2015年3月11日水曜日

アンコール「道草のススメ」(2011年3月)

 私はいつでも暗中模索だし、おかげで一寸さきは光のような気がしている。(長谷川四郎)

 1年前の3.11は、出産の「予定日」で、しかも光海はその日ぴったりに生まれてこようとしたので(結果的には一日ズレたのだが)、頭のなかは出産のことで一杯だった。でもきっと「予定日」に生まれてくることはないだろうと思っていたので、事前には「アンコール「道草のススメ」」というのを書こうとしていた。書こうとしていた、というよりも、震災のあった「2011年3月」の「道草のススメ」を読み返していた、というだけのこと。あらためて今日また読んでみて、少し編集したけれど、ほとんどそのまま再掲します。なお、写真は大部分を省略しました。

 ──震災の直前の時期、ぼくはかなり暇だった様子。いろんな意味で一番「ひきこもり」っぽかった時期かもしれない。だから、震災のあとも、生活はたいして変わっていない。でも、(ここには書いていないけれど)たまに仕事をもらっていた会社が開店休業状態に陥ったくらいのことはあったのではないか。でも、それはもっと個人的な話。「道草のススメ」では、あきらかに、ある一定の人たちにむけて書いている感触がある。そんなことも、とっくに忘れていた。


春がきて冬がきて(2011.3.1)
 今日はまた冷たい雨が降っている。写真は日曜の昼。府中の「郷土の森」まで、ちょっくら梅みにいってきた。ついでにプラネタリウムなんかみたりして。あたたかいなぁ。春だなぁ。なんて思っていたら、また冬の日だ。



犠牲にしない(2011.3.2)
 映画「英国王のスピーチ」に対する報道から、あいかわらず「成長しつづけること」というか、「明日は今日よりも賢く、豊かになっていなければならない」といった、「明日のために今日は犠牲にすべき」といった考え方がはびこっているんだなぁと感じるが、インターネット上の声を聞いていると、案外そうでもないというのが素直な感想だ(そうでない人が少なからずいるということ)。


定点観測(2011.3.3)
 「選択肢が増える」のは、果たして良いことか、という疑問(自分の抱いた疑問)に対して、長々と書いていた。
 写真は、まさに定点観測。この部屋からの景色。北西方向。



夢で(2011.3.4)
 昨夜は横になってからしばらく眠れなかった。今朝、小川国夫さんが夢のなかに出てきて、ぼくに何かを言っていた。いつもたいしたこと言わないんだけど(笑)。
 起きて、毎日の習慣で「モーニングページ」をやってから、いつも傍らに置いてある例の本を開いたら、「助けられることと、まるで無力のように扱われることとの間には、大きな隔たりがある。」という文章にぶちあたった。昨夜、自分が書いて吐き出したものが、それで救われた気がした。
 さ、また今日一日。


星の「王女」さま、たち(2011.3.5)
 今日は昼から、仲田恭子さん演出の「星の王子さま」を観てきた。場所が遠かったので、半日がかり。仲田さんがこの半年間ほど行ってきた「星の王子さまプロジェクト」というワークショップの、いわば発表の舞台で、プロの役者も数人いるけれど、大半はいわば「素人」。サン=テグジュペリの物語「星の王子さま」に出てくるいろいろな要素を、彼女らの感覚で通して見せてくれる。もし原作を知らない人が観たとしたら、「星の王子さま」のことはよくわからず、日常風景の「あれやこれや」を見ているだけのように感じるかもしれない。ワークショップの性格上、仕方のないことかもしれないが、全体としては「小ネタ集」という趣もあって、ちょっとくたびれる場面もあったが、まぁそれも「お腹いっぱい」という感じで。個別の表現、言葉に、考えさせられるシーンもあった。
 昨日、今日と、ぐっと寒かった。明日はまた春の陽気だとか。


ちょっとした支え(2011.3.6)
 ところで、山本ふみこさんの本、少しずつ読んでいる。この数日は、『ふだんの暮らしがおもてなし』(晶文社)を。エッセイのいわゆる「本文」だけじゃなくて、タイトルや、表紙とページのところどころに現われるイラストの猫、動物たちや「日常のあれこれ」も、さりげなくて好きで。「ちょっとした支え」になってます。
 昨日の夕方、外にいて、何だか面倒だったので牛丼屋にでも入って終わらせようかと考えて、でもこの本を手に思いをめぐらせて、やっぱり帰ってご飯くらい炊こうと思いなおしたのだった。
 そういえばぼくの部屋には生き物がいないな(←自分を忘れている)。猫でも飼おうか。あ、飼えないんだった。花とか草とかでいいんだ(←せめて名前で呼んであげよう。ようは何も決まってないんだけど)。ネギとかでもいい。


雪化粧(2011.3.7)
 朝、雨が降っていて、やがて雪になった。うっすらと雪化粧。
 昨夜はここ最近でもないくらい最悪の気分で、毛布をかぶってじっとしていたら、眠っていた。よくまぁやっている。粘り強い。


