかったことば。2013年は、例年以上に激動の年でしたが、ぼくのこれまでの人生で、もっとも光輝いていました。いい年でした。けど、今年もつかれたなー。ここのところ、ずっと走りつづけてきた感じ。お正月の三が日は休みます。

2013年12月24日火曜日

あたたかい椅子

 子供の頃にサンタクロースとか、ドラゴンとか、いるはずのない架空の生き物を心底いる、と信じることが人間には必要なんです。その数が多ければ多いほど、子供の心の中に、椅子ができる。大人になってゆくと、なあんだ、サンタクロースなんかいないじゃん。と、そこに座っていた架空の生き物たちは消えてしまいます。でも、それまでその椅子を温めてくれたサンタクロースのお陰で、人は、大人になって愛を知った時、今度は本当に大事な人をそこに座らせることができる。(渡辺茂男さんのことば)

  幼いころ、『しょうぼうじどうしゃじぷた』という絵本が、我が家にあって、よく読みました。その著者・渡辺茂男さんのことばを、今朝、猫沢エミさんという方がブログで紹介しているのに出会いました。「サンタクロースの椅子」というタイトルで。


 存在しないものを見る、存在しないものが、ある、ということが、どんなことか、思いを巡らせた朝です。

 今日はこれから、アトリエでパーティー。「テーマをさがす」という切り口(になると思う)で、ちょっとしたトーク・セッション(?)をやるです。酒飲んで、アホなことばっかり言っているのではダメだと(笑)。というのは冗談で、たのしみです。

  『アフリカ』の言い訳などは、また数日中に。

2013年12月18日水曜日

「旅」のつづき

 それでも今、私はここにいる。世界を覆う無数の小さな光の群れの下、小さなヘッドランプをひとつ灯して。始まりも終わりもなく続く偶然の連なり。そしてきっとそれは偶然などではないのだ。(中村広子「ゴゥワの実る庭」)

 今年も、もう、あと2週間を切りました。

 『アフリカ』の次号(第22号)は現在、制作(セッション!)中ですけど、2014年1月号となることが決定。今年は結局、年4冊(もうすぐ次が出るので、4.5冊?)で、これじゃあ「隔月刊」ではなく「季刊」ですね。「季刊でいいじゃないか、誰も焦ってないし」という意見もあり、「あれ? もう3ヶ月もたった?」という意見もあるので、まぁ、ちょうどいいペースを『アフリカ』自身がわきまえているのかもしれません。定期購読は「6冊セット」ということにしたので、もし、万が一「どうなってンの?」という方がいらっしゃれば、焦らず、ゆったりお待ちください。とにかく、この『アフリカ』という雑誌、不思議な力を保ったまま、元気に“生きて”いるので、“体調”には気をつけつつ、“旅”をつづけます。

 いろいろ忙しいので、息抜きに音楽の話。クリスマスといえば、ぼくにとっては“音楽”ですけど、15年、20年と聴いていると、毎年、毎年、新しい(クリスマス・ソングのアイデアが詰まった)モノと出会えるかというと、そう簡単には出会えなくなっていて、毎年聴いているものを、聴くくらい。なので、クリスマス・アルバムではないですけど、最近は、これをよく聴いています。


 Donny Hathawayの作品には、ジャズ的なもの、ゴスペル的なもの、いろいろな要素が入っている。セカンド・アルバム『Donny Hathaway』では、「A Song For You」とか、もうちょっとポップ寄りな曲をやっているけど、ファースト・アルバムの『Everything Is Everything』は、ブルース、ジャズ、ファンク、けっこうコテコテなんですよ。セカンドはポピュラリティーを追求していて、『Live!』では長尺を聴かせ、そして『Extention Of A Man』。あれは必殺だった。僕にとってDonny Hathawayは70年代のクロスオーバー・ソウル・ミュージック、R&Bがソウルに変わっていった時代の扉を開けてくれたミュージシャンだった。音楽に境界を作ってはいけない、ってね。(山下達郎)

 なんて達郎先生はおっしゃっておりますが、アメリカのRhinoから出たDonny Hathawayのアンソロジー(4枚組のボックス・セット)。日本盤は、なが〜いブックレットの文章を翻訳するのにお金がかかったのか、けっこうな値段しますが、輸入盤で買えばだいたいどこの店でも3000円前後。かなり安くで手に入ります。
 未発表のスタジオ・レコーディングだけ(こんなに残っていたんですね…)を収めたDisc2と、『Live!』のアウト・テイク(New YorkのライブハウスThe Bitter Endでのライブ音源… これがすごい!)を収めたDisc3が目玉ですけど、Disc1もシングルバージョンや初CD化(たぶん)音源など満載の、充実したベスト盤的内容になっていて、全篇すごく聞き応えがあります。音もすごくいい。デジタル・マスタリングの力、おそるべしです。
 レア音源はもちろん嬉しいんですけど、Disc1に入っているMonoバージョンの音圧(グルーヴって言いますよネ)、素晴らしい。この年末、こればっかり聴いています。
 Donny Hathawayは33歳で亡くなっているので、ぼくはもうその歳を超えてしまいました。しかし、これがほとんど全て、20代の人の演奏と歌とは…

 次回の更新では、『アフリカ』最新号のニュースに触れられますように。また来週。よい年末をお過ごしください。

2013年12月13日金曜日

『アフリカ』のクリスマス・ギフト

 大つかみな言い方をすると、共鳴は未知の世界からやってくる回答であり、ある種の秩序を生みだすものである。それは現象的世界と内なる世界、事物と本質、生徒と先生、先生と教えの橋渡しをしてくれる。どんなにかすかな共鳴であっても、意味と目的を確かなものにし、勇気を与えてくれる。共鳴は美の追求の糸口ともなるのである。(アラジン・マシュー)

 『アフリカ』のクリスマス・ギフトと言えば、一昨年の年末につくった『アフリカ』2011年12月号。もう2年たつんですね。はやいなぁ。


 ここから、珈琲焙煎舎との、不思議な縁がつながり、コラボレーションがはじまったのでした。思い出深い号です。もちろん2013年の年末にも使えます。(山下)達郎さんの「クリスマス・イブ」が30年たっても聴けるように。べつにクリスマスでなくてもいいのですが、冬の贈り物。冬のお便り。シーズンズ・グリーティングです。


 現在でも発売中、400円です。メールでの申し込み、もちろん受付中(harumisong★gmail.com(下窪俊哉)まで。※★を@にかえてください)。珈琲焙煎舎には、まだあるかな? あと、OYATSUYA SUNあたりには、持っていってみようかな?(12/14追記:OYATSUYA SUNでは販売中。クリスマスの後くらいまで?)


 吉祥寺美術学院の北村愛子さんによる絵と、ぼくの書いたお話とのコラボ「ハコちゃんの家の美しい夜」が載っています。


 芦原陽子が、はじめて『アフリカ』に書いた号であります。このタイトル…


 すっかりお馴染みになった高城青のエッセイ漫画。これが、最初でした。「はじめてづくし」だったんですね。いま気づきました。


 犬のことばを「翻訳」したクリスマス・メッセージもあります。連載中だった「ゴゥワの実る庭」もしっかり載ってます。


 冒頭のことばは、先週、紹介した『大きな耳』から。たとえば「創作」とはなになのか? ということも、この本は明るく示してくれています。しばらくは、ゆっくり、ゆっくり読み返していると思います。

2013年12月6日金曜日

いろいろさまざまなこと

 もっとも深いオリジナリティは世界に開いた透明な自我から産まれる。オリジナリティは、自我から踏み出すことで得られるといえるだろう。(ジェーン・ハースフィールド)

 12月に入り、夫婦で、昨年につづいて2度目の箱根へ行ってきました。今年の紅葉は、少し遅れているようでしたが。


 それでも、朝になり、窓をあけると、コレ。美味しいものを食べ、温泉に入って、ただ、のんびりした2日間でした。今年も、おつかれさまでした、と。このあと、今月はもう(ほとんど)休みなく走り終えるつもりなので。


 宮の下の「NARAYA CAFE」ギャラリーからの眺め。足湯(無料)にはいりながら飲食ができるカフェ。箱根の他の観光地にはない類の、いい「気」が集まっていました。週末は混むそうですが… 宮の下では、イタリアンの店にも行きました。あと、富士屋ホテルの庭園にある温室とか。


 今年も、いろいろなことがありました。日常から離れて、2日間、ゆったり過ごしながら、いろいろさまざまなことを、思い出しました。まだ、残り25日ほどありますが。


 帰宅したら、青山純さんの訃報がニュースで流れていて、ビックリしました。目を疑った。まだ、50代のはずです(享年56とのこと)。小川真一さんがさっそく「追悼・名ドラマー、青山純の名演16選+2」として紹介してくれている記事(音つき)が見つかったので、リンクしておこう。いわゆる、スタジオ・ミュージシャン。80年代から00年代前半まで、山下達郎のライブ、レコーディングの大半に参加していたドラマー。1999年の1月、名古屋で、はじめて山下達郎のコンサートを観たときに、その重量感満点のサウンドと、独特のビートに、ショックを受けたといっていいくらい感動しました(「メリー・ゴー・ラウンド」では、ドラム&ベースの掛け合いによる「ソロ」もありましたね)。達郎さんのコンサートに参加した青純さんを観たのは、そのあと、2002年3月の広島が最後でしたが、なぜか一番印象的に思い出すのが、その直後、2002年5月に、たしか梅田(大阪)のライブハウス・バナナホールで行われたNelson Super Projectのライブを観に行ったとき、オープニング「Work To Do」のアタマで、青純さんがリズムをとりだした瞬間の音です。達郎さんのツアー「RCA/AIR YEARS SPECIAL」が千秋楽を迎えた翌日だったかで、まるで「打ち上げ」のような雰囲気でした。曲間には全員、よく喋ってもいて、青純さんも愉快そうにマイクをとって、離そうとしませんでした。あの夜を、急に思い出しました。
 最初のニュースからは、「急死」という様子を感じましたが、どうやらずっと体調を悪くしていたそう。どうぞ、安らかに。


 今週は、もうひとつ。ずっと欲しかった本を手に入れました。府中に住んでいたころ、図書館で何度も何度も借りて、読んでいました。横浜の図書館にはなくて、読めず、残念でしたが、ようやく古本で安く手に入れることができて。嬉しい。大事にします。さっそく、昨夜、アトリエに持って行って、学生たちと読んでいました。

2013年11月28日木曜日

『ふうラボ』のこと、『技法以前』のこと

 「信じる」ということは、目に見える否定的な現実にもかかわらず、がっかりしたり心配しないという振る舞いを私たちにもたらすだろう。そのような「現場への立ち方」を教えてくれるだろう。(向谷地生良)

 11月も残り数日。今年は夏が暑すぎて、すごくなが〜い夏でしたが、そのぶん涼しくなってからは、文字通りあっという間に過ぎていく感じがします。いかがお過ごしでしょうか?