断食(2011.3.9)
 今日から「断食」をすることにした。「断食」といっても、食事をしないというのではなくて、「活字&情報の断食」。考えているうちに、これは「断食」に近い、と感じられてきたので、自分で勝手にそう呼んでいる。つまりインプットを最小限に抑える。まずは一週間を目処に、どこまでいけるか。新聞は見ない(一週間後にまとめて読むか)。テレビはつけない。ラジオは、それはまぁほどほどに(「音」はいいんだ。問題は文字情報だ)。本は、活字の本は一切読まない。これがぼくにとっては未知の世界だ。インターネットも、なるだけ見ない。アウトプットはどんどんやれ、とのことなので、ブログは書いてもいいが、このブログも気がのらない日には書くのを止めるかも。twitterは昨夜のうちに止めた。来週までは見ないことにする。万が一メッセージをもらうようなことがあっても返事はしない。ぼくに必要なのは情報じゃない。いろんなものから目かくし、耳かくしをされているように感じる。ここで、抜け出す。捨てるものは捨てる。どんどん捨てる。いま一度、整理する。ぼくは「みんなと同じになりたい」わけじゃない。というわけで、「断食」開始。本も読めないので、「読む」以外のいろんなことを探す。ちなみに、聞く、書く、話すは幾らでもオーケーなので。



祈り(2011.3.12)
 ご心配のメール&電話をいただいた方々、ありがとうございます。東京は、基本的には無事です。交通機関が麻痺して混乱はしましたが、大多数の人にとっては、「ものが落ちたり倒れたりした」のと「帰れなくなった」くらいの被害、と捉えています。さらに大きな地震がこない限り、身の危険は感じません。(余震はつづいています。少しだけゆるやかになっている感じもします。)
 ただ、関東でも太平洋に近い場所、とくに茨城、千葉など東京以北では停電、断水などで散々な思いをされている場所もあるようです。川崎や横浜でも停電したとか(けっこう近いですね)。
 ぼくも知人の全員の無事を確認できているわけではありません。(意識して騒ぎすぎないようにしています。心のなかは乱れていますが。)
 が、いまはじっとして様子を見守るしかない。もう何だか、祈るだけです。パソコンとテレビ&ラジオ以外の電気をなるだけ使わず、今夜も静かに時間を過ごそうとしています。
 
 (注)「活字の断食」はやむなく中断しています。関東在住の方へは、このブログがいいとみんなで言い合ってます。


東京ラッシュ(2011.3.13)
 昨夜から、余震がぐっと減って、静かになったように感じている。
 ぼくは、金曜の14時46分から… というより、そのあとすぐには地震がどこで起こって、被害がどうなっているのかまったくわからなかったので、正確には国立駅まで辿りついて、情報を得て以来、止まっていた「活字の断食」を、またそろそろ再開しようと思ってる。(ただ、まだ余震の恐れがあるので、情報収拾はつづける。まずはテレビから消す。)
 誰かも言っていたけど、節電というより、「いらない電気は消す」という、日常的なこころがけをするだけ。過剰な反応は何も産みはしない。テレビは地震発生後1日を越して、次第にワイドショー化してきたし(全てがそうとは言わないが)。消そう(もう消してる)。ラジオだけでいい。東京ではティッシュや水を買い込む人たちもいるようだけれど、その必要はない(ここは「被災地」じゃない)。イベントなどの「いたずらな自粛」にもぼくは大反対。やれるものは、やればいい。実際に昨日、実施に踏み切った人たちも知っている。
 被災者になるのと、「被災者面」するのは違う。これが国民性だよ、と言われたらそれまで、だけど。写真は金曜の深夜の、甲州街道。新宿方面。



良い薬(2011.3.14)
 午前中の予定だった停電が行われず。先ほど近くを走ったアナウンスカーによると、「12時半ごろから」になるとか。情報が錯綜していて、何が嘘で何が本当なのかわからなくなっているけど、ぼくは、いつでも来い! という態勢でいる。みんな、出社できないくらいで、おどおどすんなよ! 東京は電車が止まったり電気が止まったりするくらいじゃん。騒ぐなって。と言いつつ、どうしても地震関連情報が気になって、「活字の断食」はやっぱり延期している。
 停電も電車が止まるのも、良い薬だ。パソコンの電源も切って(充電はされているけど)、手を動かそう。これまで思いつかなかったことをやろう。「活字の断食」でやろうとしていたことが、「断食」しなくても、できる。
 いまのぼくにとって、緊急事態は、何の苦でもない。死ななければいい。


現実から目を離してはいけない(2011.3.15)
 今日の一枚。「分倍河原駅の封鎖された改札」か、これか迷って、やっぱりこれにした。近所のスーパーにて。空になった乾麺コーナーの棚。ほかにも、乾電池の棚はどこの店でも空。ぼくが見て回った限り、昨日の夕方の時点で一個も残っていないのを確認している。缶詰は「一個も残ってない」ほどではないけど、ほぼ品切れ。あと、ペットボトル(水など)、パン類、豆腐や納豆、牛乳などが消えている店が多いよう。新聞には鶏肉の発注量も9倍に増えていると書かれているけれど、(鶏だけに絞って見ていないが)肉、魚、野菜などは品薄とはいえ入ってきているので、ぼくはそれを買って食べている(ぼくは「買いだめ」などしない。なければないで節約できるし、そのほうが被災地への些細な貢献にもなる。みんな情報を調べているようで、調べていない。情報に踊らされているだけだ。でもこれが東京の現実。)
 あと書き出せばきりがない。コンビニでも同じ状況。ただし、緊急事態に重宝すると思われるお菓子類(チョコレートやスナック類)が売れ残っているのが不思議。
 分倍河原駅でも、南武線が止まっている模様(止まってない?)。京王は夕方から止まる。