 NPO法人風雷社中での仕事をはじめて、1年2ヶ月ほどがたちました。それも、なんだか、あっという間、という気分です。知的障害、自閉症などの「障害」をもつ人たちの移動支援、外出支援などの「ガイドヘルパー」の仕事はもちろんですけど、今年になってから、『ふうらいラボⅡ』(通称『ふうラボ』)という広報紙の編集部も担当しています。ちょうど11月号(11月末発送号)が完成したところ。


 風雷社中の拠点は、大田区ですが、現在、HASUNUMA☆BASE(蓮沼)と、EBAKOU☆BASE(矢口渡)の2か所があり、HASUNUMA☆BASEではおもちゃ図書館の「じゃりかふぇ」があり、EBAKOU☆BASEでは、就職や社会参加(というのか何というのか)に難を抱える若い人たちの支援活動もやっていて、その2か所を中心に行われているイベントや、風雷社中のスタッフが発信しているインターネット・ラジオ「OpenSession」などの情報を、『ふうラボ』では編集して入れられるだけ入れています。
 そういう、「情報紙」の役割を果たす(果たせているカナ?)一方で、「観てない映画批評」を筆頭(横綱?)とする、どうでもよさそうな(?)記事もあり、そのへんは、この編集部(『アフリカ』と同じ人)ですからね… でもそれが面白いという人もおります。のです。

 フリーペーパーなので、大田区内で見つけた方はぜひお手にとって見てみてください。まだ置かれている箇所が少ないので、「置くよ!」という場所があれば、それも、ぜひ! 遠慮なくご連絡ください!(これも、「小さな本」ですヨ。)


 さて、昨夜のアトリエでも、たくさん話してきましたが、ぼくからの昨日の「お土産」は、べてるの家の記事(『BIG ISSUE』2011年1月1日号〜「特集:いま、当事者研究の時代」)でした。「治す」「治る」ということばについて、けっこうながい時間、話し合っていたような。べてるの家の、当事者、ソーシャルワーカー、精神科医たちのことばは、なんというか、まったく「表現者」のことばで、彼らの“順調に行き詰まっている”様子を読んでいると、不思議な力がわいてきます。


 冒頭の、向谷地さんのことばは、この本から。医学書院の「シリーズケアをひらく」の一冊で、『技法以前』という本。べてるにかんする本は、いまや、たくさん出て、まずはどれを、というのもないのですけど、ぼくは、これをよく手にとります。この本は、ぼくのかかわっている、あらゆる仕事に通じる何かを持っているように感じて、その感じは、日に日に増してきています。

2013年11月20日水曜日

元気になれる場所

 自分のありようを受け止め、そこで自分を肯定している人が、人にかかわるのは、ものすごく大事なことやと思う。(西田真哉)

 『アフリカ』の編集後記にも書きましたけど、昨年から、週1回、吉祥寺美術学院のアトリエで国語の授業を担当しています。
 そこでは、センター試験・国語の対策を、学生たちと一緒にやって、お給料をいただいているのですが、単に受験生のセンター試験対策というのにとどまらない、いろんな話をすることにしていて。ひろい意味で、「ことば」にかんする授業、あるいは、「ことば」にかんしてあれこれする場、と思っています。
 学生たちは、全員が芸大・美大入学を目指している20歳前後の若者たちで、彼らを見て話していると、当然ぼくは自分の10数年前を振り返りたい気にもなり、いろんなことを思い出して、あれもあった、これもあった、と、逆に忘れていた宝物をいろいろいただいて毎週帰ってきている。ような、気がします。

 先週は、「知っている」「知る」って、どういうことだろう? という語り合いの時間が少しありました。授業後に、だったけれど。


 今週、別のきっかけから、たまたまこの本を出してきて、めくっていたら、同じようなことを考えている箇所があって、今日の授業では、そこを少しだけ読む時間をつくろうかな、と考え中。この本『かかわり方のまなび方』は、著者の西村佳哲さんが、さまざまなワークショップや、プロジェクトのなかで出会ってきた、「ファシリテーションの世界を訪ね歩いた」「報告書」のような本。上の、西田真哉さんのことばは、この本から。


 先週は、ホックニーの画集の話もしたっけ。それでぼくは学生のころ夢中で読んだこの本を思い出して、帰宅してから、久しぶりに読んでみていました。「紙のプールで泳ぐ」という、ホックニーの画集について書いた短文を含む、いろいろな「本」にかんするエッセイ集。片岡義男さんの、作文のスタイルに、20歳前後のぼくはすごく影響を受けたんでした。この本を読むと、なんだか、励まされているようです。よし、また頑張ろう、という気になりました。よし、今日はこの本も持って行こう。(大丈夫です、センター試験対策の授業もしっかり進めてます。でも、まぁそういう勉強は学生ひとりひとりが進めていれば勝手に進むんですけどね。)


 先週末は、久しぶりに夫婦で、近くの根岸森林公園へ散歩に出かけました。これは、お気に入りの場所からの眺め。ことのはさんには、仲良しの木がいて、その木が立っている場所なんです。

 そこにいると、そこに行くと、元気になれる場所というのが、いろいろあるといいですね。ぼくには、どれくらいあるかなぁ。自分が元気になれる場所を拠点に、いま、ぼくは自分の仕事をできている気がしていて。これは、数年前まで、考えられないことでした。

2013年11月13日水曜日

1994年の秋と、2011年の秋のこと

 だれかが聴いたことのないレコードを持っていたら、決まってひっくり返してB面を聴いた。むろん、ぼくらにもうまくやれそうだと思えるような曲であることが絶対条件だ。(ポール・マッカートニー)

 一昨日の夕方、急なにわか雨、しかもかなり激しい雨におそわれて、止んだあと、急激に冷えこんだ。秋をすっとばして、もう冬ですね。11月もはやいもので中旬。いかがお過ごしでしょうか?