停電の夕方(2011.3.16)
 計画停電、今日の府中市は15時20分から19時の間の3時間ということだったが、15時30分ごろにバタッと電気が切れて、防災無線で停電の知らせが流れた(停電したあとで聞こえた)。
 停電したてのころは書きものなどをつづけていたが、やがて暗くなり手元も見えなくなり、何もできないので、ボイスレコーダー(電池で動く)で音楽を聴きながら部屋で、まぁダンスなどして(細かいことはおいといて)いたら18時20分ごろに電気が復旧した。
 左の写真は、停電中の町並。停電になると困ることも多いけど、節電に励む街を見ていて思うのは、「いつもこれくらいでいいんじゃないの?」ってことではないかしら。原発のことだけでなく、いまは、自分たちの日常を見直し、考え直す大きな機会なのかもしれない。あと、「アフリカン・スクラップ・ブック」でもリンクしておいたけど、災害支援の一例として、広瀬敏通さんらの活動に、ぜひご注目ください。


「不謹慎」って何(2011.3.17)
 「不謹慎」という言葉が出回っている。
 府中は今日もまたこれから停電に入る予定。ぼくは地震後はじめて電車に乗る。仕事なので仕方ない。というか、誰かに会って話がしたい気分でもあって。


叫ぶ前に、沈黙を(2011.3.18)
 今日は午前中に停電して、また夕方から停電の予定だと聞いていた。なので、夕方からは外出して、一週間ぶりに長い散歩をしてきた。が、暗くなって戻っても、町や店から明かりが消えていないので、聞いたら、今日二度目の停電は回避されたと。
 街角に並んで「ボキン」を楽しそうに叫んでいる学生たちを見て、ぼくはなぜか嫌な気分になった。ぼくは学生のころ、あのようなことには参加できなかったし、いまでも、しない。被災地に送るお金とは、具体的にはどこに、どのように送って、どのように使われたいと思っているのか、まったく語ろうとしない彼らの姿を見ながら(無邪気といえば無邪気だ)、大事なのはそれじゃない、と思う。 
 叫ぶ前に、沈黙を。
 ぼくはこの事態を「お祭り」にしたくないのだろう。


きびなごの刺身(2011.3.19)
 何をするにもやる気が出ない。いや、やる気はあるのだけれど、不思議な無力感。今日も夕方に長く揺れた。ぼくは散歩中だった。府中駅前の建物のなかにいて(あそこは2階か3階か)、すぐに逃げ出したくなるような揺れではなかったけれど、怖いというより、気持ち悪いという感じの揺れ。散歩したら、気分が少し晴れるような気がする。救われるような気がする。
 そういえば、小川国夫さんは『青銅時代』創刊号と私家版『アポロンの島』刊行から、ずっと10年間くらい(30代の、ですよね)は、ひとりで孤独に書いていたんだった。よく、もったもんだよね(精神が)。他人事じゃないけど。ぼくは小川さんほど徹底してないな。時代のせいもあるかな。
 府中駅前の魚屋で、きびなごの刺身が売っていたのを見つけて、嬉しくてつい買ってしまった(写真、下のほう)。醤油か、酢味噌につけて食べる。鹿児島の、故郷の味だ。で、久しぶりに焼酎が呑みたくなったので、今夜はきびなごの刺身でイッパイやっている。


山下達郎さんの「鎮魂プログラム」(2011.3.20)
 地震で、はじめて放送が休止になって、一週間。「サンデー・ソングブック」を聴いた。久しぶりに力が入った。いきなり、CMなしのスタート。山下達郎さんはお母さんの出身が仙台で、親戚も多いそうだけれど、みんな無事とのこと。ただ、東北にもこの番組の「常連さん」たちがたくさんいるし、避難所生活を強いられている方、もしかしたら亡くなった方もいらっしゃるかもしれない。そう思うと、何と言っていいか、わからない。「重苦しい雰囲気を、少しでも和らげることができればと思って選曲しました。小さなラジオでも良い音で聴けるように、今回はいつもと違うデジタル処理を施しています。ただ電波の状態次第ではどうなるかわからない、でも、この気持ちだけ汲んでやってください。それでは…」と言って、達郎さん自身の「希望という名の光」でスタート。ジャックスカード(スポンサー)の「粋なはからい」で、55分、CMなし、お喋りもほとんどナシの、ノンストップで。フランク・シナトラ、ハウスマーティンズ、ウォルター・ホーキンス、ポール・ウィリアムスなど全10曲。息をのんで、聴いていた。


自分事(2011.3.21)
 地震から10日。まだ10日なのか…というのが個人的な感想だけれど、皆さんはどう?
 数日前に、街で募金の呼びかけをしている人たちのことを書いたのを読み直してみたら、ちょっと、何を書こうとしたのかわからない感じだけど、ようするに「わけもわからず」というのが嫌なのかなぁ。「型通りにやればいいだろ~が」という投げやりな感じもあって(そっちかな)。 
 身近なところから、やればどうかなぁ。たとえば、自分なら…と考えてみて…。東北にいる吃音の人たちで、困っている人たちがいれば、そこに何かできることはないか、とか。
 「全体を全体で支える」という考え方には、無理があるとぼくは思う。個々が、それぞれの現場で、それぞれの現場に近い人たちを支える。支え合う。それなら、ぼくもピンとくる。そういう「仕事」なら、たしかに、一生やれると思うし。