 上のポール・マッカートニー(いま久しぶりに来日ツアーを行なっている)のことばは、数日前に発売されて話題になっているザ・ビートルズ『On Air Live at the BBC Volume 2』から。


 1994年秋の『Live at the BBC』は、10代のぼくが夢中になって聴いた思い出深い1枚で、なにはともあれ、ぼくは「ラジオ」が好きだったんですね。しかも彼らが演奏している楽曲の大半は、彼ら自身のヒット曲ではなくて、1950年代半ばから当時(1960年代前半)にかけてのリズム&ブルース、ロックンロール、ポップスのさまざまな曲だったので、ものすごく新鮮でした。
 で、ポール・マッカートニーは、それらのレパートリーについて、ほかのバンドとの(いわゆる)差別化をはかるために、必死でレコード漁りをした、A面よりB面のほうがマニアックなので、むしろB面のほうに注目することが多かった、という話を書いている。ついでに、自分とジョン・レノンが自作曲を書きはじめたきっかけも「それならほかのバンドと同じになることがない」から、なんて。ポール・マッカートニーって人はやっぱりロマンティックな人ですネ(どこが? って訊かないで)。
 しかし、1994年にはなかった、現在のデジタル・マスタリングの技術は、やっぱり凄まじい。半世紀ほど前の、マルチトラックレコーダーもない、ラジオのモノラル録音が、えらい迫力で聴こえます。よく見たら(聴いたら)今回の再発、内容も微かに違うみたいですけど…


 さて、今日は11/13です。ちょうど2年前の今日、ぼくは初めて山手(駅でいうと、お隣の石川町駅ですけど)へ来て、ブラフ18番館で「サロン・コンサート」を聴いた。2年前の「道草のススメ」(もうすぐ閉じようと思ってますけど、まだ閉じてません)をみたら、こんなことを書いてる。その2ヶ月弱前の9/22、例の、Twitterでの「道草家を捕獲!」事件(?)があり、なにか磁石に吸い寄せられるように、あの秋の日、ぼくはこの横浜へ来たのでした(ちょうど「アフリカン・フェスタ」をやっていたんですね、行きませんでしたけど、笑)。
 その前日の11/12には、そのとき住んでいた 府中の部屋(があった建物)のお隣にオープンしたばかりの珈琲焙煎舎に初めて行き、そのときのことも「道草のススメ」に書いて、それを見つけた珈琲焙煎舎のふたりと親しくなり… という展開もありました。
 その後のぼくの運命(?)を決定づけるような出会いが、信じられないようなスピードで続々と起こったのでした。いまでも感謝しています。

 そして、そのときのぼくは、ネイチャリング・プロジェクトという団体が虎ノ門でやっていたNPO起業&経営塾といった場所に通っていた時期でした。まさか、そのあと、ほんとうにNPO法人のスタッフとして働くとは思っていなかったような…
 あのころ、語り合っていたことは何だったんだろうね? という話が、先日出たんですけど、いやいや、ぼくは少しずつ実現させてきてますよ。よ〜く見れば、わかる。まだまだ、これからやろうと思っていることもたくさんあります。
 最初のうちは妥協しておいて、あとで盛り返そうなんて考えは甘い。それでは、一生妥協しつづけることになってしまう。もちろん妥協できるポイントはたくさんあるけれど、大事なところでは絶対に妥協しない。と思っていました。その考えは、いまもまったく変わってない。いまでも、頻繁にわき出してくる「やっぱりできないよ」という声に、しぶとく「どうやればできるかなぁ。できる方法を考えよう」って問いかけてる。癖みたいになってきた。それは、ずっとつづきそうです。

2013年11月6日水曜日

「小さな歌」たち〜山下達郎「PERFORMANCE2013」

 足を踏み入れるとそこは、路地裏というか、都会の片隅のようなささやかな場所にみえる。歌が歌われ、楽器が奏でられ、そして音楽が生まれる。大袈裟な演出が用意されているわけでもなく、聴き手を驚かせるようなことは一切ない。ただし、歌うこと、演奏するということにおいては恐れず、迷わず、ためらわず、山下達郎という人は、いつも自らに大きなもの、激しいもの、新しいものを課し、果敢な闘いをも辞することがない。(天辰保文)

 いちおう先に書いておきますけど、いわゆる「ネタバレ」と呼ばれるようなことは書きませんのでご安心を。とくに楽曲の名前などは控えておきますよ。


 今年も行ってきました。山下達郎のコンサート・ツアー「PERFORMANCE2013」へ。2008年の年末、旧・大阪フェスティバルホールの最期に合わせて再開された達郎さんのツアー、その「PERFORMANCE2008-2009」から「PERFORMANCE2010」「PERFORMANCE2011-2012」と、今回で4シーズン目、足掛け6年になるんですね。はやいなぁ。達郎さん含め10人のミュージシャンたちの演奏と歌は、ほんとうにものすごいクオリティーで、でも、すっごく「普段着」で(だから達郎さんのコンサートは「お祭り」的なムードがない。「音楽を聴く」とはどういうことか、身にしみて感じられる)、とっても励まされる。
 昨夜の神奈川県民ホール、とってもあたたかい雰囲気で、やりやすそうだった。今夜はライブ・レコーディングをしています、ということだった。
 今回、ぼくには、2008年末を思い出すシーンもあった。ライブ・レコーディングで聴いたことはあっても実際に生演奏では聴いたことがなかった、嬉しい選曲もあった。10年ぶり、15年ぶりに聴く曲もあった。バンド編成では、おそらく今回が初演だろうと思われる曲もあり。夢のようなカバー・ソングもあった。
 コンサートの終盤、達郎さんから「市井」ということばが出た。「小さな歌」ということばも。あんなすっごい演奏をしておいてね(笑)。でも、やっぱり「小さな歌」たちでいいんだよね。

 写真は、コンサート・ツアーのたびにつくられているパンフレット。最近、ますます充実してきていて、今回は『Melodies』と『Season's Greetings』にかんして、対談、インタビューなど合わせて(字数を数えたわけではないけど、達郎さん曰く)4万字! また内容が素晴らしい。「小さな本」というには、あまりに力作。どこまで手を抜かないんだ… と呆れつつ、たのしく読んでいます。

2013年11月1日金曜日

「平野甲賀の仕事 1964〜2013」展

 気軽にやるのが一番。出たとこ勝負でチャラッと作るのが長続きのコツ。いろんな人が参加し、作っているときは笑いが絶えなかった。(平野甲賀〜『水牛通信』について)