今週末で(2011.3.22)
 今日は昼ごろから同じ第2グループ内が停電になっているという情報は入ってきていたが、ここは停電せず。その後も停電していない。 
 中井久夫『世に潜む患者』(ちくま学芸文庫)、まったく他人事とは思えない内容が多くて、(この多くが1980年代に書かれたことを考えると)驚きつつ読んでいる。
 ぼくは今度の週末で、ここへ引っ越してきて一周年になる。こういう話になると、すぐ「早いね」と言い出す人がいるが(自分もついそう言ってしまうことがある)、そんなことはない。一年という時間が、こんなに長く感じたことはなかった。


エル・アナツイと葉山の海(2011.3.23)
 今日は朝早くに出て、葉山へ。逗子駅に降りて、一度来たことがあるのを思い出した。人に連れられて行く経験は、自分の頭で行っていないので忘れている。3年前かな。もちろんぼくはまだ大阪にいて、会社員だった。5月の連休を使って来たのだったか。
 今日の目的地は、その逗子駅から海岸線をバスで20分ほど走った場所にある、神奈川県立美術館の葉山館。『エル・アナツイのアフリカ』というのを、ずっとみたかった。で、昨夜、いよいよ行こうと決めて。会期が今週末までに迫っている。しかも「計画停電」で常に入れるとは限らない、という悪条件。昼すぎから停電になる予定だったが、でも今日はその地域の停電が回避になって。アナツイの作品の数々をみたあとにも、無料開放されている図書室で、かなり長時間、過ごすことができた。
 バスの窓からも、展示室の窓からも、大きな海が見えた。帰る前に美術館の周辺を散歩して、海まで出て行った。この写真はその海へ抜ける小道。



あの海の音の余韻(2011.3.24)
 今夜は、先ほど、「アフリカン・スクラップ・ブック」を更新。みてきたばかりのエル・アナツイの個展と、大瀧詠一さんの本の話を書いた。 
 今朝も、大きめの揺れがあった。テレビのなかでは、「春の甲子園」がはじまった。


アフリカ・セッションno.11(2011.3.25)
 今日の午後は、ちょっと息抜き(?)を兼ねて、『アフリカ』第11号の「仕事」をはじめる(まだはじめてない。これから)。18時から22時にかけて停電になるらしいけど、ぼくは今夜は府中を離れて違うグループ圏内に入る予定なので、停電は関係ない。出かける前に、少しでも進めよう。


あの日から一年(2011.3.26)
 ちょうど一年前の今日、その日までぼくが住んでいた部屋から見た桜。あれから一年だ。ここへ引っ越してきてからは、明日で丸一年。いろいろあったけど、何とか生きている。


大國魂神社の枝垂(2011.3.27)
 一年前の3/26は金曜日で。夕方に大阪の部屋を引き渡して。夜はそれまでの毎週・金曜と同じように大阪吃音教室に出て。みんなといつものように過ごして、深夜のバスに乗った。バス停まで送ってくれた仲間がいて。何だか懐かしく思い出す。
 そして3/27の朝。新宿駅到着が、かなり早い時間で。荷物の到着まで、かなり時間があった。ひとまず京王に乗って府中へ向かったが、その日から住む部屋の最寄り駅である分倍河原駅へ行く前に、府中駅でいったん降りて、大国魂神社へ寄った。境内には見事な枝垂れ桜があって、迎えてくれた。凍えるような寒い朝で。(この写真は、その一年前の朝。)


 あれから、一年。ぼくはとにかく環境を変えたかったのだったが… ひとまずそれは成功だった。見知った、慣れた環境では、こうはいかなかったかもしれない。とにかくぼくは逃げたかったのだ。逃げて良かった。とは思っている。


彼方への道(2011.3.28)
 昨日は夕方から三鷹で約束があって出かけた。その前に、大国魂神社へ寄った。一年前に満開だった枝垂れ桜は、今年はまだ咲いていなかった。何だか寒いものね。迷いまくってゴールのない迷路みたいになっているぼくの話を聴いてくださる人には感謝。
 今年は桜の話題を耳にすることが、ほとんどない。


また動き出す(2011.3.29)
 散歩はつづけている。2時間くらいは平気で歩く。たいていは、夕方に。夜になるときもあるけれど。この写真は昨日の夕陽。
 ぼくはまたこれから新しいことをやる。新しくはじめるというのは、いつでも新鮮で。それがたくさん味わえるというのは、よく考えたら、ラッキーなのかも。そう考えることにしよう。



絶望を語る言葉(2011.3.30)
 一見、不要ではないかと思える大きなストレスに、悩まされることがぼくは多い。すぐに眠れなくなったり、アルコールに「走」ったりする。自分はそういう人なんだ。と、知っておくだけでも、随分、違うと思うよ。


あたたかさ(2011.3.31)
 昨夜は、ある方と約束していて、「古本GALLERY673ひらいし」へ。日替わりマスターでカウンターに立っていた三五十五さんとも長くお話できて、なんだかとにかくいろんな方とお会いして。そのあと、田保さんのバー「246」(「にょろ」と読みます)へも流れて。久しぶりの「徹夜コース」と相成った(昨年の秋以来かな)。怒濤のような「声」にまみれて飲んで、なんだか妙に、元気をもらった気がする。

2015年2月21日土曜日

【イベント】絵本『からすのチーズ』出版記念・しむらまさと個展「鳥たちと」と「トーク」のこと

 私は、なんであれ、“書くべき”だということは受け入れられない。(ナディン・ゴーディマ「むかし、あるところに」)

 絵本『からすのチーズ』の出版を記念して、ということらしい──しむらまさと個展「鳥たちと」を開催します。…江古田のパン屋さん&ギャラリー「vieill」、祐天寺の「祐天寺カフェ」という、『からすのチーズ』の著者に縁のあるふたつの場所の、いわばご好意で、開催する運びとなりました。展示されるのは、しむらまさと君がこれまで描いてきた油絵を中心にした作品群です。描きはじめたころの作品から、最近の作品まで、そしてもしかしたら最新作も? という予定です。

 そこで、昨年末から念願(?)だった、しむらまさとインタビューもついでにやってしまおう! という計画をたてました。それが、3.21の「トーク」です。

 情報は『からすのチーズ』スペシャル・サイトの「News」にのせています。ここでは、その内容について少し書きましょう。


 ね? 見事に「鳥の絵」ばっかりでしょう? もちろん「鳥の絵」以外の作品もイロイロあるのですが、絵本『からすのチーズ』との関連もあり、またほんとうに彼の作品には「鳥の絵」が多いので、この機会に「鳥の絵」をまとめて展示してみるというのは、ただ漠然と作品展をやるより面白い気がしています。

 そして「トーク」ですが、もちろん、しむら君(なんて他人行儀な感じがむずがゆいので、普段呼んでいるとおり「まーちゃん」と呼ぼう)と話します。題して、「しむらまさとの世界」──と、おおきく出てみました。どうなるか…

 何度もお伝えしているとおり、彼は、知的障害、自閉症と呼ばれる障害のある青年です。本人によると「大人になりたくない」そうなので、「青年」と表現すると怒られるかな?(笑)

 ぼくは、彼とは、NPO法人風雷社中のスタッフとして、彼の「支援者」として出会いましたが、いまでは、いわば「家族ぐるみ」の付き合いになっています。そして、いまでもぼくは彼の「支援」をすることがあります(とはいえ、同時にぼくも彼に「支援」されている感触があります──そんな話も「トーク」で出来るかもしれませんね)。

 彼の家には、いろんな人がやってきます(ぼくもそのひとり)。彼に会いたくて来ているとも言えるし、彼の母に会いたくて来ている、とも言えそう。

 それくらい、彼の母は、おもしろい人です、慕っている人もたくさんいるようです(本人によると「ただのお母さん」らしいですが… だから尚更? いやみんなそうは思っていなかったりして…)。でも、いつもスポット・ライトを浴びているのは、まーちゃんだ。そりゃあ、彼は「障害者」だからねー、特別だよ、なんて意地悪(?)も言えるかもしれません。

 ただ、あの母がいるだけでは、彼のような人はできあがらないという気もする。それくらい、彼というひとりの人のなかには、たくさんの人の存在が感じられます。彼の絵からも、その「たくさんの(何ものか)の存在」が感じられるかもしれない。

 さて、ところで、そんなことを言っておきながら、ぼくはまーちゃんと、じっくりお互いの話をしたことがありません。彼と、だけではないかもしれませんね。普段つきあいのある多くの人と、じっくりお互いの話をするなんて機会はない気がする。たまに顔を合わせると、ついバカ話に花を咲かせてしまって、気づいたら、もう行かなきゃ、なんて。

 なので、一度、じっくり話してみたい。こちらからの一方的なリクエストではありますが… そこは、お願いして。ちなみに、「どんな話になるか」どころか、「どんなふうに話されるのか」すら自分にも予想がついていません。ぼくは、自分の「話す」という行為そのものを問い直さなければならなくなるかもしれない。でも、思い描くだけで、なんか、わくわくするな。

 で、何を聞くの? ってことですけれど、もちろん「絵の話」が中心です。まちがっても福祉サービスの話じゃないよ(笑)。「障害者」だから特別、と思って『からすのチーズ』をつくったのではないし、じつはもっと「障害福祉」からは離れた(と人からは思われるような)話もしたいんです。

 「絵の話」なので、今回は、自分だけでは心もとないと思って、ゲストをお呼びしています。

 『アフリカ』最新号に載っている「ことばのワークショップ」にも登場している「アトリエ」の先生で、「画家」の秋山豊之さん。
 美術にかんするプロフェッショナルで、かつ、ことばでのふかいコミニュケーションがとれる人──この人に来てほしい、と思って一番に声かけたのですが、こころよく引き受けてくださって、ありがとうございます。


 これはアトリエで子どもが描いた絵を写真に撮って勝手に拝借しました(ごめん&ありがとう)。よく描けてる(笑)。とりあえず「画家」と紹介しましたけど、じつはその肩書きをどうするか少し迷いました。絵を描いている人はみんな「画家」ですからね。人っていうのはもっと多面的で、奥行きのあるものなので、全員に言えるのですけど、秋山さんはとくになんと言えばいいかよくわからない(笑)。ご本人によると「ふつーの人かな。あれ? ふつーじゃないか? ま、画家でいいです」とのこと。

 まーちゃんと、秋山さんが出会う、という機会をつくれるだけでも、ぼくはわくわくしています。

 「障害者」の話からも、まーちゃんの生活圏内(ぼくにとっては仕事の現場である街)からも少しだけ離れ、どんな話ができるか、とっても楽しみにしています。で、これから準備をしますが、「何をどう訊くか」を考えるだけでも、自分にはとても大きな仕事になる気がして、あなたなら何をどう訊く? なんて話して回るかもしれません。(そんなぼくの話も)あたたかく聞いてやってください。