 今日から11月。2013年も、気づけば、あと2ヶ月ですね。『アフリカ』は、今年中にもう一冊、という予定ですが、さぁ〜て、どういうことになりますか。(もちろん『アフリカ』第21号〜2013年10月号も、11月になっても12月になっても遠慮なく発売中です! 発行月を書いてあるだけなのデス。)

※告知していた、珈琲焙煎舎での2周年記念パーティーは、諸事情につき中止となりました。楽しみにしてくださっていた皆様へは、たいへん申し訳ございません。詳細は、珈琲焙煎舎のブログほかをご覧ください。


 ところで、先日、武蔵野美術大学の美術館ではじまった(12/21まで)「平野甲賀の仕事 1964〜2013」展をみにいってきました。写真は、チラシと、図録(平野さんの描き文字をフォント化した「コウガグロテスク」のCDつき)。かなり充実した展示です。
 会場には、300冊以上のブック・デザイン(本の展示)、シルクスクリーンなどで制作されたポスター、装丁をリトグラフで「再生」した作品なんかがズラッと並んでいます。なかには、『ワンダーランド』『水牛通信』といった雑誌の展示もあって、見所はたくさん。とくに雑誌に惹かれる。ぼくはやっぱり雑誌(づくり)が好きなようです。とくに『水牛』(新聞時代を経た後の『水牛』)は、雑誌というより、冊子とか、パンフレットと呼んだほうがしっくりくる感じで、好きです。
 この人の装丁、いまでは、「描き文字」の人、というイメージで、おそらく「描き文字」で、という注文が多いのでしょう。最近20年くらいの本は、大半がその「描き文字」を大きくフィーチャーして、やたらめったら「描き文字」で埋められた表紙も少なくないようです。
 が、「描き文字」はまだ出てきていないか、出てきていても控えめに出てくる80年代くらいまでの装丁が、かっこいい。控えめな凝り方が、また…(笑)
 最近のものでも、演劇や音楽の活動と、それについてきてるような冊子づくりの仕事が、またいい感じ。どこまでいっても、ぼくはそういう、アーシーな(?)というか、地面に近いところでやっているような仕事? 活動? 営み? に心惹かれる人のようですね。


 「コウガグロテスク」だけど、さっそく、いま使っているMacBookにインストールして、つかってみた。ね? これだけで書くと、なんか、芸がない。でも、普通のフォント(普通のフォントって言い方がヘン?)をつかってるなかに、ちょっと紛れ込ませると、こういう「描き文字」は威力を発揮するような気がしています。ま、これをつかっても、「あ〜、平野甲賀の文字だよね」で終わる気もするので、そうそうつかえないような気がしますが…

2013年10月30日水曜日

【特集】『アフリカ』第21号(2013年10月号)

 遠くを見ない。明日だけを見る。(坂東玉三郎さんのことば)

 『アフリカ』第21号(2013年10月号)、定期購読の方々へも、届いたころかと思います。珈琲焙煎舎OYATSUYA SUN中庭ノ空での販売も始まってます。店頭で手にできるのは、東京都内に限られているというわけですが、それでも、さまざまな場所で、『アフリカ』と出合ってくださっている全ての皆様へありがとうございます。


 秋を駈ける自転車号。その秋も、次第に深まってきました。個人的に、とっても好きな季節です。1年のなかで、一番好きかもしれません。この季節は、毎年、気分も、いろんな調子もいいです。


  今回は下窪俊哉の作品がない! という声がありますけど、あります、編集後記を書いてますからね、屁理屈ですけど(笑)。ぼくは書かなくても、編集・デザインに専念すれば(高城青も芦原陽子も書いてない、珍しい号です)雑誌一冊つくれる、いまの『アフリカ』には。ということ。「編集」という部分が、ぼくの作品といえば作品なのですが、そこをみてくれる人はほとんどいないようです。「プロ」と呼ばれる(自称・他称問わず)人たちでも、ごくごく一部なのではないでしょうか。でも、そんなことわかんなくても、いいんです。「評価」とかそういうのはいらないので、ただただ読んでいただけることを、切に願ってます。そういう雑誌です(笑)。

 巻頭は、夏に珈琲焙煎舎で開催した「『アフリカ』の切り絵展」から。


 目次。秋らしい食べ物を、と言ったら、この切り絵が来ました(右ページ)。


 久しぶりに、犬飼愛生さんの詩が載りました。「お父さんは高気圧」という。子どもと、ことばをめぐる一篇。2011年10月号の「息子の発見」につづく作品、と言えそうです。


 「御幸町御池下ル」の連載、はやくも4回目です。「お茄子のオーラ」というタイトルで。御幸町御池下ルの家に、豊かな匂いを漂わせていた「美味」たちが今回の主役です。夏から、初秋にかけての記憶に、たくさんの食べ物が登場します。読んでいてお腹がすくこと必至ですので、ご注意を。
 その「美味」たちのこちら側で、両親が離婚し、東京から京都へ「連れてこられ」たのはなぜなのか? 悩む少女の姿が描かれます。「家族」って、「親子」って、何なのか? どんなものなのか? 探り、探り、次号につづきます。


 鈴木永弘さんが書いてくれた「笛」は、吃音(きつおん)に翻弄される青年と、彼の小学生、中学生のころからつづく、さまざまな想いの話。
 吃音が理由で、できないことは、他人からみるとささやかなことかもしれませんが、でも、そのささやかなことができないという理由で、さまたげられることがあり、ある人にとっては、大きな心の重しになります。「重し」と書いたのは、それはその人にとって良くも悪くも働くからなのですが… 
 ちなみに、くり返しますが、タイトルは「笛」です。どんな話でしょうか? 読んでみてのお楽しみです。


 「校正以前」は、いつのまにか連載のようになって、今回は「、三」です。今回は、文庫本の校正の話、「突き合わせ」と呼ばれる仕事の話を中心に。「本をつくる」仕事は、こんな、裏方らしい裏方(職人?)の仕事にも支えられているんです。もちろん『アフリカ』も、支えられてます。いつもありがとう!