2015年2月18日水曜日

日常生活のなかに潜む「差別」にかんする、現実と、想像力

 差別をなくそうというのは難しい。空気をなくそうというのに近い。差別している人は自分が差別しているとは思っていない。それからたとえば「障害者」だの「健常者」だの「男」だの「女」だのと言ってる時点で差別しているわけなので、正確に言うと「不要な差別はなくそう」ということ。

 その不要なというのがまた難しい。差別している人は、自分が差別しているとは思ってないくせに、それが不要だとは思っていない。やっかいだ。

 なぁんて、昨日の昼ごろ、ぼそぼそ言っていたら、ある人から、なんて分かりやすい「やっかい」の説明! と言われた。

 差別するなと言う人が、言ってるそばからべつのことで人を差別していたりする(自分が差別しているとは思っていない)。人っておもしろい。人ってそういうおかしなところがあるもんなんだと思っておいたほうがよさそうです。純粋に差別をなくすのは難しい(不可能と言ってもいい)けれど、ただ、そのことを考えるうえで「差別」ということばに安住するのを止めることは割と簡単にできそう。意識さえすれば。

  *

 じつはいま、ナディン・ゴーディマの短編集(昨年、岩波から出ていた『ジャンプ』というタイトルの文庫本)に夢中で。
 ナディン・ゴーディマ──南アフリカの作家で。昨年亡くなっていたんですね、90歳、眠っていて亡くなったとか(まさに大往生!)。ぼくは『アフリカ』をはじめる直前に、彼女の『現代アフリカの文学』を読んで、いろいろ思うところがあって、心の隅っこにはいつもゴーディマがいましたけど、「小説」を読むのは今回がはじめて(ムリに読もうとしない人なんです、そのときが来るまで待つ!)。
 最近、曾野綾子さんが産経に書いた記事が話題(すごーく悪い意味で)になっていますけど、曾野さんが持ち出してきたアパルトヘイトにたいして、ゴーディマは批判的な立場をとりながら、ずっとその内側にいて(つまりアパルトヘイト制度下の南アフリカ国内にいつづけて)人びとの日常生活のなかに根付いている差別や偏見が、具体的にどのようなものか、書いた。また、短編集『ジャンプ』では、アパルトヘイトがとかれていくなかに起こった、人びとの動揺や混乱といったことがどうだったか、いろんな人たちをとおして見せてくれる。やっぱりこういう「人びとの現実」は、こういうスタイルの文章(──小説というか)でないと描き得ないかもしれないね…。と、つくづく感じられる素晴らしい作品集です。

 曾野綾子さんの記事については、南アフリカ在住の吉村峰子さんという方が詳細に書いてくれていて、インターネット上では話題になっています。参考までに、これ。感情の抑制をきかせて、現実をよく考察し、想像力を行き渡らせた、素晴らしい文章の見本のような文章です。参考までに、なんて偉そうに言いましたけど、ぜひご覧ください。

 ついでに、最近、はじめて見たナディン・ゴーディマの写真の数々、ほんとうに、うつくしい人というか。これは見た目の〈美人〉というだけじゃないです。こらえきれず、こぼれてしまう〈美人〉という感じ(そんなところで褒めすぎ?)。いや、ぼくの心のなかでは、ずっとうつくしい人でいましたけれどね。おばあちゃんになっても、いつまでも。


 そして、少しずつ、少しずつ彼女の書き残したものを読みながら、じわ、じわと自分のなかに力がわいてくるのを感じる。──『現代アフリカの文学』に書かれている「〈参加〉の文学」というのを、少し読み返して、見返してみていた。文学作品とは政治につかわれる道具であると言っているのではない。くり返し言うと、〈参加〉の文学、と言っている。(今日のところはここでブツッと切ります。つづきはまた後日。)

2015年2月11日水曜日

新しい地図

 何もないように見える場所も、ある人にとっては豊かな場所に見えるかもしれない。一つの中央ではなく、無数の中央へ向かうことによって、見慣れた場所が未知のフィールドに変化する。(石川直樹)

 今月は、こちらの「自由時間」のほうで、いろいろ書きます。『アフリカ』の最新号(第23号=2015年1月号)のことや、イベントの告知なども書きますので、見てネ。
 というわけで、字数制限を外して、書きたい放題やろうというわけ。
 べつにこうやって「ブログ」というかたちで「発信」しなくてもいいじゃないか、という声もあるかもしれないが、宣伝や告知などお伝えしたいことがあるし、でもお伝えしたいことだけをお伝えするというのは、自分にはけっこう難しくて、いろいろ書いて、その延長でお伝えするというのが自然なような気がして。