 犬飼さんは今回、詩のほかにもうひとつ「ちょち ちょち あ・わ・わ」というエッセイを書いています。幼い我が子との生活のなかで、いきなり「看護婦になる!」と決意した女性の奮闘の日々。本人はすごく真剣なんだけど、読んでいてふっと笑いがこぼれる、軽快な一作です。


 「タルチョのゆれる場所」の旅は、第2回。今回は「サン」と呼ばれる粉をめぐるワン・シーン。ドキュメンタリー映画をみるような、中村広子さんの淡々としたペンに誘われて、ぼく(編集者)も、しばらくは、この旅にお付き合いしようと思ってます。


 今回の編集後記は、竹内敏晴さんの本のなかで出合った「手が出る」ということばにかんする一節から。吉祥寺美術学院のアトリエでの授業で、最近とりあげた一冊で、アトリエの先生やスタッフにも、すごく好評だったもの。普段、こういうことを話してますよ、という一例にもなっていると思います。
 「私たちの意図を超えた、向こうから立ち現れてくる光景がないか」ということは、『アフリカ』制作をとおして、ずっと言ってきていることですが、あらためてそれを書いておきました。


 冒頭に引用した坂東玉三郎さんのことばは、山本ふみこさんの『おとな時間の、つくりかた』から。今月の「よむ会」で、とりあげた本です。
 「時間」をテーマに書かれた一冊ですが、一日という時間のなかにも、これほどまでにいろんな「時間」たちがいるのか! と思います。ぼくも、自分の生活のなかの、たくさんの「時間」を掬い上げるような仕事を、そのうちやってみたいな、と読みながらすこうし思いました。すこうし。
 「山本ふみこ」を読んでいると、いつも、何らかの「問い」のようなものがポン、と置かれ、ふと立ち止まっている、という感じです。そこを、書き込む、というようなことはしない。しない! と強く意識しているような書き方だなぁと思っています。ぼくには、それがとてもいい。
 だから、このPHP文庫の帯(上の写真では外しましたが)に書かれているような「くらしを、とことんたのしむ人のための実用エッセイ」という説明になると、ちょっと味気ない。PHP文庫のほかの本はそんな調子なのかもしれませんが…(「くらしを」のあとに「、」がうたれているのが面白いといえば面白い)
 帯の文章は、ふみこさんのことばではないのかもしれません。次は、ふみこさんの文章からの引用で、たとえば「わたしは、時間に、人生のたのしみをおそわりました。」という、そこだけ抜き出すと、ちょっと説教くさくて、好きになれない感じですが、この人は、そこで立ち止まりません。
 「え〜と、でも、それってどういうこと?」とか、「そうか、あれって、こういうことだったんだ」というふうに、よろめいて、立ち止まり、また歩き出す、といった調子です。
 なんとなくですが、つよく「共感」(安易な共感というか…)を求めてくる本も多いような気がしています。「こういうことが素晴らしいんだ」という共通認識をもっていないと、話についていけないような。でも、「山本ふみこ」の本は、ぜんぜんそうではない。そこに、ぼくはいつも励まされっぱなしです。
 先日の「よむ会」では、「喧嘩を売られている気すらする」と言った人がいました。冗談だったのかもしれないけど、あながち冗談でもない気がする。
 この本の「はじめに」で、ある「年上の友人」のことばとして、こういうことばが置かれています。
 「時間は、未来から過去にむかって流れているものなのよね」
 こういうことばを大事に抱えて、やっていきましょう。

 上の写真のなかで、その『おとな時間の、つくりかた』と並べたのは、山下達郎『僕の中の少年』の裏ジャケット。ふと、自転車が目に入りました。気づいたのは、今回の『アフリカ』が出来上がってきたあとでしたが…
 ぼくがこれをはじめて聴いたのは10代の終わり頃ですが、30代の達郎さんが、おそらく自分自身のなかに起こりつづける変化を意識しながらつくりあげた「僕の中の少年」「蒼茫」「新・東京ラプソディー」といった歌たちは、時間をかけて、最近、とても近しいものに思えてきました。

2013年10月21日月曜日

「自転車号」

 「もっと高みへ行こう」として伸びる人も、もちろんいると思う。僕はそれをしないだけの話で。競争しない。自分のペースで走るだけ。無理して走るとガタがくるから、長い一生を走りきれないと思う。ペースを崩して無理に頑張るのは、精神衛生上も良くない。(中村好文)

 ご無沙汰してます。という気がしないのですが、気づけば、もう秋ですね。『アフリカ』最新号、1ヶ月遅れで、できました。


 「自転車号」。今回は人から言われる前に、自分で言っちゃいますけど…


 2冊、こうやって並べたら、1枚の絵になります。2冊買えと言っているわけではありませんヨ(笑)。

 目次は、少し前に「オール・アバウト・アフリカンナイト」のほうにアップしています。詳細は、もう少し、時間をおいて書くことにします。道草の家にも、昨日、印刷・製本所から届いたばかりで、できたてホヤホヤなんです。まずは、いつも楽しみにしてくださっている皆さんにお届けします。

 『アフリカ』、今回で21冊目です。よくぞここまできた…という気はまったくしないもんですね。相も変わらず「いつも通り」にたたずんでいる感じで…。
 編集・発行人のなかでは、いろんな邪念も渦まいて…こなかったと言えば噓になりそうですが、いろいろ余裕のなかったのが、逆によかったのかもしれません。余裕があったら考えてしまってつづかなかったかもしれません。
 そんなことが、ふと頭のなかをよぎったとき、久しぶりにこの本をめくってみたくなりました。


 冒頭でひいた中村好文さんの言葉は、この本から。奈良での「自分の仕事を考える3日間」の最終回を一冊にしたもの(というか何というか。ぜひ読んでみてください)。あれから、もうすぐ3年がたちますけど、この本を手にとると、なんだか、あのときの空気が自分の体のまわりに蘇ってきて、気持ちが明るくなり、力が出てくる気がします。