 ちょっとこんな話から。

 この社会は、どうやら、どんどん暗い時代に突き進んでいるようです。不況とか、貧しいとか、そんな悠長なことを言っていられない時代が、もう来ているみたい。
 先日、テロリストの捕虜になっていたふたりが人質になり(おそらく日本政府は彼らを見殺しにして、まぁ偶然生きて戻ったらラッキーくらいにしか思っていなくて、その結果…)むごいやり方で殺害されるという一連のニュースが流れました。
 ただ、そのことを、ここで、いろいろ書くのは、止めましょう。ぼくは新聞やテレビではなく(彼らは起こっている大事なことの多くを伝えてくれなくなっています、だから…)SNSを通して、複数の取材者や専門家がいろいろ調べて、教えてくれることを、眺めて、考えているだけです。
 ずっと眺めていて、言えそうなことは、日本政府はどうやら「戦争」へ向かって突き進んでいること(ただ、現代の「戦争」のかたちにはイロイロあるようですが)。
 太平洋戦争へ突き進んだころの日本が似たような状況にあり、身の丈を超えた「経済政策」が大きな闇を抱えていたということ、それは、ちょうどいまの状況に似ているというくらいのことも言えそうです。
 昨年、桑原甲子雄さんの写真展をみに行ったときに、太平洋戦争直前の、東京の街がえらい明るくて、いまと変わんないなー、と思ったのをふと思い出します。
 ぼくはテロリストもこわいけど、日本の首相(と彼を裏で動かしている人たち)もこわいです。自分の住んでいる国の首相(とお仲間たち)だから。そして彼らが発する「ことば」の、上っ面な感じ、中味のない感じは、ただ身近にもたくさん存在しているような気がして、それにも強い危機感をもっています。前々から、ずっともっていたことです。

 で、どうする? って言ったって、時代に翻弄されて生きていくしかなさそう。歌は世につれ、世は歌につれ、というけど、何を言ってるんだ、世は歌につれない、いつも歌が世につれ、なんだ、という話をよく山下達郎さんがしてらっしゃいますけど。ぼくは、光海と、彼がこれから出会う、たくさんの仲間たちが心配です。


 そういえば、石川直樹さんの写真展に行ってきました。横浜市民ギャラリーあざみ野で、22日まで、やっています。無料でみられます。タイトルは、「New Map」。新しい地図、です(写真は、限定部数で来場者に配布されている折り込み地図ふうのパンフレット)。インド、ポリネシア、北極、南極、富士山、エベレスト、そして日本周辺のたくさんの島々… 石川さんの写真の仕事の全体像(?)を眺められるような展示になっています。ぼくは、彼の発表する「ことば」には、ちょっと理屈っぽいような(人のこたぁ言えないか?)コマーシャルっぽいような部分も感じていますが、なにはともあれ「写真」を、大きなプリントでじっくり見たい。いい機会です。じっくり見ていると、政治と経済と、戦争に明け暮れている人びとが、バカバカしく、遠い世界のように思えてきます。そしてそれに巻き込まれる無数の人びとの、悲痛な空しさ… でも、ぼくがもっとも感心するのは、人も生き物で、死ぬときはいとも簡単に死んでしまうものなのだ、ということ。殺し、殺されなくても、自然のなかの極限の状況では、人は容易には生きていくことができない… ただ、ぼくも、あなたも、みーんな死ぬまで生きるしかないわけですけど… (唐突に感じるかもしれませんが)「地面」って、おおきなもんですね! 石川さんの写真をずっと見ていて、なんだか「地面」をつよく感じて。なぜか「地面」について考えたり、思いを馳せたりしています。

2015年1月12日月曜日

【特集】しむらまさと絵本『からすのチーズ』(アフリカキカク・2014)

 幼い心に笑いをよびおこしたり、高まりを感じさせたり、あるいは、体ぐるみ自由に動きまわらせてやることのできる物語を創ることは、意図的にはできないことのように思われます。(渡辺茂男)

 2015年になって、もう半月近くがたとうとしています。「道草のススメ」では元旦にご挨拶しましたが、あらためて、あけましておめでとうございます。今年も、また、よろしくお願いします。

 年末には、バタバタしていて、絵本『からすのチーズ』の詳しいご紹介も、できないままでした。そうこうしているうちに『アフリカ』最新号(第24号/2015年1月号)も完成して、珈琲焙煎舎での販売も開始しています。

 昨年の我が家は、光海の誕生と、彼(赤ん坊)との新たな日々に必死で、それ以外のことはよく覚えていない… というと大げさですけど、まぁそう言いたくなるような年でした。毎日、元気です。


 で、なにはともあれ、昨年のさいごの数ヶ月は『からすのチーズ』と共にありました。とはいえ、これから、末永く読み継がれる本になりますように。出版をする人としての本当の「仕事」は、これから、です。


 著者と、絵本(左)、そして初回限定版(スペシャル・セット)についている「ぬりえ&原画集」(右)、これは完成品が到着した直後の写真で、どうです? この顔!


 ニシダ印刷製本から届いた、できたてホヤホヤの絵本をもって、著者も出演するゴスペルクワイアCHOUB(シューブ)のクリスマス・コンサートへ行き、「先行販売」したのでした。お買い上げいただいた皆様、ほんとうにありがとうございます。こどもたちが集ってきて、手にとって読んでいる場面が、なんだか忘れられません。最近、ぼくは本を売る本当の現場からは遠のいていたような気がしました。嬉しいものですね。

 雑誌とちがって、これは、あるていど長い時間をかけて(細々と?)売っていこうと思います。どう売っていくかは、目下、画策中。細かい事情を書きたいところですけど、本を買い、読む人には、ある意味では関係のない話なので今回は省略。

 そんなことより、絵本『からすのチーズ』の紹介を!(何それ? という方は、スペシャル・サイトからご覧くださいネ。)


 かわいいサイズです。A5ヨコ。まー、何の変哲もない(?)無線綴じのソフト・カバーですが… これ、じつはかなり考えた結果で。書店の絵本コーナーに行くと、何とも重たい本ばっかりなんですね! いまの日本の書店に限った話かもしれません。本の「保存」に重きが置かれているんでしょう。「読む」ことには、「保存」に比べたら重きが置かれていないというのがよくわかります。本が売れないと嘆きつづけて早ウン十年の業界が、「読む」より「保存」に大きな力をかけて本づくりをしている、これ滑稽な気もしますよワタクシは。それは絵本に限らない話でしょうけど、絵本の造本にすごくよく現れていると思いました。今回、絵本をつくろうとして絵本の勉強をした結果、やってきた気づき、でした。


 とはいえ、海外には軽い造本の絵本もたくさんあります。あの『はらぺこあおむし』だって、日本で売られている本は重たいハードカバーの本ですが、素晴らしくセンスがよくて軽い造本の英語版をみつけました。『からすのチーズ』と同じサイズで、やわらかい表紙の絵本もうちにはいくつかありました。日本にも、以前は軽い絵本がたくさん存在していた模様で、古本屋に行くとイロイロ勉強になります。いまみたいに重たい絵本ばかり売り出したのはいつ頃かな? やっぱりバブルの時代かなぁ。もしそうなら、お金があって良かったこともイロイロあるでしょうけど、これは良くなかったことに挙げたい。


 本のなかのほうはですね、事前にはあんまり見せたくないよねー、と言いながらつくっていました。なので、ここでも、まだもったいぶります。今回の絵本の「顔」として最初から登場してもらっていた「チーズをくわえて飛ぶからす」のページは、こんな感じ。

 著者のしむらまさと君、えんぴつによる原画だけじゃなくて、物語と、この文字もすべて彼の手によるものです。知的障害とか自閉症とかと呼ばれる障害のある彼ですが、へー、彼には「世界」がこう見えているのかー、ということが垣間見える一作、と言ってもよさそうな気がしています。

 でも、そんな距離をおいた見方は、じつはあんまりしていない、普段は。この絵本は、じつは出版者であり編集者であるぼく自身にも、何度も何度も問いかけてくる本です。

 『イソップ童話』に、からすときつねの話があり、その話を、しむらまさと流に読み取った、とも言えそうな気がしますが、彼にはそんな気はないかも? 彼には、これこそが『からすときつね』なのかもしれないし…

 でも、いまに伝わる『イソップ童話』とは、何か決定的な部分がちがいます。さ、それは何でしょう? それは経済の問題にもつながるし、文学の問題ともつながるし、もちろん福祉の問題ともつながるし、じつは、何にだってつながっているのだ、と思いながらつくり、できてからも、我が子に読み聞かせながら、たまに思っています。(10ヶ月歳の光海には、そんなこと言われても、かあかあ、でしょうけど、笑。)


 初回限定版(スペシャル・セット)のグッズは、こんな感じ。バッジ2種(「からす」と「おひさま」)、ポストカード5種(絵本のなかの絵4枚に著者の写真1枚)、ありがとうカード1枚(「これが力作なんだ」byしむら母)。それから…


 アフリカキカク得意のモノクロ冊子「ぬりえ&原画集」、これが貴重な一冊なんです。装丁は、雑誌『アフリカ』のエッセイ漫画でお馴染みの高城青。編集・ページデザイン・その他雑用は絵本と同様に下窪で、短い解説も書いてます。


 絵本は、著者がえんぴつで書いた絵を使って、色をつけてつくっているのですが、ここに載せたのは、原画および制作途中のデータ。後半のページは「ぬりえ」としても使えるようになっています。もちろん「ぬりえ」をしなくても、ある種の「資料」として貴重なものになると思っています。

 何はともあれ、絵が、いいんです。障害者の描いた… とか関係ないよ。ぜひご覧いただきたいと思っています。

(ただし、スペシャル・セットは、残部が少なくなってきていますので、ぜひ欲しいという方はお早めに!)
 

 というわけで、よろしくねー。(写真は、「先行販売」のブースにて、ピエロのようへい君とまさと君のツーショット!)

 ところで、光海との日々や、『からすのチーズ』を通して、絵本にすごく興味が深まってしまって、いろいろ読んでます。本屋に行っても絵本コーナーはチェックするようになってます。少し前まで考えられなかったことですけど、笑。


 そうこうしていたら、光海へのクリスマス・プレゼントがぼくの実家の母から届き、なんと! ぼくが幼いころ夢中で読んだ二冊の絵本が! どちらも「わたなべしげお」さん作の絵本です。『しょうぼうじどうしゃ じぷた』は、ずっと忘れてなかった、心のなかにしまってありました。現物は読みすぎてページがはがれ、痛んでいたようですが、今回、両親がきれいに整えてくれました(色が素晴らしいです、これ今の印刷では出せないかも?)。「くまたくん」の『ぼくまいごになったんだ』は、忘れていましたが、見た瞬間にわかりました、数十年ぶりの再会です。なつかしい。

 それから、このお正月には、それら絵本の作者・渡辺茂男さんのエッセイ集『心に緑の種をまく』(新潮文庫)との嬉しい出会いもありました。

 彼の絵本の子だったぼくが、大人になり、ふたたび絵本の世界に帰ってきました。

 ぼくの本づくりの、今後に、すごく大きな光を投げかけてくれています。