 今年は、『アフリカ』も、ほかのことにかんしても、思い通りにいかないことの連続で(でも、よく考えたら、今年だけじゃなくて、ずっとそうだった?)、でも、思い通りにいかないということは、最近、何事かを思い通りにいかせようという気持ちがぼくに強かったのかもしれないし、思い通りにいかなかったことで、逆に楽しんでいます。
 ウェブでのことにかんしては、毎日更新だった「道草のススメ」をやめたのは大きかった気がします。でも、毎日ちょっとずつ書くというほうが、やっぱり楽ですね。たまに書こうとしても、なかなか腰が上がらないから。
 道草の家のサイト、『アフリカ』のサイト、そしてこのブログと、相変わらずとっ散らかっている感じで、それらと、これから考えていることを、1か所に集めて動き出すことができないか…、「力」は、散在させるより、1か所に集めたほうが、より威力を発揮できそうですからね…、と、目下、模索中です。

2013年9月24日火曜日

【特集】『アフリカ』第20号(2013年7月号)

 どうかぼくを幸せにしようとしないでください。それはぼくに任せてください。(アンドレ・レニエ)

 週一とか隔週とかの更新にしたい、なんて言いながら、もう1ヶ月半もご無沙汰してしまっておりました。『アフリカ』最新号(と言いながら、もう2ヶ月前の2013年7月号)の詳細にも触れないまま。8月は、とにかく、何もしなくてもつらいくらいの暑さ(?)で、しかも道草の家は、いまは夫婦ともに「外」にいることの多い仕事をメインにしているので、バテバテでした。と、言い訳しつつ、そろそろ、あれこれ、書きはじめましょう。


 『アフリカ』第20号。もう20冊、ですか。早いなぁ。事実上の創刊号が2006年8月で(「創刊号」とは呼んではいなかった。「2006年8月号」だった)、第10号が2010年11月で、今回が2013年7月号だから、10冊つくるのに、だいたい3〜4年かかっている。最初のうちは年2〜3冊で、昨年からペースが上がったのですが。
 20号は、開かれる? 開かれない? の、ドア号です。こんなけったいな雑誌、興味ないわ、って方はどうぞ遠慮なく手にとらないで。でも、なんか惹かれる、よくわかんないけど、という方は、ぜひ、開いてみてください(ついつい開いてしまった方へ、これも縁です。よろしくお願いします、笑)。

 ドアがある、開かないと、入れない。はい。


 巻頭には、『アフリカ』の初期をご存知の方にはお馴染みの、片山絢也くんが書いてくれました。「風の声を聴く人たち」というタイトルで。「統合失調症」と呼ばれる「病気」の話と、『アフリカ』という、この雑誌のこと、それから、ある農家がやっているレストランの話が、リレーのように出てきます。短い文章ですが、いかにも片山くんらしい文章で、スンナリとは読めない、いい文章です。


 つづいて、下窪俊哉が取材した「OYATSUYA SUN!」という写真と記事。風雷社中のねもじーが今夏のはじめに企画・開催した小さなイベントのことを書きました。


 毎度おなじみ、目次と、おふざけのクレジット・ページがあり(今回はそこに可愛い「カエル」くんがいましたでしょう?)、それにつづく本編(?)のトップ・バッターは、芦原陽子の詩です。「さよならを教えて」というタイトルは、フランスのシンガー、フランソワーズ・アルディの1960年代のヒット曲から。
 この詩、7/21に開催した「道草珈琲カフェ with OYATSUYA SUN」夜の部で朗読をしました。そのときのことを、芦原陽子自身がブログに書いてます。コチラ


 20号、という、きりのいい数字なので、『アフリカ』について、何人かに書いてもらいました。高城青「一度だけのゲストのつもりで」と中村広子「自然な流れ」は、1月のトーク・イベント「“いま、プライベート・プレスをつくる”ということ」で作成した冊子からの転載。守安涼「海岸線のアウトライン」は、そのときの“アウトテイク”のお蔵出し。そのイベントから発生した「よむ会」のレギュラー・メンバー、笠井瑠美子さんには、新たにお願いして書いてもらいました。「一冊の価値を問う」というタイトルですが、「本」そのものを問う、といったところの目印をつけてくれた、嬉しい原稿でした。

 「本」そのものを、そもそもの出版活動という営み自体を、ゼロから(というか、日々の暮らしのなかから)問い直すような「場」を、つくりたいという気持ちを、今年は抱きはじめた年でした。(過去形になっているのは、まぁ今年は、もうこれくらいにしておくか、という気持ちがあるからですが…)


 おそらく、『アフリカ』に、このような対話の記録が載るのも、イベント報告記事が載るのも、はじめてだったのではないでしょうか。1月の対話の記録を下窪俊哉が再構成した「“いま、プライベート・プレスをつくる”ということ〜淘山竜子さんとの対話から」です。
 淘山さんの雑誌『孤帆』と『アフリカ』の出会いから、縁となった幾つかの同人雑誌や、その歴史、『孤帆』と『アフリカ』の成り立ちと運営、「ZINE」のこと、文学賞のこと、「評価」のこと、「読者」と出会うということ、などなど。
 面白い話は、もっともっとたくさんあったのですが、オフレコの話も多くて、泣く泣くカットしました。その場で話すだけなら、話せそうなので、このつづきは、また、たま〜に(数年に一回くらい?)やってもいいかなぁと思ってます。肝心の、“プライベート・プレス”という言葉にも、まだ迫れていなかったように思っているので。

 つづいて、黒砂水路の「校正以前」は、二回目。差別用語の話から、大手出版社の校閲部へ出向になった書き手が、さ、どんな仕事をしているか…

 「ゴゥワの実る庭」の旅を終えた中村広子が、次に向かう旅は、「タルチョのゆれる場所」。この号からまた連載になる模様です。どこの街の話でしょうか。「カルマ」という言葉を思い浮かべるあたりで、初回は終わります。「カルマ」とは、どんな言葉でしょうか。

 鈴木永弘「今年の花見」は、4年前に離婚した元・妻と再会する男性のひとり語り。男と女が「別れる」とは、どういうことなんだろう? ということに迫った快作です。


 つづいて、珈琲焙煎舎の“忘れられていた”インタビュー第3弾。店主のひとり営業になってからは初めてのインタビューです。その店主と道草くんの、ゆる〜い対話をお楽しみください。

 中島悠子「御幸町御池下ル」の3回目は「訪ねくる人」、御幸町御池下ルの家にとって“常連客”だった来訪者たちの話です。半世紀前を、いま! として生きていた人たちが、まるで目の前に返ってきたように描かれています。2013年の『アフリカ』を代表すると言ってもおかしくない作品で、今後にもぜひご期待ください。


 20回目の記念号、最後を飾っているのは、すっかりお馴染みになった高城青のエッセイ漫画「それだけで世界がまわるなら」。今回は「夏の思い出」です。けだるくて、切ない思いも連れてくる夏の空気感をたっぷりお届けします。

2013年8月6日火曜日

夏のイベント終了、秋へ

 日々の仕事に追われつつ、「『アフリカ』の切り絵展」も、8/3(土)をもって無事、終了して、ひと息ついているところです。いかがお過ごしでしょうか? 『アフリカ』最新号も、珈琲焙煎舎、OYATSUYA SUN、中庭ノ空、それから通販でも、無事に発売中です。
 しかし暑いですね。暑いというだけで疲れそうなのに、我々夫婦は「外出」やら「保育」やらを仕事にして体を動かすので、家に戻るとグタッとしてしまいます。なので、家では、とにかくよく食べて、よく眠れ、というか、眠れるときに眠ろう、という生活になっている、道草の家です。


 遅くなりましたけど、「道草珈琲カフェ with OYATSUYA SUN」。当日、珈琲焙煎舎の店頭に張り出されたポスター。ことのはさんの手書き&コラージュです。


 当日は、じつはもっとゆったり、ゆっくり過ごす予定だったのですが、想像以上にたくさんの方に来ていただいて、忙しくて、嬉しい悲鳴をあげていました。ぼくも、いったい何杯、ドリップしたやら。で、肝心なメニューの写真を、ほとんど撮れていないのですが、これはお客さんのひとりが撮って、Twitterでアップしてくれたもの。目玉メニューだった「特製パフェ」。あとは、主役(?)の「道草珈琲」のほか、「自家製梅ソーダ」、「美好町のハムカツサンド(ピクルス付き)」、OYATSUYA SUNの「三角クッキーセット」というラインナップ。


 カフェの日が、『アフリカ』最新号(第20号/2013年7月号)の発売日でした。焙煎舎の珈琲たちを押しのけて、目立つところに陣取った“扉号”。


 「『アフリカ』の切り絵展」は、壁一面をつかって、こんな感じ。『アフリカ』編集人の「ごあいさつ」と、切り絵の「作者からのメッセージ」につづいて、これまで『アフリカ』の表紙(オモテ・ウラ)やページで使われてきた切り絵を、作者の自選で19枚。


 今回、どうしても“発見”できなかった、『アフリカ』最初の号の表紙の切り絵だけ、あらたに“切り下ろし”。色づかいが、ちょっと変わってます。あとは、すべて制作時のもの。


 「あれ? カラーなんだ〜!」という反応が、やはり、チラホラ。『アフリカ』は、これまで表紙を含め100%モノクロ印刷なんですけど、原画には、なぜか“色”がついているものがあり(全て、ではないのですが)、印刷されたものより、随分印象が違うものもあります。「ポストカードを売ってたら買いたい」という声には、こたえることができませんでしたが、ま、とりあえず今回は、“はじめての展示”ができただけで、よし。とします。


 ひとり、ふたりとお客さんが来てくださって。こんな写真を撮っているうちは、まだ余裕があった(笑)。このあと、一気に写真がなくなります。一番多いときには、“茶屋”をイメージして置いた長椅子にも座りきれなくなって、立って珈琲を飲まれる方が続出してしまって、スミマセンでした。いや、立って飲みたいような方もいらっしゃいましたっけ?(笑)珈琲焙煎舎の常連さんたちや、お会いしたことのある方だけでなくて、「この機会に来てみようと思って」という方も、チラホラいらっしゃって。それだけで、個人的には、もう大成功でした。


 夕方からは、特別ゲスト! OYATSUYA SUNのおふたりも来店。さっそく囲まれて談笑するOYATSUYA SUNの梅澤さん。珈琲焙煎舎・店主によるドリップ講座、梅澤さんによるフレンチプレス講座、それぞれの飲み比べ会も、盛り上がって。夕方はずっと珈琲談義(ぼくはドリップ、ドリップ、ドリップ…)だったような… でも、やっぱり夏。パフェの注文もずっと入っていて。最後は、完売に近い状態でした。


 夜は告知通り、OYATSUYA SUNのふたりをゲストに、「“場づくり”について皆で話そう」を開催。写真は、ことのはさんが新作の詩「さよならを教えて」か、犬飼愛生さんの「息子の発見」を朗読しているところ。

 珈琲焙煎舎で開催するイベント、よく考えたら、初(よく考えたら、1年前は「こんな狭い場所で、イベントはできない」と思っていたような…)。我々夫婦が企画・運営する1日カフェも、もちろん初の試みで。『アフリカ』関連の展示も、初で。語り合いの場以外は、すべて初めて、“初づくし”でした。あ〜楽しかった(笑)。


 次は、秋かな。また、お楽しみに。8月は、ちょっとひと休み。もう、暑すぎて。そうそう、肝心の『アフリカ』最新号については、別途書きますね(2013年7月号なんて書いてありますけど、発行月を言っているだけで、8月になってもますます楽しめますので!)。